一話 油断は禁物ですよ?
───深い海の底に漂っていたような意識が浮上していく。
五感がスイッチを入れるかのように、機能し始める。
重い瞼を上げると、そこら中に青々と茂る木々が目に飛び込んできた。
「──⋯⋯は?」
全くもって見覚えのない景色に、口から惚けたような声がでる。
同時に何か違和感を覚えた。
そして気付く。漏れ出た声が聞き覚えの無いことに。
「え? あれ? 声が⋯⋯」
自分の物とは思えないような高い声が、混乱に拍車をかける。
元々男声にしては比較的高音だったとはいえ、ここまで高い声ではなかった筈だ。
喉仏を触って確かめていると、自分が下着しか服を着ていないことに気付いた。
身体を見下ろすと、インナーの中に控えめだが確かにある2つのなだらかな丘が存在している。
控えめな胸に相応しいほっそりとした体付きに、心許ない股下⋯⋯。
「俺⋯⋯女になってる⋯⋯!? まだ寝惚けてんのか⋯⋯?
⋯⋯昨日は飲みすぎたからな、うん。変な夢を見てもおかしくない。
ほら! さっさと目を覚ませ俺!!」
◇◆◇
「夢じゃなかった⋯⋯」
頬にもみじが咲いた少女(?)は、膝を付いて項垂れていた。
「夢じゃないとしたらこれは何だってんだ⋯⋯。
何故か下着だし⋯⋯、こんなところ人に見つかったら露出癖があると思われる⋯⋯」
ブツブツと呟きながら少女は、衣服を求め遥か彼方に見える人工物らしきものを目指して歩き出す。
鬱蒼と茂った森を裸足で歩いているのだが、どういうわけか痛いということはない。
不思議なこともあるもんだと、首を傾げながら30分程歩いていると、澄んだ小さな湖に出た。
そういえば喉が乾いていると今更ながら思い、丁度良しと休む。
喉を潤す為覗き込んだ湖面に映った顔は、10人中10人が振り向くような美少女だった。
肩にかかるくらいの銀髪に、妖しく輝く金の双眸、日本人離れした顔立ちは左右対称に精巧で、つい魅入ってしまった程だ。
惚れてしまってもおかしくない。
「でも俺なんだよなぁ⋯⋯。嬉しくも何もありゃしないな。
それより、この顔どこか見覚えのあるような⋯⋯」
水面に顔を近付け、細部を確認する。
下着姿の少女が顰めっ面で湖を覗き込む⋯⋯なんとも奇怪な光景であるが、それを指摘する者は幸い(?)誰もいなかった。
「うーん⋯⋯。あっ、もしかしてレイアか!?」
湖面の少女が驚愕を顔に貼り付ける。
『レイア』とは、彼───神崎新が、とあるMMORPGで使っていたキャラクターのことである。
かなり自由度の高いゲームで、キャラエディットではパーツを故意に似せない限り被らない程の量があった。
そしてガッツリとハマっていた新が、3時間も見た目を拘った末に完成したキャラクターがレイアなのである。
『レイア』
積極的に名を売っているわけではなかったため、その実力を知っている者はそう多くはない。
しかしその戦いぶりを見た者たちは、口を揃えて「間違いなくアイツが最強だ」と言い切るだろう。
それ程までに突出していたのだ。
新自身は27歳という年齢で職場を転々としていたが、事故で他界した両親が遺した財産がかなり残っており、ゲームに熱中していても生活が崩れることはなかった。
それが妹との二人暮しでも、だ。
そんな彼が作り上げたレイアという存在は、プレイヤーで知らぬ者はいないという程の強豪ギルドをまとめあげるギルドマスターとして君臨していた。
しかしギルドは有名でも、そのギルドマスターの座位にレイアがいるということはあまり知られていなかった。
ギルド同士の対抗戦には出場せず、レイア自身、人前で姿を見せる時はいつもソロだったからだ。
対抗戦に出ない理由は特にあるわけでもなく、ただメリットが薄いから、その時間をキャラ育成に費やしたいというだけであった。
それでも、ギルドメンバーたちは新がリーダーだと言って譲らなかった。本人はあまり拘っていないのだが。
強豪と呼ばれているクランであるが、メンバーは少なく、レイアを含めて10人しかいない。
メンバーでオフ会を開くことも何度かあり、皆現実でも友人なのだ。というよりも、リアルでの交友関係から一緒にゲームをやり始めたという方が正しいだろう。
少人数でも強豪ギルドでいられたのは、メンバー全員が大学生か社会人ということもあり、時間をそれなりに費やしていたため、皆かなりのレベルを誇っていたからであろう。
加えて、それぞれが一つづつ特別な装備を持っていたのだ。
特にレイアの装備は突出していた。
アイテムの名は『職業神のグローブ』。レア度は最高値の神器級。
ゲーム内の全サーバー含め、存在しているのはレイアの持つ1つだけ。
見た目は黒地の地味な指ぬきグローブなのだが、効果が凄いのだ。
"職業のサブ枠解放"
それがこのグローブの効果だった。
このゲームでは、どの職業でも一度に発動出来るのは魔法か技能のどちらかだけであって、魔法と技能は同時に使えなかった。
そんな常識を覆したのがこのグローブだった。
メインとサブの職業で別の技を同時行使可能という、今までのシステムでは有り得なかったことが出来るのだ。
PK、略奪ありのこのゲームでこんなものを公開したら、厄介事になるのは火を見るより明らかだったため、グローブの存在を知っているのはギルドメンバーと少数のフレンドのみだ。
とある大会の最後で使ってしまったが、グローブの所為だと知られていないのでセーフである。
しかしだ、元々レイアは近づいて殴るという、技術にものを言わせた脳筋スタイルだったのだ。
たったそれだけでトッププレイヤーと肩を並べる程だったレイアが、魔法を同時に扱えるようになったところで、脳筋仕様の能力値では強力な魔法を発動することなど出来る筈がなかった。
故にレイアは、自身の一部に魔法を付与することで火力アップを図った。
というよりも、サブに登録した職業の技は、魔法も技能も何故か自身の周りでしか作用しなかったのだ。
本人は更なる火力アップに喜んでいたが、フレンドやギルドメンバーは皆、「魔法を取り入れても脳筋は変わらないのか⋯⋯」と呆れていた。
そんな長い間画面の中で付き添ってきた顔が目の前にあるのだ、新が驚くのも無理はない。
「ここはゲームの中なのか⋯⋯? ステータスなんかのコマンドも開けるの⋯⋯──うおっ!?」
ステータスという言葉を口にした途端、目の前に半透明の仄かに青く光る板が現れた。
そのよく見慣れた板には、これまた見覚えのある内容が記されていた。
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Leia Lv.300 拳聖
人間(?) 女 15歳
MP :1500/1500
攻撃力 :99999
防御力 :12000
魔攻力 :1000
魔防力 :12000
素早さ :45000
体力 :2000
精神力 :10000
魔法 :
技能 :『拳術 10/10』
『体術 10/10』
『脚術 9/10』
『剣術 6/10』
『刀術 5/10』
『闘気』
『鬼神化』etc…
特異技能:『拳神華撃』
『技神演武』
称号 :『拳を極めし者』
『無手を極めし者』
『王者』
『ギルドマスター』
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「おいおい⋯⋯、本当にゲームの中に入っちまったのかよ⋯⋯? でもゲームの時にあったHPなんかは消えて、逆に増えてるものもあるな⋯⋯」
ひとつひとつ確かめていく新は、周囲の警戒を怠ってしまっていた。
気付けば新の周りには耳の長い人が槍を構えて囲んでいた。
「人間! ここで何をしている!」