第8話 陰謀の香り
2階は4LDKだった。きちんと片付いていて樹里が案外几帳面なことに千沙は気づいた。イケイケな人は苦手なので千沙には却って都合が良い。トイレとお風呂、洗面所を案内した後に、リビングダイニングに面した千沙の部屋の扉を開ける。
部屋は5畳程度の洋室。隣は樹里の寝室だと言う。部屋にはベッドと机椅子、本棚が並んでいる。何れもナチュラルアンティーク調で樹里の趣味なんだろう。クロゼットは造り付けで、この他、美容室のものを縮小したようなドレッサーが置いてあった。
「家具の中は空っぽだから、千沙が自分で入れて頂戴。ハンガーとか足りなかったら言って」
樹里は積み上げられた段ボールを指さした。予め絹が送ってくれたものだ。
「そうそう。制服は貰って来たからクロゼットに掛けてある。一度袖を通しておいた方がいいよ」
樹里がクロゼットの扉を開けると、ブレザーとスカートが掛かり、ブラウスと水色のリボンが置いてあった。
「夏服とベストは5月頃になるってさ。靴や靴下は何の制限もなくて、髪も自由だって。ネイルも授業や部活に支障なかったらいいらしいけど、部活やってる子は殆どしてないって。緩い校風だけど、自由にすると却ってみんなちゃんとするらしいよ。今の若い子ってしっかりしてるわ。ほんじゃコーヒー入れたら呼ぶから、それまでは荷物の整理をしてて。あ、そうだ。絹姉は和室に寝てね。布団はレンタルで悪いけど」
チャキチャキまとめると樹里は部屋を出た。千沙は座り込んで制服を見つめる。絹がそっと千沙の肩に手を掛けた。
「最初は気を遣うだろうけど、樹里はさっぱりしてるから心配要らないよ」
「うん。何かそんな気もして来た」
「いざと言う時には頼りになるんだ。ちょっと年の離れたお姉ちゃんだと思いな」
「うん」
千沙の肩には母の掌の温かさが残った。
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その夜は3人で近所のイタリア料理店に行った。帰宅し入浴後、千沙は荷物の整理、絹と樹里姉妹はダイニングでお酒を飲みながら美容師談義をしている。半分開いた扉の隙間から会話が洩れて来る。
「えー、ソバージュってまだあったっけ?」
「意外とあるのよ。80年代みたいに全部ユラユラじゃないけどさ、ショートボブの毛先をソバージュっぽくすると結構似合うと思うんだよね。最初に見た時からそう思ってる」
「学校が良ければいいけどね」
「だから規制ないんだって。元々彼女、茶髪じゃん。似合うと思うよ」
「あー、あれは色が抜けたんだよね。毎日海見てるから」
「そうなのか」
ん? 誰の話だ? 千沙には話の欠片しか聞こえない。
「ま、新作試す分にはいいけど、それで家賃チャラね」
「うわ。鬼」
「いいじゃない。生活費は入れるからさ。お小遣いも持たせるし」
何だか剣呑な話に聞こえなくもないが、お小遣い、幾らだろう。すると二人の声のトーンが急に低くなった。
「手伝ってもらう分には、ロードに応じてバイト代払うつもりよ」
「手伝うと申すは、そちの副業の方かね?」
「左様。期待しておるのはそちらでござるよ。若さゆえ体力も豊富、JKなら怪しまれなくて済むでござる」
何の話なんだろう。まるで悪代官と越後屋の会話だ。副業って何? 怪しまれるようなこと? なんだか陰謀めいてる。あたし、そう言うのムリだけど…。
「ふっふっふ」
「はっはっは」
「そちも悪よのう」
「褒め言葉と取らせて頂こう」
新しい教科書を本棚に並べる千沙の背中を、寒気が駈け上った。