神と天才
「あのバカ、こっちの苦労も考えろっつってんの」
総長室を去るとき、ボソッと愚痴った声を聴いて何も聞かなかったことにしようと僕は今、剣術の鍛錬に励んでいます。南さんへの愚痴は堪忍袋の緒が切れたせいなのかだいぶ苛立ちのこもった声なので勘弁してほしいです。確かに部下が問題を起こして僕が責任を負うことになったら多少はイラつきますがあのキレ具合は相当なものです。
何故敬語か、訓練の相手に説明しているからです。「幹部 赤羽修次」
僕の上司です。事の発端は同期の麻薬局の東京信也と剣術の特訓をしているときに赤羽幹部に
「よお!顔色悪いけどどうかしたのか?」
圧がすごくて正直に話すしかなかった。マジでこれだけです。これが今僕が敬語で話している理由です。
「そういうことだったのか~、顔色悪かったから無理しているのかと思ったよ。そのせいで作業に支障が出たら懲戒処分が下るからね。もしそうだったら強引にでも休ませようとしたんだよ」
「そんな無理は……してないといえば嘘になりますが、少しはしないと書類整理が終わりませんから」
「まあね、でも今は昔に比べたら天国だよ」
「そうなんですか?」
「昔はね、血反吐を吐いて書類整理をやっていたからね。腕が腱鞘炎になったり指が疲労骨折したり、書類を出そうとしたら上司が過労で気絶していたから昔に比べたらほんとに楽になったもんだ」
「比喩ですか?」
「そう思うかい?」
ですよね。比喩なわけがない。もし自分たちの時代がそうだったらと思うと背筋が凍る。
「麻薬局はどうなの?」
「大体そんな感じです。昔が今に感じますね」
後でかつ丼奢ろう。そう心に決めた。
「その話は置いておき、僕と五本勝負でやってみないか。強そうだから」
「僕ですか?」
「当たり前だ、東京は寝てろ」
「上司命令ですか?」
望んでいたかのような声で休む正当な理由が欲しいのか上目遣いで東京が赤羽幹部に聞いてきた。
「そうだけど、それが?」
「了解しました。お心遣い感謝いたします」
そう言葉を残し、去り際に小さくガッツポーズをしているところを見るに、待ち望んでいたんだなと感じた。麻薬局ってそんなにブラックだったっけ?非番の穴埋めなのかな?まあ、あとで聞いてみよう。
赤羽幹部が剣を構えた。ここの剣術を使った戦いの仕方は、互いに息があった瞬間に始まる。相撲と同じルールである。互いに足を動かした。最初に切りにかかったのは赤羽幹部だった。それを軽く受け流そうとすると思ってもみなかったことが起きた。
受け流した直後に隙ができたので、思いっ切り切りにかかったのだが何か悪寒がしてとっさに後ろに下がった。するとその直後にとんでもない速さで燕返しが来て顔を剣がかすめたのだ。速すぎて見えなかった。相手はこの攻撃に気付かれたことは予想外だったのか同じようにとっさに後ろに下がった。
間ができた。今度はこちら側から切りにかかった。防具はないので急所への突きは禁止である。木刀とはいえ、急所に当たれば突いたところが悪ければ即死である。ならば狙うのは当たれば死なずとも戦線離脱は免れない場所。小手である。鍔迫り合いにして、押して、その隙に小手を狙おうとした。しかし、僕は勘違いをしていた。鍔迫り合いになって押して試合で勝てるなどという甘い予想を木端微塵にしてくれた。押し合いになった途端に一気に床に吹き飛ばされてしまった。キョトンとしているところを見るにこの程度で吹き飛ぶとは思わなかったのだろう。
最後に面を食らい、負けてしまった。
感想戦に入ると赤羽幹部は
「押されたとしても鍔迫り合いが君、上手くなかったから剣で横にはじいたら面で終わりだったよ」
とんでもないことをしてしまったと思う。突きがないから今回の作戦が成立したが、突きがあったら確実に即死だったし剣をかじったばかりの僕が鍔迫り合いをすることができるはずもないのだ。つくづく慢心していたと痛感させられた。
「でもね、びっくりしたよ。僕の燕返しに反応するなんて化け物だよ。初心者で兄さん以外に避けれた人は誰もいない。素質あると思うよ」
「お兄さんがいたのですか」
「そうだよ、嫉妬するぐらい上手い人でね。剣道を始めて一か月足らずで全国準優勝なのだから」
「それはすごすぎますね」
「陸上の世界大会で世界記録総なめして、高校時代には、サッカー部やバスケ部、バレー部、ラグビー部、野球部の助っ人として出て、全部優勝するものだから……よく僕は兄の二番煎じなんだと自分を卑下していたと思う。でも例え兄さんが神に選ばれし天才であったとしても、双子の弟として対等にはなりたかった」
「……」
「でも気づいた。彼は神であって僕は人間の内である天才の領域を抜け出すことなどできないということを」
「自慢ですか?」
少し、イラっとしてしまった。才能のある人には凡人の考えなど理解できないのだろうと。自分を天才と語る赤羽幹部に多少の怒りを持った。でも次の話で彼の言っている意味がようやく分かった気がした。
「自慢さ、でも……兄さんは僕と違ってその才能を欲して得たわけではなく生まれつき得たものであって自慢する意味がなかった。自慢したって『それは当たり前でしょ』って誰も褒めてくれないのだから。多少の才能を持っている人や、努力して成り上がった人にはみんな褒めてくれても、兄さんは誰も褒めてくれなかった。それほどまでに勝ち続けたのだから。僕は自慢ができる。ということはだ。所詮僕にはそこまで勝ち続ける実力も経験もないってことさ」
勝ち続ける。仕事上これは絶対のことだ。でも、できて当たり前と感謝されなくなるほど圧倒的に活躍し続けて、辛いと思う。そのお兄さんは……
「結局僕がこっちに召喚されてしまってそのあとのことは知らないけれども、兄さんは『スポーツってこんなにも孤独だったっけ』って部屋で呟いていたな。勝ち続ける覚悟ってできそうでできないものなんだなって身をもって教えられたよ。君にはそういう覚悟はなさそうだし、持つ必要もないけど、当たり前は少し凄いと思ったりしてあげなさい。やろうと思えばできるものとはかけ離れているから」
やっぱりそのお兄さんについては理解しきれないし自慢は少し気に食わないものだが、圧倒的に勝ち続けるというのは、精神的にも凄まじいと感じる。神は神でその人の悩み事があるのだと思う。
「ちなみに全国優勝したのは俺だ、でも忖度されて勝ったから今でも兄さんは許していないよ」
その部分に関しては同感だった。
「剣道歴十四年の僕に勝ってしまうのが気が引けてしまったのかもね。少し剣を止めてしまったんだ。その隙をついて勝ったんだけど、『人生最大の不覚』って兄さんは悔しがっているところを見るにまだ未経験だと感じさせられたな」
ツッコませていただきたい。未経験で全国は無理があるって。
この数日後に東京が実戦形式の戦いで赤羽幹部を追い詰めたのはまた別の話。
思えば僕が覚醒したときに真っ先に思い出した話題は、赤羽幹部のお兄さんのお話だった。孤独という世界はこういう境地になっていくということをそのとき、本当に理解したんだなと思う。その孤独になった経緯が違ったとしても。