第六話 ――風が止んだままの朝に
丘の上の小屋を訪れたその青年は、靴の裏に乾いた砂ぼこりをつけていた。
「……占いとか信じてるわけじゃないけど。なんかもう、頼れるもん全部試してみたくなってさ」
そう言って笑ったのは、十七か十八ほどの少年。
名を「セイル」といった。
背は高く、日焼けした肌に、繕ったシャツ。
手は粗く荒れていて、何度も職を転々としてきたことが、見てとれた。
「働くのがイヤなわけじゃないんだ。ただ、何やっても長続きしなくて。鍛冶屋も、農場も、見習い兵士も……向いてない、って言われてばっかで」
セイルは笑っていたが、その目の奥には焦りが滲んでいた。
「俺だけが遅れてる気がしてさ。周りはちゃんと稼いでて、“これが自分の道だ”って胸張ってんのに……俺は、まだ何者にもなれてない」
リュミは静かに頷いて、星霊盤の上に手を置く。
星の粒が浮かび上がり、ゆっくりと軌道を描き始めた。
「セイルさんの星空には、“彷徨星”が出てる。これは、自分の行く道が定まらないときに出る星。でも……その周囲に、“観察星”と“創生星”があるわ」
「それって、どういう意味?」
「“見ること”と、“形にすること”が得意な人に出る星。たとえば、周りの人の感情を感じ取ったり、工夫してものを作ったり……そういう才能がある人」
セイルは目を丸くした。
「……そんなの、ただの器用貧乏ってやつだろ? なんでも中途半端で、“これだ”って道がないから、今こんなふうに……」
その声に、少し怒りが混ざった。
リュミは静かに答えた。
「自分に“特別な光”が見えないとき、人は“何もない”って思ってしまう。でも、あなたはちゃんと、自分の足で動いてきた。いくつも仕事に挑戦して、迷って、それでも止まらなかった。それって、すごいことよ」
「でも結果が出なきゃ、意味ないだろ?」
「じゃあ、ひとつ質問してもいい?」
「……なんだよ」
「セイルさんは、どんなとき、“ちょっと楽しいかも”って思った?」
その問いに、セイルはしばらく黙った。
そして、照れくさそうに答えた。
「……鍛冶屋のときかな。店主が壊れた扉の修理任せてくれて、“あとはお前に任せる”って言った日。あれ、ちょっとだけ、自分が“信じられた”気がした」
「それが、ヒントかもしれない。あなたは“任される”ことで、自分の価値を感じられる人。そして、“直す”ことに喜びを見出せる人。――“直し屋”っていう仕事、聞いたことある?」
「……古道具を直したり、壊れた道具を魔道具職人に届けたりする人、だろ? あれって……職人でも商人でもない、どっちつかずの仕事じゃん」
「だからこそ、誰もができるわけじゃないの。あなたみたいに、色んな現場を知っていて、手を動かせて、人の話をちゃんと聞ける人にしか、できない仕事」
セイルは息を飲んだ。
その肩から、少しだけ“張っていたもの”が崩れたように見えた。
「……誰にも、そんなふうに言われたこと、なかった。全部中途半端で、“器用だけど浅い”って。それでも……俺にできる道があるって、思っていいのかな」
「ええ。星が教えてくれるのは、未来じゃない。“あなたの持っている種”なの。どんな芽を出すかは、あなたが選べる」
沈黙が流れた。けれど、それは重くなかった。
セイルは、ふっと笑った。
「……あんた、すごいな。星なんか見てるのに、ちゃんと“人”を見てる」
「星を読むって、結局は“その人の心の地図を探す”ことだから」
「……じゃあ、今日から探してみるよ。俺だけの地図」
立ち上がったセイルの背には、来たときにはなかった風が吹いていた。
* * *
数か月後。
リュミのもとに、ひとつの木箱が届いた。
中には、丁寧に直された小さな椅子と、手紙が入っていた。
リュミへ
あの後、直し屋の工房に弟子入りできた。まだまだ修業中だけど、“お前の手には、人を安心させる力がある”って言われたよ。
あんたがくれた言葉が、俺の地図になった。
ありがとう。また、何か直すものがあったら言ってくれ。
リュミは椅子をそっと撫でて、空を見上げた。
曇り空の向こうに、小さな星が光っていた。