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怖がり屋さんは失せもの探偵  作者: Suzugranpa
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第79話 海峡

 時は経って、それから十数年後の長崎市内。


+++


 今では『スタジオ・チサ』に看板が掛け替わった建物には春の夕暮れの陽射しが柔らかく注いでいる。


「有難うございました」


 外に出て常連客を見送った長沖千沙は、店内に入ると手を上げて伸びをした。今日はこれが最後のお客さまかな。千沙はカット席のクロスを片付け、箒を手に床掃除を始める。すると2階の住居からトコトコと階段を降りる音が聞こえ、店舗との通用扉がカチャリと開いた。


「よいっしょ。ふう。ママぁー」


 顔を覗かせて千沙に呼びかけたのは、来月小学校入学を迎える愛娘、長沖(ながおき) 沙知(さち)。両手には優しいパステルカラーのランドセルを抱えている。


「ママ、これ、ランドセルにつけるの?」


 沙知が見せたのは四角い小さな布袋だった。千沙は、掃除の手を止めて沙知に歩み寄る。


「うん、そうよ。さっちゃんにはちょっと難しいかな」

「ふうん。これなぁに?」

「お守りよ。ママがつけてあげるね。ちょっと待って」


 千沙は店の外に出ると、扉にぶら下がっているサインを“Closed” に替えた。もう二十年以上使っている代物だ。そして待ち合い用のソファに沙知を座らせると、手作りらしい布袋を開き、中身を手のひらに取り出した。沙知が怪訝そうな顔で覗き込む。


「おかね?」

「そうね。と言っても使えないお金。何て書いてあるか読める?」


 沙知はその銀色の丸いものをじっと見る。唇が動いている。


「えっーと、いち さち。 さち?」

「そ、さっちゃんのお名前ね」

「へえ すごーい!」


 千沙は優しく、沙知を見つめる。


「これはね、ママが幼稚園の時に作ったの」

「ママがぁ?!」

「きっと、その時からさっちゃんが産まれてくるのが判ってたのかな」

「すごーーい!」


 沙知はボトムが緩やかに巻かれた髪を手で払うと、親指と人差し指でコインを挟み、目の前に翳した。その瞳が眩しそうに、自分の名前の入ったコインを見つめる。


「鳥さんが、海を飛んでるぅ」

「良く解ったね。きっとこの海はね、おじいちゃんちがある島の海なのよ」


 この海を渡ったのは十数年以上前のことなのだ。ムッシュと絹は、朔と千沙の結婚を機に、美容室の建物を二人に譲り、梅島に戻っていた。北蘭高校を卒業後、専門学校に通ってスタイリストを継いだ千沙は、スタジオ・チサのオーナースタイリストになっていたのだ。


「じゃあ鳥さんはウミネコさんでしょ?」

「そうかもね」


 千沙は娘を微笑ましく見る。その時、左手首に軽い振動が走った。


「ん、ヴォイスメッセージ?」


 千沙は手首を見る。そこには、思い出の組紐に縁どられたシート状のディスプレイが、まるでブレスレットのように巻き付けられている。昔で言うスマホである。軽く触れると音声が聞こえる。パリに住む、今やママ友の未来の声だった。


『ちさー、元気? お店はどう? さっちゃんも元気かな? ついでにサクも稼いでる? 今度のバカンスにさ、ソーラーボートでドーバー海峡を渡ることにしたの。クミが怖がり屋さんだからさ、断固拒否ってたのよ。でも長崎の千沙ちゃんも怖がり屋さんだったけど、思い切って渡ったら幸せになったのよーって言ったら、クミもやってみるって。昔の千沙のお陰だよー。そいで樹里さんもさぁ、シルヴィー連れて追いかけるって無謀なことを画策してるのよ。シルヴィー80歳越えてるからさぁ…』


 相変わらず賑やかなこと…。朔が考えたネーミング法則が気に入って、未来もフランス人の旦那を説得して娘を『クミ(玖未)』と名付けた。シルヴィーが曾孫のように可愛がっていると言う。


「未来ちゃん、なんて言ったの?」


 沙知が聞く。


「クミちゃんがね、今度のお休みに小さなお船で海を渡るんだって。クミちゃん怖がり屋さんだから大冒険って話」

「ふうん。いいなぁ」

「そうねぇ、さっちゃんも大きな海を越えようね」

「うん! でも、ちょっとこわい…」

「大丈夫。初めは誰もが怖いけど、越えてみたら『越えてよかった』って思うものなのよ。それにこのお守りを持っていたら絶対大丈夫」


 千沙は沙知が摘《つま》んでいる『1さち』コインを指した。沙知が真面目な顔で頷いている。



千沙は瞼の裏に梅島との間の海峡を思い浮かべた。高校進学以来、目を瞑って幾度となく渡ったあの海峡。今もきっとウミネコがお魚を捕まえて小さな水飛沫を上げているあの海峡。今度は沙知と手を繋いで、ちゃんと前を見て、渡ってみよう。


 コインを摘んだままの沙知は早くも緊張気味だ。千沙は微笑んだ。


「やっぱり怖いよね、海を越えるのって。でも、頑張って一緒に越えてみようね。そしたら・・・そしたら、いつのまにか失くしてた何かが、また見つかるかも知れない」


 怖がり屋さんの母親は、すっかり自分に似た怖がり屋さんの娘の髪を優しく撫で、自分にも言い聞かせた。


 目の前のテーブルでは、受け継がれた


『失せもの探します』


のアクリルプレートが、窓から射し込む夕日を優しく照り返している。


                         【おわり】


挿絵(By みてみん)


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