【5】女王様とディナーを
「遅いわよ!」
女王様に怒られるのが嫌で、十五分前には待ち合わせ場所についたのに、理不尽な怒りをぶつけられる。
制服じゃない女王様は、結構お洒落だった。
水玉模様の長袖に、短めのフリルが甘いスカート。緩く巻いた髪を、横の方で編みこんでいた。
女王様に謝りながら、まるでお出かけみたいだなと思う。
「何よ。何か言いたいことがあるの?」
「えっ?」
じろじろ見すぎていたらしい。睨まれてたじろぐ。
「可愛いねって褒めるくらいしてあげようよ。服似合ってるから、驚いたってさ」
「服、似合ってる……ね。普段とイメージ違うから驚いた」
胸ポケットから指示を出してくる月夜にしたがってそう言えば、女王様はぼっと火がついたように顔を紅くした。
「あ、あんたもなかなかじゃないの。いつもそうやっていれば、いいと思うわ」
思いがけず女王様からお褒めの言葉を頂く。
今日のボクは月夜によってコーディネートされていた。
美容室に連れて行かれて、目つきの悪さを隠すため伸ばしていた前髪をばっさり切られた。
ボクの服は清潔感があるけれど、少し個性があって、まるでファッション雑誌のモデルの服のようだ。袖口をまくったところの裏地が可愛くてポイントらしい。
月夜の服はパンクっぽいから、そういう感じのものを押し付けてくるんじゃないかと思っていたのだけれど、意外とセンスがいい。
「今日はちょっと特別なレストランに予約してるんだ。驚かせたいから、目隠ししてもらってもいいかな。ボクが手を引くから」
「……いいわよ」
ボクの申し出に、ちょっと戸惑った顔を見せた女王様だったけれど、そういってそっと目を閉じる。
きつめに見える目を閉じると、意外と幼い顔立ちをしていると思った。睫毛も長いし、ムスカリアほどじゃないけれど美人な部類だ。
……どこかでみたことあるような?
一瞬、そんな思いが頭を過ぎる。
いやいつも女王様の顔は見ているのだけれど、そういう事じゃない。もやもやとした気分になっていると、早くと胸ポケットにいる月夜に急かされた。
目隠しをした女王様の手を取る。
ボクの手が触れると、少しびくりと体を震わせた。女王様は小さな手をしていて、あんなに気が強くても一応女の子なんだなと思った。
「じゃあ『ピルツの森』に転移するよ。すぐ着くからね」
しばらく歩いて、人目につかないところまでくると、月夜がそんな事を言った。
次の瞬間、金の粉のようなものが現れて体に纏わりつく。なんだこれと腕についた金の粉を眺めているうちに、周りの景色がすっかり変わっていた。
土を踏みしめる感触。
木々に囲まれた場所にボクは女王様と立っていた。
目の前にはログハウス。
温かな灯りが窓から漏れていて、木の扉が音を立てて開く。
「来てくれたんですね、イツキ」
そう言ってスカートをたくし上げ、ボクのところへとムスカリアが走ってくる。
しかもそのムスカリアは、いつもの人形のような大きさではなく、人間と同じくらいのサイズになっていた。
しかも着ているのはシックなメイド服で、ムスカリアにとてもよく似合っていた。
「ムスカリア? なんでその大きさに?」
「ここはわたしたちの森ですわ。だから大きさは自由自在なんです」
ボクの問いに、ふふっとムスカリアが悪戯っぽく微笑む。
「ちょっと、着いたの?」
「あぁ、ごめん。今外すね」
すっかり女王様の事を忘れていた。
慌てて目隠しを取ると、目の前にいたムスカリアに、女王様は驚いたように目を見開く。
どうやら普段と違って、このムスカリアは女王様にも見えているらしい。
「ようこそ、レストランピルツの森へ! お待ちしておりました」
案内されて、ログハウスへと足を踏み入れる。
中はアメリカンカントリー風とでもいうのか、木でできた温かみのある置物や、優しい色合いのランプがいい味を出していた。
奥を見れば、ムスカリア以外にもメイド服を着た女の子たちがいた。
茶色の髪に白いリボンをして、活発そうな灰色の瞳をした子。キノコっぽい髪型で、胸に葉っぱのアクセサリーをした子。オレンジの髪をした子は、妙にぬるっとした粘膜が体を覆っているように見える。
キッチンの方には網目模様のコック服を着た女の子が、フライパン片手に調理をしていた。
目が合えば会釈してきたけれど、彼女たちもキノコ娘なんだろうか。
「まずはなめこと卵のスープをどうぞ」
ムスカリアが運んできたスープが、ことんと目の前に置かれる。
「大丈夫。これは毒入ってないよ」
こそこそと小声で月夜が教えてくれたので、いただきますをしてスプーンですくった。
ほどよいぬめりと卵の優しい味が、体の奥まで染み渡るようだ。
「あんたさ、どうして今日は私を誘ってくれたの?」
次に来たサラダも毒が入ってないというので、美味しく頂いていたら、女王様がそんな事を尋ねてきた。
「それは……」
素直にいう事も出来ずに口ごもる。
毒キノコを食べさせるためですなんて言える訳がない。
「まぁ理由なんてなんだっていいけど。私、あんたにどうしても言いたいことが前からあったの」
真剣な目で見つめられて、思わずたじろぐ。
女王様は目力があって、こんな風に見つめられると怖い。
「助けてくれてありがとう。それと、ごめんなさい!」
何を言われるのかと身構えていたら、女王様はいきなりお礼を言って、それから頭をさげて謝った。
突然のことに頭が着いていけなくて、目をぱちぱちと瞬かせる。
「あんた全然気づいてないようだけど、昔私の事助けてくれたでしょ。ミトロベ山で」
言われてはっとする。
女王様はあの時の女の子によく似ていた。
髪は染めているし、化粧はしているけれど、その苛烈なまでの視線はあの子と同じだった。
「アンタが庇うようにして私の身体を抱きしめてくれたことちゃんと覚えてるわ。声だって聞こえてたのよ。絶対助け呼んでくるからって、必死にそういって私の手握ってくれたでしょ」
ちゃんと覚えてるんだからと言う女王様の声は、いつもより固く緊張しているように聞こえた。
「病院で目覚めて、あの時のこと謝って、お礼しなきゃって思ってたのに。学校に行ったらあんた転校したって言うじゃない。しかも全部あんたのせいになってて。どんだけ私が悔しい思いしたと思ってるのよ」
なじるように視線をぶつけてくるのに、その声は震えていて今にも泣き出しそうだ。
こんなときどうしたらいいのかわからなくて、オロオロとして胸ポケットの月夜を見たら、しっかりしてというようにガッツポーズしてきた。
「その上、相変わらず人の顔色ばかり窺って、無理言っても聞いちゃうし。断るの待ってたのに、エスカレートしちゃったじゃない! 大体、再会したのに気づかないってどういうことよ。私はすぐわかったのに。この鈍感、馬鹿!」
きっと睨んで、女王様がそんな事を言ってくる。
謝りにきたんじゃないのかと戸惑うくらいの気迫だった。
「えっと……ごめん」
「謝らないでよ! 私感謝してるって言ってんの!」
怒るような口調で、女王様がそんな事を言う。
その顔は涙でぐしゃぐしゃで、なのに弱々しくはない。女王様はどこまで行っても女王様で、気高い。それがとても好ましく思えた。
小学生だったボクをいつも叱っていた、女の子――あかりちゃん。
その言葉はいつもボクにとっては痛くて、でもボクのためのものだってわかっていた。
逃げてばかりのボクに立ち向かえとあかりちゃんはいつも言ったけれど、そんな勇気はなかった。
耐えて忍んでいれば、いつかは終わるんだと過ぎ去るのを待って、ボクはいつも自分から行動を起こすことをしなかった。
自分の意思を曲げずに、真っ直ぐいるあかりちゃんがうらやましかった。同時に眩しくて嫌いだった。
「あんたさ、自分の意思がないわけ? 嫌なことは嫌って言わないと伝わらないよ」
そんなことはわかっていたけれど、それをいえるのはあかりちゃんが強いからだ。
日陰にいるボクの気持ちなんてわからないと、ジメジメ湿った気持ちで思っていたのだ。
でも、いつも感謝していた。
皆が嫌煙するようなボクに、話しかけてくれること。キツイ言葉も、ボクを心配しているからこそだってこと。
あの時、崖から落ちたあかりちゃんを庇いきれなくて、その頭から血がいっぱい流れて。
ボクは死んでしまったんじゃないかって思って、怖くなった。
そしたら、今まで言えなかった言葉があって、伝えてなかったってことに気づいて。もう言えないかもしれないって苦しくなった。
学校にあかりちゃんが来たら絶対言うんだ。
そう思ったけれど、そうもいかなくて。
結局弱いボクは、逃げるようにそこを去ってしまったけれど。
「あかりちゃん。いつもありがとね。本当は、あかりちゃんがボクのためを思って色々言ってくれてるんだって、わかってたんだ。その通りにはできなかったけど。あかりちゃんが生きていてくれて、嬉しい」
伝えられなかった言葉を、そっと口にすれば、あかりちゃんがまた泣いた。
胸のポケットから手元にハンカチが落ちる。
渡せという月夜の指示のようだった。
ハンカチを持っているのに、泣いてる女の子がいても差し出す事すら思いつかなかった。
少し自己嫌悪に陥りながらハンカチを手渡せば、あかりちゃんはありがとうと言って受け取る。
潤んだ目元。
強気な表情が崩れ、普段は見れない弱々しい表情に妙にドキッとした。
「浮気は駄目だよー」
月夜の声がして、トンと胸ポケットが叩かれる。
あかりちゃんが少し落ち着いた頃合を見計らって、テーブルに次の皿が運ばれてくる。
「お待たせしました。本日のメインディッシュです」
香草と椎茸が乗った魚のムニエル。
椎茸の歯ごたえと、香草の鼻から抜ける香りがたまらなくいいアクセントになっていた。
食べ終わってしばらくしたら、ムスカリアが次の皿を持ってきた。
「特別メニューとなります。どうぞお召し上がりください」
白い皿には、薄くスライスされた三枚のキノコ。
添えられてるのはレモンと、シンプルなメニュー。
けれどその香りはたまらなく香ばしく、すでに満腹になっているというのに、食欲をそそった。
「これだね紅天狗茸。ちなみにイツキの方はエリンギだよ」
くすくすと楽しそうに月夜が笑う。
あかりちゃんの皿の上に乗っているのが、ムスカリアの分身である毒キノコのようだった。
ぷすりと紅天狗茸のスライスに、あかりちゃんがフォークを刺す。
「ちょっと待って!」
「何よ」
「それボクのと交換しない?」
言い出せば、あかりちゃんは嫌と一言言い放った。
「このキノコみたことないし、凄くいい香りがするもの」
ほぅと食べる前からあかりちゃんはうっとりしている。
キノコを自分で狩りに行くくらいだし、このキノコづくしのメニューをおいしそうに食べていることからして、あかりちゃんは相当キノコが好きなんだろう。
ボクの頼みも無視して、あかりちゃんが口元へ紅天狗茸を持っていく。
とっさにあかりちゃんの手首を掴んで引き寄せると、その紅天狗茸を自分の口に含んだ。
噛み締めるとジューシーな汁が広がって、ぎゅっと凝縮された旨みが広がる。
紅天狗茸はとても美味だった。
「ちょ、何するのよ!」
あかりちゃんが抗議してくる。当然だ。
「いやあかりちゃんが食べてるほうが美味しそうだなって我慢できなくて。代わりにボクの方あげるからさ」
こんな事で怒りが収まるとは思えなかったけれど、ボクはフォークに刺したエリンギを差し出した。
すると、アカリちゃんは顔を真っ赤にする。
「あ、あんたってそういう事恥ずかしげもなくやる人だったのね」
小さく呟く言葉はよく聞こえなかったけれど、あかりちゃんは覚悟を決めたようにおずおずと口を開いた。
フォークごと渡すつもりだったんだけど、どうやら食べさせてという事らしい。
口元へもっていくとエリンギを唇で食んで、ゆっくりとあかりちゃんは咀嚼していく。
「美味しい……」
「よかった」
ほっと息をつけば、ふいっとあかりちゃんは視線を逸らしてしまう。また紅天狗茸を刺して食べようとしたので、慌ててその手首を掴んだ。
「何よ。また?」
「うん。駄目……かな?」
さすがにずうずうしいよなと思いながらも、お願いしてみる。
これも全部あかりちゃんのためだった。
「しかたないわね。ほら、あ、あーん」
真っ赤な顔であかりちゃんがフォークを差し出してくる。
それを見て、ようやく自分が何をしたのかを悟った。必死すぎて、何をやらかしたのか気づいてなかった。
「なによ、食べないの?」
「えっ? もちろん食べるよ!」
二枚目も口に含む。弾力もその味もやっぱり申し分なかった。今まで食べたどのキノコよりも旨みがある。
「ほら今度はあんたのエリンギ寄越しなさいよ」
「うんわかった」
髪をかきあげてあかりちゃんが口を開けるから、またフォークで食べさせてあげるはめになる。
ちらりとムスカリアの方を見れば、いつも開かないその細目がすっと開いてこちらを見据えていた。
怒ってる。物凄く怒ってるよムスカリア!
その怒りはわかる。ボクが女王様に毒キノコを食べさせたいと願ったから、ここまでムスカリアは頑張ってくれたのだ。
それをボクがぶち壊しているのだから、腹が立ってしかたがないだろう。
後で事情を説明するから許してほしいと心の中で呟きながら、最後のエリンギにフォークを刺す。
「最後くらいは、私に食べさせてよね」
「待ってあかりちゃん。どうしてもそれが全部食べたいんだ。お願い! 代わりに何でもするから!」
紅天狗茸を口にしようとしていたあかりちゃんが、動きを止めた。
「何でも?」
「うん、何でも」
頷けば、あかりちゃんはじゃあと言って何かをぼそぼそと呟いた。
「……私の彼氏になって」
ガシャンと皿が割れる音と重なって、あかりちゃんの言葉は全くボクの耳には届かなかった。
「ごめんなさい、デザートの皿を割ってしまいました。急いで代わりを用意させますね」
にっこりと笑ったムスカリアのオーラが、なにやら殺気めいている気がした。いつものムスカリアじゃない。
「えっとごめん、もう一度言ってくれる?」
「……やっぱ今のなし。こういうのは卑怯だから。他に何か考えておくわ!」
聞き返せば今度はきっぱりとした声であかりちゃんは告げて、ボクに最後の紅天狗茸を食べさせてくれた。
その後は何事もなくデザートがでてきた。
舞茸とくるみのスポンジケーキ。
ここまでキノコかと思ったけれど、意外と美味しかった。




