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黎明国戦記  作者: 天月


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第2話 迷いと相談、坑道の夫婦



 赤子は、あれほど泣き叫んでいたはずなのに、今は嘘のように静かだった。

 目だけが大きく開かれ、揺れる火床の明かりを追っている。

 好奇心で胸がいっぱいだと言わんばかりで、その姿に鍛冶師はますます困り果てた。


 「……どうしたもんか」


 拾った以上、放っておくことはできない。

 だが、自分のような男やもめが赤子を育てられるわけもない。

 鍛冶の道具と鉄の塊しか置いていない、煤臭い作業場で赤子を抱えても、どうしようもなかった。


 逡巡の末、鍛冶師は赤子を毛布に包み、坑道の中でも比較的にぎやかな支区へ向かった。

 そこには研師の夫婦――バルドリンとグロリアが住んでいる。

 夫のバルドリンは頑固だが腕は確かで、妻のグロリアは明るく世話焼きとして有名だった。

 困った時には、とりあえずあの夫婦に聞けばなんとかなる。そういう空気が広がっている。


 「……しかし、本当にどう説明したもんかねぇ」


 赤子は黙ったまま、鍛冶師の胸の中で丸くなっている。

 その重さが妙にあたたかく、また妙に不安を呼ぶ。


 坑道を曲がるたび、灯りが増え、岩壁に映る影が賑やかになっていく。

 鍛冶師の作業場とは違い、ここは人の出入りも多い。

 赤子を見られれば騒ぎになりかねないので、毛布の端をそっと持ち上げて隠した。


 やがて、削り場の奥から研磨石の回る音と、夫婦の声が聞こえてきた。


 「バルドリン、もうちょっと優しく削りなよ! そのままだと刃が欠けるってば!」

 「おお? わしは優しくやっとるつもりだがのう……」


 聞き慣れたやり取りに、鍛冶師は少しだけ肩の力が抜けた。


 「バルドリン、グロリア。相談したいことがあって来た」


 声を掛けると、回転石の音が止まり、ふたりが顔を上げた。


 「おや、珍しいねぇ。あんたが相談なんて」

 グロリアが手を拭いながら笑う。そして鍛冶師の胸元をちらりと見て、目を丸くした。

 「……それ、赤ん坊じゃないのかい?」


 隠しきれないと思い、鍛冶師は正直に毛布をめくった。


 赤子は、まん丸な目で夫婦を見返し、きょとんと首を傾げた。


 「……本当に赤ん坊だ」

 バルドリンが太い眉を寄せ、のぞき込む。


 「拾ったんだ。坑道の奥でな。泣いてたはずなのに、今はこの通りだ。まるで……何を考えてるのか分からん」


 グロリアはすぐに赤子を抱き上げた。手慣れたものだ。

 「ほら、怖くないよ。よしよし……って、ほんとに泣かないねぇ。赤ん坊ってのは普通、知らない顔見たら大泣きするのに」


 「……で、どうするつもりなんじゃ?」

 バルドリンの低い声が落ちる。


 鍛冶師は言葉に詰まった。

 見捨てられない――その思いだけは確かだ。

 だが、それ以上は何も考えられていない。


 「分からん。だが置いておくわけにもいかなかった。あんな所に捨てられていたら……死んでいた」


 夫婦は顔を見合わせ、短い沈黙が落ちた。


 先に口を開いたのは、やはりグロリアだった。

 「まずは安全な場所だね。それからこの子がどこから来たのか……誰か心当たりがあるのか……それを調べないと」


 「だが、この坑道に“人間”などおらんぞ。そもそも外の連中がここまで入れるような道理はない」

 バルドリンは腕を組む。


 鍛冶師も同じ疑問が胸に重く沈んでいた。

 なぜこの国に、人間の赤子がいるのか――。


 赤子は三人の重たい空気などどこ吹く風で、グロリアの腕の中で火床の灯りに手を伸ばしていた。

 まるで、光に触れようとするかのように。


 「……変わった子だねぇ」

 グロリアが、ひとりごとのように呟く。


 鍛冶師は深く息をつき、言った。


 「当面は……お前たちの家に置かせてもらえんか。わしひとりではどうにもならん」


 バルドリンは少し考えてから、重々しく頷いた。

 「まあ、お前の頼みなら断れん。わしらも驚いとるが……このまま見捨てるわけにはいかんじゃろう」


 グロリアはにこりと笑い、赤子を揺らした。

 「よし、しばらくうちで預かるよ。ねぇ、この子……ほんとに不思議だね」


 そう言った瞬間、赤子は初めて声を上げた。

 泣き声ではない。

 くすり、と笑ったような、柔らかい音。


 鍛冶師は、その小さな声に胸が揺れた。

 どうしてかは分からない。

 だがこの子を拾ったことは、きっと――何かの始まりなのだと、そんな予感が確かにあった。


 それが“黎明”の兆しだと知るのは、もう少し先の話である。


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