第十話 ーー揺れる星、答えはまだ遠く
街はずれの丘にある占い小屋の扉が、いつものように小さく軋んで開いた。
リュミは焚いたばかりのハーブの香りが空気に溶けるのを感じながら、ゆっくりと顔を上げた。立っていたのは、年のころは二十前後の青年だった。灰色の上着の裾にはほこりが付き、書き物に使うインクの染みが、袖に薄く残っている。
「ここ……占い、してもらえるんですよね」
彼の声は、どこか自信なさげだった。
リュミは静かにうなずき、彼を奥の椅子に案内した。
「お名前を、お聞きしてもいいですか?」
「レオンです。レオン・ミレイユ。田舎の出で、大した家じゃないですけど、役人を目指して……いや、目指してたんです」
「目指して“た”?」
「……たぶん、今年も落ちます。三度目なんです。親にも『もういいんじゃない?』って言われて……努力してるはずなのに、結果が出ないって、こんなにきついんですね」
俯いた彼の目は、まるで夜明け前の空のように曇っていた。
リュミはそっと《星霊盤》に手を伸ばした。
机の中央に置かれたその魔道具は、星々の軌道を織りなすように、静かに光を帯びて回転し始める。レオンの指先が、わずかに震えた。
「今から、あなたの“星のかたち”を読みます。未来の結果ではなく、いま、あなたの中にあるものが、星霊盤に映るのです」
やがて《星霊盤》の中心に、ゆるやかな光の螺旋が浮かび上がった。
それはひとつの星座を描き、そして途中で道が消えていた。
「……星の軌道が、途切れてる……?」
リュミは首を横に振った。
「途中で止まっているのではなく、“歩みをためらっている”状態です。進みたいのに、進めない。怖いのか、自信がないのか、それとも……」
レオンは力なく笑った。
「たぶん、全部です。自分なりに頑張ったつもりなんですけど、筆記も面接も上手くいかなくて……親戚には『手に職つけた方が早い』って笑われました」
「じゃあ、もし今、“やめたら”って誰かに言われたら、どうしますか?」
「……たぶん、やめちゃうかもしれません。これ以上落ちたら、もう立ち直れない気がして」
《星霊盤》の光が、ふと揺れた。その揺らぎに、リュミは言葉を添えた。
「でも、あなたの星は完全には消えていません。止まったように見えても、光はまだ、奥に残っています」
「……どうして、そんなことがわかるんですか?」
「占い師だからです。でも同時に、人の心を少しだけ信じているから。たとえば、今こうして来てくれたことも、星にとっては大切な一歩です」
レオンの唇が、少しだけ震えた。
「リュミさんって、不思議ですね。僕がこんなに弱音吐いても、責めないし、無理に励ましもしない」
「そうしなきゃ、見えなくなるものがあるからです。私は、“心の星”を読むのが仕事だから」
沈黙が流れた。だが、それは重苦しいものではなく、あたたかい光に満ちていた。やがてレオンは、深く息をついて立ち上がった。
「もう一度だけ、やってみます。……今度こそ、何かをつかめるかもしれない。いや、つかめなくても、自分で終わらせないために、もう一回やってみたいって、思いました」
リュミはうなずいた。
「星は未来を決めるものじゃありません。今の心の向きが、星のかたちを変えていくんです。がんばってください、レオンさん」
レオンは、小さく笑った。
「ありがとうございます。……また来てもいいですか? 次、落ちてたら笑ってやってください」
「ええ、星霊盤も、きっとまた動いてくれますよ」
青年は、丘を下りていった。背筋はまだ頼りなかったが、その足取りには確かに、迷いを断つ小さな強さが宿っていた。
残されたリュミは、そっと空を見上げる。
薄曇りの向こうに、ほんの一瞬だけ、星の光が瞬いた気がした。