第7話 コークスを作ろう
異世界に召喚された俺が、最初に任された仕事は——勇者でも魔法でもなく、洗濯だった。
「悪いねえ、今日も頼んじゃって」
裏庭にずらりと並んだ洗濯桶。冷たい井戸水に、灰汁と手作りの石けん。
泡立ちは悪いし、汚れ落ちもいまいち。けれど、村の連中は当たり前の顔をしている。
「いえ、やりますよ」
そう返して、俺は服を揉み洗いしながら、ぼんやりと考えていた。
——火力が足りない。
風呂を沸かすにも、洗濯用の湯を作るにも、とにかく時間がかかる。
薪を割り、火を起こし、くべ続ける。
それを一日中やっていると、単純に思う。
もっと、楽に、強く、長く燃える燃料があればいい。
泡だらけの水を捨てに、裏の斜面を下りる。
村の決まりで、排水は決まった場所の地面に撒くことになっていた。
何度か桶を傾けたあと、ふと、足元の土に違和感を覚えた。
「……ん?」
土の色が、不自然に黒い。
粘り気があって、ところどころに、石のような塊が混じっている。
しゃがんで、一つを拾い上げる。
指先が汚れる。
少しこすると、黒い粉がついた。
——見覚えがある。
「まさか、とは思うけど」
その塊を、試しに家のかまどに持ち帰って、薪の横にそっと置いた。
火を移すと、すぐに勢いよく燃え始める。
「……やっぱりか」
炎の色、匂い、熱の伸び方。
俺が知っているものに、よく似ている。
石炭だ。
きっかけは、前の世界での工場見学だった。
学生のとき、一度だけ鉄鋼工場に行ったことがある。
溶けた鉄と炎の海を、安全な距離から眺めながら、案内役の技術者がぽつりと言った。
『石炭は便利だが、そのままじゃ鉄がダメになる。硫黄を抜かねえと、話にならん』
その時は、ふーん、としか思わなかった。
でも、あのとき見た黒い山の姿と、熱の匂いは、妙に頭に残っていた。
目の前のかまどの火は、薪よりも明らかに強い。
鍋の湯が、いつもより早くぐつぐつと沸き始める。
「これは、使えるな」
そう呟いた俺を見て、家の主人が目を丸くした。
「なんだい、その黒いの。よく燃えるじゃないか」
「裏の斜面に、たくさん埋まってました。村の人に、教えておいた方がいいかもしれません」
その日の夕方には、もう村の中心の広場で、黒い塊が話題になっていた。
「火の持ちがいい」
「薪の半分で済む」
「これがあれば、冬も安心だ」
村長が俺の肩を叩く。
「お前さん、よく見つけたな。礼を言うぞ」
少しだけ周囲の目が変わるのを感じる。
ただの居候兼家事係だった俺に、少しだけ期待が混じる。
そして当然の流れとして、次の言葉が出てきた。
「鍜治場でも使ってみようじゃないか」
村のはずれ、小さな鍜治場。
鉄を打つ音が、いつもは遠くから聞こえてくる場所だ。
そこへ、石炭を抱えた俺と村長、興味津々の村人たちが集まった。
ひとりの大柄な男が、腕を組んでこちらを見る。
この村唯一の鍜治だ。
「薪の代わりに、そいつを燃やせって話か」
「火力は申し分ないはずです。鉄を熱するには、向いていると思います」
鍜治は鼻を鳴らした。
「まあ、やってみりゃわかる。火床にくべてみろ」
炉の中に、石炭を放り込む。
火種を移すと、あっという間に炎が膨らんだ。
「おお……」
村人から小さなどよめきが漏れる。
炎の勢いは、さっきのかまどどころではない。
鍜治は無言で鉄の塊を火の中に突っ込んだ。
じりじりと、赤く、やがて黄色く光り始める。
「悪くねえな。火力は上等だ」
しばらく待ち、鍜治は鉄を取り出して、金床に乗せた。
槌を振り上げ、振り下ろす。
カン、と、少し頼りない音がした。
もう一度、強く振り下ろす。
ボロッ。
「……あ?」
鉄の塊が、予想よりも早く、崩れた。
通常なら、何度も叩いて形を整えていくはずなのに、
その前に、角から脆く砕けていく。
「おい、なんだこれは」
鍜治が顔をしかめる。
もう一度、別の鉄を火に入れて、同じように熱する。
そして、同じ結果になった。
砕けた断面は、どこかざらついていて、鈍く濁っている。
嫌な予感がして、俺は炉の縁に目をやった。
内側の壁に、黄色い粉のようなものが付着している。
それを指でこすって、匂いを嗅ぐ。
鼻につく、独特の匂い。
「……やっぱり」
思わず、声が漏れた。
「なんだ、知ってる顔だな。どういうこった」
鍜治がじろりと俺を見る。
周りの村人も、期待と不安が混じった視線を向けてくる。
俺は、少しだけ息を吸ってから、言葉を選んだ。
「この黒い石には、火力の代わりに、厄介なものが混ざっています。
硫黄ってやつです。熱すると、鉄の中に入り込んで、脆くする」
「硫黄?」
聞き慣れない単語に、いくつかの眉がひそめられる。
「さっき、砕けた鉄の断面、見ましたよね。ああなるのは、そのせいです。
鉄は熱をかければ柔らかくなりますけど、余計なものが混じると、
冷えたあと、簡単に割れるようになる」
前の世界の記憶が、自然と口をついて出る。
工場見学のあと、興味本位で調べた資料。
“鉄鋼におけるS(硫黄)の悪影響”。
「高温割れ」「赤熱脆性」という言葉。
大学を出てから入った職場で、設備保全の人間が愚痴っていた。
『原料の質が落ちると、すぐ不具合が出る。硫黄が多いロットだと、熱処理後にヒビだらけだ』
現場の声は、妙にリアルで、頭に残りやすい。
俺は目の前の炉と、砕けた鉄を見比べながら、淡々と続ける。
「燃料としては優秀です。家で湯を沸かすくらいなら、何の問題もない。
でも、鉄を打つ火として使うなら……このままじゃ、きついですね」
村長が深いため息をついた。
「せっかく見つかったのに、か。鍜治に使えねえとなると、値打ちが半分だな」
鍜治も、不満げに石炭を睨む。
「火力だけ見りゃあ申し分ねえんだがな。鉄がこれじゃ話にならん。
薪に戻すしかねえか」
周りにも、落胆の空気が広がる。
一度持ち上がった期待が、ゆっくりとしぼんでいくのが、肌でわかった。
誰かが「じゃあ、これは家のかまど用に回すか」と呟き、
別の誰かは「結局、楽はできないってことさ」と苦笑いする。
その様子を見ながら、俺は黙って炉の中を覗き込んだ。
黄色い粉。黒く焦げた石の残骸。
熱で揺れる空気。
——勿体ない。
「ダメですね」と言ってしまうのは、簡単だ。
この世界は魔法がある。
火の魔法を扱える人間がいれば、ある程度の高温は出せる。
石炭がなくても、今まで通りやっていくことはできるだろう。
でも、それでは、ここで終わりだ。
工場見学の帰り、バスの中で聞いた話を思い出す。
『石炭をそのまま突っ込んだら、鉄なんかまともにできねえよ。
いったん焼いて、不純物を飛ばしてから使うんだ。
あの黒くて硬いのが、いい火を出してくれる』
不意に、その時の技術者の横顔まで、はっきり思い浮かんだ。
——一度、焼いて、不純物を飛ばす。
脳内で、目の前の炉にフタをした絵が浮かぶ。
空気を遮断し、ただ熱だけを中にこもらせる。
石炭から煙とガスだけを追い出して、残ったものを燃料として使う。
硫黄の多くは、ガスとして抜ける。
残った黒い塊は、炎を生むためだけに存在する。
「……」
気づけば、俺は小さく笑っていた。
たぶん、周りから見れば気味が悪い笑みだ。
「おい、どうした。なにか、まだ言いたいことがあるのか」
村長の声で、思考が現実に引き戻される。
視線が一斉に俺に集まった。
俺は炉から目を離さずに、静かに言った。
「いや、まだ全部がダメだって決まったわけじゃないな、と思いまして」
「どういう意味だ?」
「この石炭を、この形のまま火に放り込むから、鉄がダメになります。
使い方を、少し変えてやればいい」
「変えるって、どうするんだい」
問いかけに、すぐに答えは返さない。
俺は、炉の上に手をかざし、やわらいだ熱を確かめる。
空気を遮断できる蓋。
煙を逃がすための細い穴。
じわじわと熱だけを与え続ける仕組み。
この村にある材料と技術を頭の中で並べて、組み合わせていく。
できるか、できないか。
ギリギリの線を探る。
——やれなくは、ない。
少なくとも、試してみる価値はある。
「勿体ないですよ、これ」
誰にともなく、ぽつりとこぼした。
「ちゃんとしたやり方で焼いてやれば、鉄を殺さない火にできます。
硫黄に仕事をさせる前に、先に追い出してやればいい」
村長が目を瞬かせる。
「そんなことが、できるのか?」
「やってみないとわかりません」
そこでようやく、俺は皆の方を向いた。
「でも……俺は、こういうのを一度見たことがあります。
“鉄を駄目にしないための石炭の焼き方”ってやつを」
その言葉に、周りがざわめく。
鍜治が面白くなさそうに舌打ちした。
「さっきから難しいことばっかり言いやがって。
試すにしても、手間も時間もかかるんだぞ」
「ええ。だから、すぐには結果は出ません。
今日明日でどうにかなる話でもない」
そこで言葉を切り、もう一度だけ、炉を見た。
黒い石。黄色い粉。熱の残滓。
どれも、ただの“失敗の後”みたいに見える。
だが、その底に、別の可能性が眠っていることを、俺は知っている。
ここから先は、ただの家事係ではできない仕事だ。
火と石と鉄を相手に、ゆっくりと、世界の形を変えていく仕事。
「でも——」
小さく息を吐いて、決める。
「もし上手くいったら。
この村の火の強さは、今とは比べものにならなくなりますよ」
誰も、すぐには何も言わなかった。
不安と期待が混ざった沈黙が、しばらく続く。
やがて、村長が苦笑いを浮かべた。
「……お前さん、変なところで目を輝かせるな。
わかった。失敗しても文句は言わん。やってみろ」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
胸の内側で、別の熱が灯った気がした。
石炭が鉄を駄目にする理由は、わかっている。
現場で愚痴っていた大人たちの顔も、まだ覚えている。
あとは、それを逆手に取るだけだ。
炉の中の黒い石を見下ろしながら、心の中で呟く。
——勿体ない。
——燃料としてのくせに、このままじゃ使い物にならないなんて。
だからこそ、手を加える価値がある。
石炭をただの“悪者”で終わらせるつもりは、ない。
「……コークスを作ろう」
誰にも聞こえないような小さな声で、そう告げた。
ここから先、この世界の火の色が変わる。
その最初の一歩が、今、目の前に転がっている黒い石だった。




