エピローグ 彩り始めた日々
あれから二週間後。
市街地からだいぶ離れた人気のない裏通りを一体の〈怨鬼〉が疾走していた。
外見は蛇を模したかのように細長い胴体で手足はないが、アナコンダのような巨体が地を滑る速度は、そこらの軽自動車よりも余程軽快で素早かった。
〈怨〉の貯蓄量おおよそ五百万。〈怨鬼〉の等級的にはまずまずの固体。だが、その移動速度に加え、細長くうねりながら縦横無尽に地を這う大蛇は狩り易い獲物とは言いがたかった。
だが、そんな手強い部類に属する〈怨鬼〉でさえクロトにとっては鴨同然だ。
クロトは僕の固有兵装を片手に、裏路地に隣接する小汚いビルの屋上から眼下を睥睨していた。見据える先はただ一点、地べたを這い回る今宵の獲物のみだ。
「さて、それじゃあ始めるとしよう。N‐11、47、56、T‐24、27、35、49解放」
そう唱えた瞬間、各通路の出入り口に空間の裂け目が形成され、〈怨鬼〉を裏路地の一画に完全に隔離してしまう。
出口を塞がれた蛇は驚いて、きた道を引き返したり、他の通路に這い入ったりしてクロトの包囲網から脱出しようと試みる。
だが、そんな都合のいい手抜かりをしてくれるほどクロトの陰湿さは生半可なものではなかった。
「コヨイ、目標は十五秒後にお前の眼前に現れる。現れたら地面と胴体の接地面を集中的に攻撃して、体が空中に跳ね上がったら着地点に氷結弾を撃ってくれ。それで片がつく」
戸惑うように細い通路を右往左往する〈怨鬼〉の姿を愉快そうに見下ろしていたクロトは、胸ポケットに忍ばせてスピーカーモードに設定してある携帯に指示を飛ばす。
『ああ? 本当かよ。そんな都合良くお前の掌の上で連中が踊ってくれるとはどうも思えないがって、うおっ! マジできやがった』
その指示にぶつくさコヨイは文句を口にしていたが、相手がクロトの予想通り眼前に姿を現した途端にどよめきの声をあげていた。
コヨイは慌ててクロトの指示通り目標の接地部分に集中砲火を浴びせ、次いで氷結弾を地面に撃ち込んだ。
すると、着地した〈怨鬼〉はそれまで見せていた機敏さが嘘のように凍ったアスファルトの上をピチピチ滑り、跳ね回るだけで全く移動できなくなってしまう。
その姿はさしずめまな板の上で踊る鰻のようで、どんなにもがいたところで摩擦の軽減した銀板の上では徒労に終わる。
「ハルカ、止めを頼む」
『任せて』
完全に身動きがとれくなった〈怨鬼〉の有様を、ビルの上から確認したクロトは一言そう呟く。
その瞬間、それまでコヨイの立っている地点に聳える建物内で待機していたハルカが、三階の窓から飛び降りる。
握られている7(セティエム)の剣は夜を照らすネオンの光を僅かに反射させながら、標的を違えることなく大蛇の頭部を捉えている。
そして、ガリっと〈怨鬼〉の頭部を貫通し、地面に剣の先端が突き刺さる音が周囲にこだまする。
直後、頭を刺し貫かれた〈怨鬼〉は黒い瘴気となってその場で四散していた。
「すっげ~、普通五百万級ってこんなにあっさり狩れるもんでもねぇだろ!」
あまりに迅速であっけない戦闘の幕切れに、コヨイは思わず感嘆の声を漏らす。
「そうかな? クロトと一緒だとだいたい一千万以下はいっつもこんな感じで終わるけど」
ただ、呟きを耳にしたハルカは何を驚いているのかわからないといった感じのキョトンとした表情をしていた。
「かぁ~、さすがは兇器とその相棒だな。リセットされても長年連れ添って築いた、密接
な連携は健在ってことか」
「まあ、私の方は覚えてるからね」
「っけ、愛情の深さを見せつけてくれるじゃねぇか」
コヨイにそう茶化されて、ハルカは少しだけ自慢げで照れ臭そうに苦笑していた。
さて、この状況を説明するにはまず〈軍馬〉の一件の後、どうなったのかを話しておく必要があるだろう。
クロトがハルカと初対面したあの後、問題になったのはハルカの住む場所だった。
ハルカは十年前に死んでいて家族共々殺されており、それ以降ずっとクロトの家にいた。
だが、そのクロトがこの状態になってしまえば当然、以前同様にハルカの部屋を使うのは難しかった。
ドラマチックな盛り上がりの後にこんな現実味百パーセントな問題に頭を抱えさせられるのは僕も甚だ不本意ではあったが、主の不始末の責任は従者が解決しなければならない。
僕は最初、ハルカに〈怨〉を使ってクロトが失ったものと酷似した新しい記憶を植えつけてはどうかと提案した。
無論、それは偽物でしかない。完全になかったことになってしまったものは例え〈怨〉を使っても再製することはできないのだ。
ハルカの持っている記憶や経験をベースに限りなく本物に近い贋作を生み出せたとしても、それは本人のものではない。必ずどこかに齟齬があったりする。
だから、クロトはハルカを蘇生する際ハルカの魂を保存していた。自分にとって都合の良いハルカを創るのではなく、本物のハルカを蘇らせるために。
つまり、もうクロトの記憶は絶対に戻らない。だから、僕は今できる中でより手っ取り早いベターな選択肢を提示したつもりだった。
だが、ハルカはそれを蹴った。バッタモノは要らないと言って自らしんどい方を選んだ。
正直、本物と偽物の違いなんて微々たるもので気持ちの問題でしかないと思うのだが、この女は健気にもクロトとの約束を反古にするつもりはないらしい。0になってしまったクロトと、一からやり直してもう一度振り向かせるつもりらしい。
全く、主にしろ、その連れにしろ。こいつらは本当に強情だ。弱っちいくせに強がってばっかりだ。まあ、そこが美点でもあるが。
ただ、そうなると困ってしまうのは僕だ。パチモンの移植がNGなら新しい寝床を用意するか、どうにかハルカを住まわせるようにクロトを説得しなければならない。
と、そんな風に僕があれこれ頭を悩ませていると、そこで。
「おい、0(ゼロ)さっきから何をこそこそしている?」
僕とハルカがヒソヒソ密談していることを訝しんだクロトが僕に声をかけてきた。
『い、いや~。じ、実はハルカが住む場所がなくて困っているらしいから、何か妙案はないかなぁと相談してて』
僕は詰問してくるクロトに正直に話した。どうせ、ここで変な嘘をついたところで見抜かれる。
なんてったって、相手は全身を嘘でコーティングしているような主様だ。それがバレたら虚偽の贖罪にどんなおぞましい罰が待っているか知れたものじゃない。
クロトはそこで不安そうなハルカの顔を一瞥する。そして、僅かな間、何かと葛藤するかのように眉を寄せていた。だが。
「はぁ。住む場所がないなら、うちに住めばいい。俺一人では持て余しているからな。好きに使ってくれ」
「えっ! いいの?」
クロト自らが意外にもそう提案してくれたことに、僕以上にハルカが驚いていた。
まあ、普通に考えればさっき会ったばかりの年頃の異性を、自分の家に住まわせてもいいと承諾してもらえるなんてあり得ないことだから、この反応は当然だろう。
「ああ、別に構わない。その代わり家事全般はちゃんと半分分担してもらうからな」
「そんなの全然いいよ。むしろ私が全部してあげる」
また、あの場所に、それもクロト一緒にいられる。それがハルカにとっては堪らなく嬉しかったのだろう。ハルカは満面の笑みでクロトに抱きついていた。
ボッキュッボンなナイスバディのハルカに突然抱きつかれ、クロトは耳まで真っ赤にして照れ臭そうに硬直してしまっていた。
その紅潮が果たして異性に体を密着されたことによる恥じらいなのか、純粋な感謝をぶつけられたことへの気恥ずかしさなのかは、ムッツリで加えてツンデレでもある主を持つ身の上としてはどちらとも判断しかねることだった。
そして、もう一つ。サクヤのことに関してだが。
サクヤはあの一件の後、ビショップを脱退した。理由は今回の一件で色々思うところがあったことに加え、ビショップがクロトとハルカの二人に何をしたのかを知ったことも大きかったらしい。
そして、抜けた後はこうしてクロトやハルカと行動を共にするようになっていた。
ちなみにこれは余談になるが、サクヤはビショップを抜ける際、ワタライに忠告を残していった。
内容は今回の件を上に報告し、クロトの投獄、もしくは抹殺を企てればワタライの失態を全て包み隠さずビショップ上層部にリークするというもの。
そうなれば、当然ワタライは更迭され今のポストを失うことになる。
それによってワタライが相変わらずのお堅い考えのもと、規則と正義を遵守してきっちり上に報告したのか、はたまた己が保身に目がくらみ報告を見合わせているのかは定かではない。
ただ、少なくとも現状においてビショップがなんらかの動きを見せる兆しは見受けられなかった。
と、まあ、そういうわけでこの三人は共同して〈怨鬼〉を狩っていたわけなのだが、ハルカが微苦笑を浮かべているとそこでコヨイが突然改まったような真剣な顔になっていた。
「まあ実際、あんたらはすげぇと思うよ。ビショップも〈軍馬〉もまとめて蹴散らしちまうくらい強い結びつきだし、それが今でも多少なりとも残っていることは認める。だけどな、先に言っとくがうちのサクヤだって諦めたわけじゃねぇからな!」
そして、ハルカをビッと指差すと声高らかにそう宣言する。
「正直、私はあんなヴィッチ野郎の何がいいのかさっぱり理解できない。だが、サクヤの奴はどうやらあいつを気に入ってる。そりゃ、あんたの抱いてる想いにはまだ到底及ばないかもしれないが、それだっていずれは負けないくらいの大きさと重みになるはずだ。だから、あんたにゃ悪いが私はサクヤに協力する」
そこまで一気にまくし立てるとコヨイはすっと重厚なライフルを携帯に納め、サクヤと入れ替わる。
「私、負けませんから。絶対にあなたからクロトを奪ってみせます」
そして、続けて今度は本人からの宣戦布告。
サクヤは言うべきことをはっきり言葉にすると再びコヨイと入れ替わり、ハルカはその一連の行動をパチパチと瞬きしながら呆然と見詰めていることしかできなかった。
僅かなの間、周囲に沈黙が立ち込める。
ハルカはその間に、たった今言われた言葉の内容を反芻し、じっくり吟味する。
「えっ! ええええーーー!」
そして、自分が何を言われたのかをようやく理解すると静寂を破るどよめきをあげていた。
「っま、そういうわけだから。これからは仲間として、同時にライバルとしてよろしく頼むわ。ハルカ」
未だ、突然のライバル出現に整理のつけられていないハルカとは対照的にコヨイの表情は晴れやかだった。
その顔を見て、ハルカも負けていられない、盗られて堪るか! と思い直したのかすぐに不敵な笑みを顔全体に刻み。
「いいよ。私だってこれだけは譲るつもりはないから。サクヤにもコヨイにもね」
逆に挑発し返していた。視線と視線がぶつかり、しばし二人の間に見えない火花が散る。
『おい、二人ともいい加減そろそろ戻ってきてくれないか? こっちは生活費がかかっているんだ。今日中にもう一体くらいは〈怨鬼〉を狩っておきたい』
だが、そこで突然二人の携帯のスピーカーからクロトの声が割って入る。ちなみにクロトは先程の二人のやり取りなど全く聞いちゃいない。
実は自分のことについての談議だったのだが、女同士の会話に興味なんて欠片もないクロトは普通にスルーして近場に他の〈怨鬼〉がいないか探すのに全神経を集中させていた。
「「はぁ~」」
クロトの横槍を受けて二人は同時に深い嘆息を漏らしていた。
まあ、これは鈍感というより無関心。二人にとっては一層酷な反応をされたわけだ。
「うっせぇな! わかってるよ。今そっちに戻るから待ってろ、ボケが!」
コヨイは腹いせにクロトを怒鳴りつけると見るからに苛々(いらいら)した歩調で先に行ってしまう。
ハルカはそんなコヨイの背中と胸もとに納まっている携帯を交互に見詰めて苦笑する。
「これは思ってたよりも骨が折れそうだな~」
ただ、そう一人ぼやきを漏らすもののハルカの表情は明るかった。
予期せぬライバルの登場といい、中々関心を寄せてくれないクロトのことといい、目の前に立ちはだかる問題は山積みだ。
だが、それらにハルカが怯む様子はない。むしろこんなことでへこたれていられないと前向きに捉えていた。
だから、ハルカも慌てて駆け出した。前を歩いているコヨイを追い越し、追い抜いて先にクロトのところに行ってやると言わんばかりに笑顔を浮かべながら。
その表情に嘘偽りはきっとない。辛かったことも、悲しかったことも別に忘れられたわけでも乗り越えられたわけでもないかもしれない。
だが、それでも彼女は間違いなく今この瞬間を楽しんでいた。これまで過ごしていた幸福には及ばないかもしれないがハルカは間違いなく、優しそうで暖かい笑みを浮かべていた。
そして、それはクロトも同じだった。ビルの上から暗い眼下の街並みを見下ろしながら二人を待つクロトもどこか上機嫌に口端を緩めていたのだ。
ここに辿り着くまでクロトはありとあらゆるものを捨てて失った。その上、汚れて歪んできた。そこまでしてしまったら結局何が残るんだよと思ってしまうほどに。
でも、ちゃんとこうして残っていた。多少変わったり、汚れたり、壊れてしまっているところはあるのかもしれないがちゃんと残って、こうして手元で輝いていた。
それが何か認識できなくてもこうして噛み締めることができていた。
なら、それで十分だろう。クロトは十分よくやったと僕は思う。
確かにクロトの行動を非難することは簡単だろう。やったことに何一つ正当性なんてなかっただろうし、どこまでも自分勝手で結局は単なる自己満足のためだけの行動だとも捉えることはできるだろう。
なんてったって善人とは程遠い、非行のオンパレードだったのだから。
それでも、大切なものが何かもわからなくなってしまうまで、色んなものに抗い続けたことは十分に評価できる。
善悪とか正誤なんてどうだっていい。どうせそんなの強い奴のための理屈だ。
勿論、それが世の真理かどうかは学のない僕にはどうとも言えないし、興味もない。詳しく知りたいならロックだの、モンテスキューだのの哲学の先生にでもご教授してもらってくれ。
少なくとも僕やクロトや、きっとハルカやサクヤにだってどうだっていい話なのだから。
『良かったね』
だから、僕が紡ぐのはこの一言だけだ。祝福と賞賛の意味も込めた労いのこの一言だけで十分過ぎた。
「何が?」
だが、クロトにはやはりそんな言葉の意味も理解できなかった。
『いや、君がそういう顔をしているのは随分久しぶりな気がしたからさ』
「まあな。ただ、未だに何がどうなってこういう結果になったのかは判然としないが」
『知りたい? 君が知りたいんだったらルール違反になってしまうかもしれないけど、教えてあげないこともないよ。得意だろ? ルールを破るなんてことは』
軽口を交えながら僕がちょっとした意地悪のつもりでそう問うと、クロトは僅かな間口を閉ざして逡巡していた。
「いや、いい。それを聞いたってどうせ意味はないだろ。それなら俺は自分で探す。見つけられるかどうか怪しいが、それでも、言葉だけの説明じゃ何も伴わないからな」
だが、返ってきたのはやはり予想通りのクロトらしい聡い返答だった。
『そうか。君ならそう言うと思ったよ』
だから、僕もあっさり引き下がった。別にいいのだ。クロトの本質は何も変わってなどいない。
それさえ確認できれば僕は何の文句も言うつもりはなかった。
だが......
「それに何より。お前が自分から進んで言うことなんて胡散臭くて信用できないからな。正直お前の甘言なんて気色悪くて怖気が走る」
そこからクロトの口を継いだのは酷く辛辣な言葉だった。折角、僕の中に広がっていた感慨深い良い感じの気分が台無しだ。
『え、えええ! ちょっと待ってよ。それはあんまりだ。今回の件に関しては僕、結構頑張ったはずだよ。そりゃ、君からしたら成果は全く実感できないかもしれないけど、ちゃんと指示に従ってそれはもう大活躍したはずだよ』
当然、僕は未だに信用してもらえないことに憤慨して猛抗議する。
「黙れポンコツ! だったら俺が納得のいくように証明してみせろ。今回、俺は何か得たか?」
『いや、そりゃ。そう訊かれたら結果として何も得てないって答えになっちゃうけど......』
「ふん、そうだろう。信用されたいなら、それなりの実績をあげてからにするんだな」
だが、そんなことをしたってこの屁理屈の塊みたいな男を僕が言い負かすことなんてできるはずもなかった。
どうやら、クロトの中には変わらないものがもう一つ残っていたようだ。
それは、僕に対して高圧的で理不尽な対応。
皮肉にも僕にとっては是非とも残っていて欲しくない部分が変わることなく健在なわけだ。
ファッーーク、本当に世の中ってのはクソだ。弱い奴にはとことん辛辣なんだからな。
僕が内心そんな愚痴を小さな筐体の中で溢れさせていると、そこでようやくハルカとコヨイが戻ってくる。
どうやらあの後、ハルカが追い抜いたことでコヨイも意地になったようで、二人は若干真剣な面持ちで、でも楽しそうな笑みを滲ませながら競うように駆け寄ってくる。
その二人の様子を目にしてクロトも呆れの混じった苦笑を浮かべていた。
そして、みんなが笑っている中、僕だけ泣きたい気分で、一人神妙な面持ちでその場に存在していたのだった。
以上が第一部となります。
書き溜めていたものを一作この度まとめて投稿させていただきました。
また今後は暇を見つけては第二部以降も投稿できれば考えております。
技術も発想も未熟な作品をここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
もし、よろしければ今後の創作の参考にしたくご意見、ご感想を頂けますと幸いでございます。