第十一話 ーー小さな傷の、その奥に
街はずれの丘の上に、今日も冷たい風が吹いていた。
占い小屋の扉が開いたとき、リュミは珍しく顔を上げるのに時間がかかった。焚いていた薬草の香りが風に散って、そこに立っていたのは、まだ少年と呼んでいいくらいの年の少年だった。
「……ここ、占い……してくれるとこで、あってますか?」
くしゃくしゃの髪に、少し痩せた体つき。袖の長い上着は何度も洗ったせいか色があせていた。リュミは静かにうなずき、扉を開けたまま言った。
「はい。よければ、中へどうぞ」
少年は警戒するように中を見渡しながら、そっと足を踏み入れた。名前を聞くと、彼は少しだけ躊躇ってから、小さく答えた。
「……ルシアン、っていいます。ルシって呼ばれてます」
リュミは彼の前に星霊盤を置き、いつものように問いかけた。
「ルシさん、今日は、何を知りたいですか?」
彼はしばらく黙っていた。俯いたまま、答えは返ってこない。けれどその沈黙のなかで、リュミは袖の隙間から覗く、うっすらと赤くなった手首に気づいた。
それは、古い傷跡と新しい痕が混ざった、痛々しい印だった。
「……何か、つらいことがあったんですね」
そう声をかけると、ルシの肩がぴくりと揺れた。
「占い師って、なんでも見えるんですか?」
「……いいえ。ただ、星は、心の中を映す鏡のようなものです」
彼は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「家では誰も僕の話を聞かないし、学校でも浮いてて……。いつからか、傷をつけると、ちょっとだけホッとするようになったんです。……ああ、まだ生きてるんだなって」
リュミは、すぐに言葉を返さなかった。ただ静かに、星霊盤に手を置く。そして、盤の光がゆっくりと回り出す。
ルシの星は、最初は不安定に震えていた。だが、奥のほうにかすかな、でも確かな“光の筋”が浮かんでいるのをリュミは見た。
「あなたの星は、いま、迷いの中にいます。でも――消えてはいません。心のどこかで、“助けてほしい”って叫んでいる光が、ちゃんと残ってる」
「……そんなの、甘えじゃないですか?」
「甘えじゃありません。助けを求めることは、生きようとする意志です」
ルシは唇を噛んだ。
「それでも、誰にも言えないんです。こんなこと、気持ち悪がられるだけだから」
「私は、気持ち悪いなんて思いません。……だって、ルシさんは、それだけつらかったんです」
小屋の中に、しんとした空気が満ちていた。窓の外には、冬の星がかすかに揺れていた。
リュミはそっと、棚から薄い布を取り出し、それをルシの手に渡した。
「これは、うちの師匠がくれた包帯です。怪我したときにも、心が痛いときにも、これを巻いて“これから治す”って宣言するんだよって、教わりました」
ルシはそれを受け取り、ぎこちなく笑った。
「……おまじない、みたいですね」
「ええ。おまじないでも、ちゃんと効果はあるんですよ」
星霊盤が、かすかに強く光った。ルシの星が、ほんの少しだけ軌道を変えたのを、リュミは見逃さなかった。
「また来てくれるとうれしいです。何か話したくなったときでも、黙っていたいときでも、構いません」
ルシは、少しだけ戸惑った顔で、それでもしっかりと頷いた。
「……はい。じゃあ……今度は、ちゃんと元気なときに来ます」
そう言って、小さな背中が扉の向こうへと消えていった。
その後ろ姿を見送りながら、リュミはそっと星霊盤に手を重ねた。
ほんの少しでも、自分の光が誰かの夜に届いていたら――
それだけで、十分なのだ。