第五話 ――遠すぎる星に、手を伸ばして
その少女は、占い小屋の扉を勢いよく開けて入ってきた。
リュミが声をかける前に、「ほんとはこんなとこ来たくなかった」と、吐き捨てるように言った。
年の頃は十五、六。短く切った黒髪に、鋭い目つき。薄く色づいた唇には、どこか反抗の気配が残る。
けれどその指先だけが、不自然に力を入れて握られていた。
「……母親と、もう話したくない。顔も見たくない。っていうか、ずっと前から、うまくいってなかったんだけどさ。いまさら“わかってあげて”とか、言わないでよね」
少女は自らを「エレナ」と名乗った。町の西端にある商家の娘だという。
「母親は“良かれと思って”って言うけど、それって全部、自分の思い通りにしたいだけじゃん。わたしの将来も、性格も、服の好みまで口出して。わたしはわたしなのに」
「だからここに来たの?」
「……うん。ここなら、母さん知らないし。あと、星ってさ、嘘つかないって聞いたから」
エレナは顔を逸らしながら言った。けれど、その声は確かに、何かにすがっていた。
リュミは静かに頷いて、魔道具《星霊盤》に手をかざす。
淡い星の光が、彼女の運命を描き始めた。
「……エレナさんの星空には、“逆風星”がある。これは、自分の中に強い意思があるときに出る星。でも……そのすぐそばに、“呼応星”があるの」
「なにそれ?」
「本当は、誰かと“分かり合いたい”と願ってる星。たとえその願いが、うまく言葉にできなくても――心の奥では、まだ繋がりを探してる」
エレナの眉が、わずかに揺れた。
「そんなの……無理だよ。わたしが何言っても、母さんは“反抗期”とか“口ごたえ”って決めつけて。言えば言うほど、全部ねじ曲げられる。だからもう……話したくない」
「話したくない、って気持ちも、きっと伝える価値があるわ。でも……あなたが本当に伝えたいのは、“話したくない理由”のほうなんじゃない?」
「……っ」
エレナは言葉に詰まった。
「言葉って、うまく出ないときほど、本当の気持ちがある。でも、相手にぶつけるだけじゃ、届かない。だから、星は“間に立って”くれるの。あなたの想いが、ただの怒りじゃないことを、伝えてくれる」
「でもさ、うちの母さんは、“占いとか信じない”ってタイプなんだよ」
「それでも、言葉を選んで届けてみて。それが、誰かと繋がる第一歩になる」
しばらく沈黙が流れた。
やがて、エレナは、震える指で髪の先をつまみながら、ぽつりと漏らした。
「……ほんとはさ。小さいころ、母さんに髪を編んでもらうの、好きだったんだ。痛いなーとか思いながらも、なんか……安心してた」
その声は、怒りよりも、ずっと深い場所から出ていた。
「でも今は、“その時間が欲しい”って言うと、“そんな暇あるわけないでしょ”って言われる。……たった一言で、全部切られた気がして」
リュミは星霊盤の光を指差した。
「“断絶星”と“接近星”が重なってる。今は離れてるけど……近づく可能性が、ちゃんと残されてる」
「……じゃあ、星は、わたしに“がんばれ”って言ってるの?」
「いいえ。“あなたはもう、ちゃんと想ってる”って教えてくれてるの。大丈夫、伝えようとするあなたを、きっと母親も、心のどこかで待ってるわ」
それは“肯定”だった。
これまで誰にもされなかった、“ぶつかる前提の気持ち”の肯定。
エレナは、深く息を吐いた。
「……じゃあ、手紙、書いてみようかな。口じゃどうしても言えないから」
「いいと思う。たった一言でもいい。“私は、あなたの言葉に傷ついた”でも、“まだ本当は、話したい”でも」
「……うん。ありがと。なんかさ、リュミって、星じゃなくて、“わたし”を見てくれてるって感じする」
そう言ったエレナの目に、微かに潤みがにじんでいた。
* * *
数週間後、エレナがふたたび小屋を訪れた。
「……手紙、書いたんだ。そしたらさ、母さん、返事くれた。“あなたの本音に、気づけてなかった”って。びっくりしたよ。ちゃんと……泣いてた。母さんが」
エレナは、少し照れくさそうに笑った。
「わたし、母さんと完全に仲直りできたわけじゃないけど……それでも、“話そうとする時間”は、できたかも」
リュミは、そっと微笑んだ。
「星は、すれ違いを完全に消してくれるわけじゃない。でも、“話す勇気”をくれるの。あなたが、それを手に入れたのよ」
エレナは頷いた。
その背中には、もう棘のような孤独はなかった。
ただ、遠くの星に手を伸ばすような、静かな強さだけが残っていた。