第十二話 ーーその扉の向こうへ
小屋の扉が、静かに開いた。
冬の風が吹き込み、火鉢の火がふるりと揺れる。リュミは、いつものように振り返って言った。
「こんにちは。どうぞ、こちらへ」
そこに立っていたのは、年のころは二十代半ばほどの女性だった。厚手のマントに身を包み、フードを深くかぶっている。部屋の温もりにも関わらず、その手は小刻みに震えていた。
「占いを……していただけますか?」
「もちろんです。お名前を、伺っても?」
「……リアと、呼んでください」
椅子に腰かけた彼女は、まるで音を立てないように息をしていた。まるで自分の存在を誰にも知られたくないような、そんな佇まい。
リュミは、黙って星霊盤に手をかざす。盤の中心がかすかに光を帯び、ゆっくりと星が回り始める。だが、その軌道はところどころ欠けていた。断ち切られたような光の筋。それでも、内側には確かな希望の欠片が残っている。
「……リアさん。いま、どこかに“戻らないといけない”と思っている場所がありますか?」
リアの肩がびくりと揺れた。
「――いえ。戻りたくない、です。でも……あの人が、また探しに来るかもしれなくて……」
“あの人”という言葉に、どこか怯えた色がにじんだ。リュミはうなずく。彼女が何から逃げてきたのか、言葉にしなくても、星が教えてくれていた。
「怖かったんですね」
「……はい。長い間、怒らせないようにって思って暮らしていました。でも、それでも――だめだったんです」
リアの声は、かすれ、今にも消えそうだった。
「勇気がいったと思います。逃げるというのは、弱さじゃなくて……強さです」
リアは、かすかに眉をひそめた。
「誰も、そう言ってくれませんでした。みんな……我慢すればいい、って」
「我慢しなくていいんです。あなたは“生きる”ために、自分を守ったんですから」
リュミは、棚から一冊の小さなノートを取り出した。
「これ、私が書いた“星の記録”です。弱ってる星が、どうやって輝きを取り戻していったか、いくつも書き留めています。よかったら、読んでみてください」
リアは、それを受け取り、しばらく黙ってページをめくった。すると、涙がひとすじ、頬を伝った。
「誰かのこと、書いてあるのに……まるで、私のことみたいで……」
「それはきっと、あなたの星が、その人たちの光と重なったんです」
リュミは続けた。
「逃げることは“終わり”じゃなくて、“始まり”です。あなたは、もう扉を開けた。ここから、あなた自身の物語が始まるんです」
リアはしばらくの沈黙ののち、ふっと肩の力を抜いた。そして、少しだけ笑った――泣き顔のままで。
「……また、来てもいいですか?」
「もちろん。夜でも、嵐の日でも」
「……ありがとう」
リアは立ち上がり、星霊盤の光をひと目見てから、小屋を出ていった。去り際の背に、リュミはそっと手を合わせ、星に祈る。
――もう、誰にも傷つけられませんように。
――彼女が、自分の光を取り戻せますように。
風が止み、星霊盤が静かに光った。
それは、誰かが前へ進み始めたことを告げる、小さな始まりの灯だった。