【4】ムスカリアの決意
パチパチとオセロをひっくり返す。
最近はムスカリアとオセロにはまっていた。
うーんと首をかしげながら、両手をつかってムスカリアがオセロをひっくり返す動作はちょっと可愛い。
「ねぇ、いつ女王様に毒キノコを食べさせるの?」
楽しい時間を過ごしていたら、月夜が退屈だというような声でそんな事を言ってくる。
「今はまだ時期じゃないんだ。というか、どうやって食べさせればいいのかよくわからないし」
そうやって言い続けて、もう一ヶ月近くが過ぎようとしていた。
ボクと女王様の関係は相変わらずで、何も変わらない。
今日も学校で、何かと雑用を押し付けられた。
ムスカリアは月夜のように催促してくることもなく、のほほんといつもそこに佇んでボクの話を聞いてくれる。
本当癒しだなぁと思っていると、目が合った。
いつもにこにこしているその細目が、さらに弓の形になり、桃色の唇は笑みを紡ぐ。
何も語ることのないこの時間も、気まずくならない。
誰かと対面している時は、常に何か話さなきゃという脅迫めいた気持ちが襲ってくるのだけれど、ムスカリアと一緒だとそれもなかった。
この沈黙さえも、大切な時間に思える。
あの森の澄み切った空気を分かち合っていたあの時と、同じような心地になれた。
「そこ、何見つめ合っちゃってるの。私つまんないんだけど」
「わたしたちに付き合う必要はありませんよ。イツキには私がいますから」
不満そうな月夜に、ムスカリアが淡々とした口調で告げる。
「わかったよ。じゃあ私は私で勝手にやるから!」
そう言って、月夜が窓から出て行く。
「あれ大丈夫かな。何かやらかさないか心配なんだけど」
「イツキが気にすることはありませんわ。月夜なんて放っておけばいいのです」
少し頬を膨らまして、ムスカリアがそんな事を言う。
「本当ムスカリアと月夜って仲悪いんだね」
「そういうわけではないのですよ。わたし、毒キノコとしてはわりと有名なんですけれど、派手なキノコに毒があるという迷信に一役買ってしまったところがあるのです。それでそれを信じた人が、ツクヨタケのような地味な毒キノコを、派手じゃないから毒がないと手にとって食べてしまう……それが嫌なんです」
そういう理由もあって、月夜につっかかってしまうのだと、ムスカリアは少しバツが悪そうに口にする。
「そうだイツキ。前に美味しいたい焼きの店があると言っていましたよね。できればそれを食べてみたいのですけれど、連れて行ってはもらえませんか?」
「あれ? そんな事話したっけ?」
美味しいたい焼きの店を見つけたのは大分前の話だ。
半年くらい前にはまって、しばらくは毎日のように一人で買いに行っていた。首をかしげると、口元に手をあててムスカリアがくすりと笑う。
「誰かと一緒に食べに行きたいと言っていましたよね。わたしが山でキノコの姿だった時に、そう教えてくれたじゃないですか」
「ちゃんと聞いててくれてたんだ、アレ」
「もちろんです。あの時イツキにわたしの姿は見えてなかったみたいですけど、ちゃんとそこにいたんですよ」
そっとムスカリアがボクの手に触れてくる。
そこからボクの心まで、温かみが伝わってくるようだった。
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「これは美味しいですね。やわらかな皮と、ほどよい甘さの餡がくせになりそうです」
「だろ? ちょっとわかりにくいところにある店だから、知ってる人しか知らないんだ」
肩に乗せたムスカリアに、たい焼きを分け与えながら歩く。
「それにしても、皆ムスカリアが見えないんだね」
通りすがる人々は、ボクの肩の上に注目を払わない。
こんなにも目立つ赤い傘を持った女の子が、肩に座っているのにだ。
「わたしたちの姿はキノコを愛し、愛された人にしか見えないんですよ」
そう言ったムスカリアの声は、嬉しそうだった。
「毒キノコのわたしに、話しかけてくれるのが嬉しくて、お喋りしたいなってずっと思ってたんです。毎日くるのを待って、イツキがわたしを必要としてくれた時、凄く嬉しかったんですよ」
ふふっと耳元でムスカリアの笑い声。
囁くようなウィスパーボイスが耳に心地いい。
「たとえ必要としてくれる理由が、毒キノコだからだとしても。わたしの疎まれている部分を必要としてくれる事が……嬉しいです」
最後は少し悲しげな声でムスカリアがそう告げて。
それは違うと声を上げそうになった。
あの日、ボクは女王様が毒キノコに当たるよう願ったけれど、それは本心からじゃない。
それに何より、ムスカリアと喋れたらいいなと思っていたのは、ボクも同じなのだ。
「あのさムスカリア」
「いいんですよ。わたし、イツキが大好きですから。必ずお役に立ってみせます」
そう請け負って、ぴょんとムスカリアが肩から飛び降りた。
ふわりとその体が中に浮き、開いた傘で風の抵抗を受けながらゆっくりと地面に着地する。
「わたしに任せてください。きっとイツキの願いを叶えて見せますから」
そう言って笑ったムスカリアは、次の瞬間光に包まれてボクの前から姿を消した。
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ムスカリアはあれから帰ってこなかった。
月夜は夜行性らしく、勝手にいなくなって帰ってこないのはいつもの事だ。でもムスカリアが夕飯にも帰ってこないなんて事は今までなかった。
心配して外を探し回ったけれど、結局見つからなくて。
次の日学校へ行ったら、女王様に声をかけられた。
「酷い顔ね」
開口一番これだ。放っておいてくれたらいいのにと思う。
「……明日の休日、あなたからの招待受けましたわ。楽しみにしてますから」
それだけ言うと、女王様は少し頬を紅くして自分の席へと戻って行ってしまう。
きょとんとしていたら、とんとんと腕をつつかれた。
「月夜! なんでここに!」
「んー? ちょっとね」
にたにたとしたその顔に、女王様のさっきの行動を思い出す。
「さてはお前の仕業だな、月夜」
「酷いなぁ。わたしは手紙を届けただけだよ。あの子を招待したのはムスカリアなんだからね?」
疑えば、心外だというように月夜が嘘っぽい悲しそうな顔を作る。
「ムスカリアが?」
「そうだよ。わたしはあかりちゃんの家を知っているからね。それで手紙を渡すのを頼まれたの。あと、明日二人を『ピルツの森』に連れてきてっていう案内役までお願いされちゃった」
月夜がふふっと笑う。
小悪魔のような可愛さには、親切というよりも、この状況を楽しんでいるんだろうなっていうのがありありと分かった。
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明日の休日、女王様を『ピルツの森』という場所に案内して夕食を振舞うつもりなのだと、月夜がボクにそう告げた。
「どうやらムスカリアは、あの子を私達の住む『ピルツの森』に招待して、毒キノコを食べさせるつもりみたいだね。昨日から他のキノコ娘たちに頼んで、レストランを貸切にしたみたい」
女王様に毒キノコを食べさせる……その作戦を、ムスカリアは決行しようとしているようだ。
月夜が届けた手紙には、前にキノコを貰ったお礼に、食事に招待したいのだという内容が書かれていたらしい。
お礼のお礼というか、ボクが女王様に対してそんな事をする義理はないのだけれど、何故か女王様はきてくれるようだった。
「確かにボクは女王様なんてキノコに当たってしまえばいいと思ったけど、本気で思ったわけじゃないんだ。どうしよう。ムスカリアの誤解を早く解いておくべきだった」
ムスカリアのキノコは見た目からして、かなり毒々しい。
もしかしたら食べた女王様は死んでしまうかもしれない。
そんな事になれば、優しいムスカリアはきっと心を痛めるだろう。
側にいてくれるのが嬉しくて、つい後回しにしていた。
実は毒キノコなんて必要としていないといえば、ムスカリアが去ってしまうんじゃないかと心のどこかで思っていたのだ。
そんな思いをさせるために、ムスカリアを側に置いたわけじゃない。
「そんなに慌てなくても平気だよ上手くやるから。『ピルツの森』の中なら、誰にも見つかることはないし、例え女王様が死んでしまったとしても証拠は残らない」
物騒な事をいう月夜を睨めば、うぅ怖いとおどけるように笑われる。
「しかたないなぁ……協力してあげるよ。ちらりとムスカリアの計画書を見てきたから、いいアドバイスができると思うよ?」
ふふっと笑いながら、くるりと月夜が回る。
遅れてふわりと舞い上がるスカートの裏地が、キラキラと緑色に発光しているのが見えた。
「それで、どうする?」
きゅっとブーツを鳴らして、月夜はポーズを取る。
上目遣いは可愛らしいけれど、そのキノコと同じくらい毒を含んでいるように見えた。
「……何をボクにして欲しいの?」
そう口にすれば、さすが話がわかるねと月夜は手を叩く。
「簡単なことだよ。もしもムスカリアの計画を阻止できたら、私を食べてよ。ちょっとじゃなくて、たくさんね!」
期待するような目で、月夜がボクを見る。
「それって……ボク死んじゃうよね?」
「まぁ普通なら死んじゃうだろうけど、イツキなら大丈夫だよね? 私昔見てたんだよ。ミトロベ山でさ、イツキが上から落ちてくるところ。あんな高さから色んなところ打ち付けて落ちてきて、死ぬどころか無傷なのはありえないよね」
ふふっと月夜が意味ありげに首を傾げた。
「……わかった。いいよ」
「やった! 約束だからね」
頷いたボクに、月夜は飛び跳ねる。
よっぽど嬉しかったんだろう。その笑顔はいつもの策士のようなモノとは違って、子供のように無邪気だった。