5. 結婚相手にお会いします。ただし、初対面ではありませんでした。
メモ_φ(・_・
・6月 婚姻の打診が来る
・7-12月 婚姻協定の取り決め
・1月、2月 準備
・2月16日 シアナさん17歳お誕生日
・3月初め エストニアス出立
・5月初め アルメリア到着
暦は太陰太陽暦(日本の旧暦)のイメージ。
月の形を元にしていて、新月の日を月の初め(一日)と数えます。
また詳しい設定まとめよ、、、
あとシアナさんはしれっと17歳になりました。
その場の空気が一段重くなったように、シアナは感じた。
その人が一歩ずつ踏み出す度に、重厚なブーツが大理石に当たる音がカツ、と聞こえる。
あまりの圧に、さすがのシアナも一瞬だけ息を詰めてしまった。すぐに持ち直して、ソファから立ち上がり、頭を下げて、相手が位置に着くのを待つ。
シアナの視界の端に、男の足が映る。机を挟んでシアナの正面に立った。
「顔を上げろ。」
永遠とも思えるような数秒の沈黙ののち、男が口を開いた。低くて静かで、それでいてよく響くような声だった。
シアナはゆっくりと姿勢を元に戻す。
男は背が高く、シアナはその人を見上げる形となった。漸く男の全貌を正面から見ることができたシアナは、軽く目を見張る。
男は普通に立っているだけのように見えるのに、その姿には奇妙なほどの安定感があった。まるで大地の底深くに根を張っているかのように、彼の重心は常に低く、腰が据わっている。
年齢は二十歳前後だろうか。その若さですでに、まさしく帝国の支配者としての威厳を放っており、その顔立ちは完璧なまでに整っているが、一切の感情が読み取れない。
彼が着ているのは、装飾の少ない機能性に特化したような軍服に近いデザインのもので、黒い外套が後ろに流れている。
この男こそ、シアナの結婚相手であり、アルメリア帝国の皇太子、レイノルド・シュテルンだった。
シアナは緊張しながら、もう一度カーテシーをする。戸籍上は既に皇太子妃シアナ・シュテルンなのだが、迷った末に取り敢えず旧姓を名乗ることにした。
「……お初にお目にかかります。エストニアス王国より参りました、第2王女、シアナ・アルブライトにございます。」
レイノルドはその一連の動作を、微動だにせずただ見つめていた。その視線は、鋭く、深く、そしてどこまでも冷たい。
「早速で申し訳ないが、婚姻協定の内容に間違いがないか、今一度確認を願いたい。」
レイノルドが腰を下ろし、シアナにも視線で座るように促した。
シアナはソファーに座り直すと、レイノルドに手渡された書類に静かに目を通し始めた。
婚姻協定は、既に取り決めが終わっていて、署名済みではあったが、シアナはもう一度注意深く内容を読む。
両国がお互いに話し合って決めた内容が、問題なく記されているのを一つ一つ確認していく。
向こうからの要求もあれば、こちらから打診したものもある。
王女が外部に出す手紙は必ず検閲されること、祝言は割愛で書類上のみ、王女の公務免除、王女が公の場に出るのは最低限、帝国は王女が静養に専念できる環境を用意する、などなど……。
そしてシアナが、その中でも特に気になるのが。
(あった。食事に関して。『体調管理のため、そちらに嫁ぐ王女が料理人と食事内容を相談できるようにすること。』。うん、大丈夫ね。)
そうして書類を確認していると、不意に、レイノルド以外の人の視線を、後ろから感じた。
シアナは思わず振り返ってそちらを見てしまったが、誰もいなかった。そして視線も一瞬で消えてしまった。
シアナは視線や気配にはわりと敏感な方だが、そこまで自信があるわけでもない。おそらく気のせいだろうと結論づけて、再び書類に目を落とした。
シアナは書類を隅々まで確認し終えると、レイノルドに返却した。
レイノルドも、シアナから書類を受け取ったその手で最終確認を始める。
レイノルドが書類に目を向けている様子を、改めてまじまじと観察する。
(そこに存在するだけで、圧倒される。想像以上に出し抜くのが難しそうかも。……それにしても、なんかこの人、どこかで見たことがあるような気が……。)
会ったことがあるとすれば、社交界などの公の場で会った可能性が1番高いが、シアナは今まで、必要最低限、数えられる程度しか公の場には出たことがない。
そして、その数度の機会のいずれにも、アルメリア帝国の皇太子はいなかったはずだ。
漆黒の髪に琥珀色の瞳。まるで夜の森に静かに佇む、黒い毛並みと琥珀の目をした狼のような……。
シアナははっとした。
雰囲気が全く違ったため分からなかったが、それは一年ほど前、エストニアス王国の市街地で偶然出会った人だ。
シアナにとって、とても面白い出会いだったため、鮮明に思い出せる。
〜・〜
エストニアス王国の離宮近くの市街地。
特に商業と農業の境界が入り組んだ、経済活動が活発な地域にて。
雑多な喧騒が渦巻くそこで、シアナは街娘シアンに変装して、運河のほとりに立っていた。
主要な運河のほとりで、農民と商人が水の配分を巡って激しく口論している。
「水車小屋がパンの粉を引くために水を使いすぎるせいで、下流の畑が干上がりそうだ。公共の福祉として灌漑用水を優先しろ!麦が枯れれば、飢えるのは市民だぞ!」
泥にまみれた農民が、水車小屋の主人に向かって怒鳴る。
「馬鹿を言え!水車を止めれば製粉が滞る。パンの原料が途絶えれば、商税が減り、街全体の活力が失われる!効率的な経済活動を優先するのが道理だ!」
上質な服を着た商人も、声を荒げてそう返す。
彼女の視線は、そこで繰り広げられる激しい口論ではなく、手に持つ配置図と農地の統計資料に注がれていた。
シアンにとって、これは感情の衝突ではなく、純粋な非効率性の問題だった。
シアンは素早く指で統計資料を叩き、頭の中で計算を回す。
年間を通して、季節ごとに水の需要は偏っているにも関わらず、配分比率が固定されていて一定なのだ。その結果……。
「……非合理的な損失が年間で大体80万ユリス相当ね。」
シアンは唸りながら、独り言を呟いた。一旦両者の感情を抜きにして、効率の良さだけを見た場合の、ただの事実の確認。
「今の配分では、どちらを優先しても損失は避けられず、最大効率が52パーセントにしかならないわ。」
シアンがそう結論づけた瞬間、隣から静かな声がかかった。
「なるほど。なら、法規を無視して強制的に水量を50対50に配分し続けた場合の、長期的な経済損失も、もう計算済み?」
「え……?」
シアンは驚き、初めて顔を上げた。
隣には、自分と同じく質素な服装をした青年が立っていた。黒い髪に琥珀色の目という、狼のような色を持っている。
その人も、シアナが見ていた配置図を、食い入るように覗き込んでいた。
シアンは、自分の思考の次の段階まで見越している人物をまじまじと見つめた。
そして、2人は周囲の口論はそっちのけで、楽しそうにその場で知恵を出し合い始めた。
シアンはその青年の問いに刺激され、新たなシステムの構築に没頭した。
「現在適応されている分配比率だと、損失が年間約80万ユリス。強制的な均等配分は、さらに農民の疲弊を招き、長期的には社会不安と税収の減少を引き起こす可能性がある。……分かった!」
シアンの目が、資料の上を滑るように動く。
「季節ごとの水需要を週単位で計算して、農業用水と商業用水、それぞれの需要に合わせて分配を変化する、柔軟なシステムを構築する。『時間差ローテーションシステム』ってとこかしら?これなら、効率が最大化できるわ。」
「確かに、それなら無駄な配分が減少するな。」
2人は興奮した様子で顔を見合わせて笑い合う。
「だが、それでは商人が不満を募らせ、必ず政治的抵抗を試みる。彼らは利益の減少を前に、暴動にも等しい反発を起こしかねない。」
青年は顎に手を置いてしばらく沈黙した後、口を開いた。
「解決するには、商人が絶対に抗えない大義名分が必要だ。……水車小屋の税制を一時的に優遇することで、配分の切り替えによる損失分を相殺するのはどうだ?」
シアンは目を見開いた。
「すごい……!私の理論は純粋な効率化を目指していたけれど、そうすれば政治的に実行出来るわね!商人を納得させるために別の取り引きを使うなんて……。」
完璧な問題の解決策が出来上がったところで、シアンは満足して立ち上がった。
「ああ、すっきりした!あなた本当にすごいわ!おかげで最高の答えが出たわね!あ、私シアン。よろしく。」
「そちらこそ、とんでもない発想が聞けて面白かった。レイだ、よろしく。」
「そう、レイ、またどこかで会えると良いわね!次も是非一緒に話し合いましょう!」
シアンは、まるで気の置けない同僚に挨拶するかのように、興奮冷めやらぬまま、颯爽とその場を立ち去り、王宮に戻ってから父王にその案を実行してもらったのだった。
〜・〜
というような出来事があったのを、シアナは思い出した。
今シアナの目の前に座っている皇太子レイノルドは、その時の青年レイとおそらく同一人物である。
その事に気付き、シアナが心の中で大絶叫したのは言うまでもない。
おかしい、、、
もっと緊張感のある場面になるはずはずだったのに。




