第77話 プロヴァンスの風
4月中旬、パリ市15区の美容室、ラ・ミストラルの店内で、ムッシュ・ヴェントはスタッフの前で咳払いをした。隣には、前日到着したばかりの樹里が立っている。
「こちらが新しい店長だ。北風樹里、もしくは ジュリ・ルフェーブル。俺の姪っ子になるが腕は確かだし、マネジメントには厳格だ。俺より立派な店長になることは間違いない」
緊張の面持ちのスタイリストたちも一瞬頬を緩める。
「日本生まれたが、フランス語は堪能だ。苗字で判るかも知れないが、あのシルヴィーの娘さんだからな」
一同からどよめきが洩れた。なんだ、そうなのか…、じゃあ大丈夫だ。一同なりに、東洋からやって来たフランス人っぽい女性スタイリストを前に緊張していたのだ。
「と言うことだから、仲良くやってくれ。それからこの機会に披露すると、この店の名前はジュリの苗字から頂いている」
また一同からどよめきが洩れる。脇で聞いていた未来が声を上げた。
「そうなんだ! なんか意味が変だなーって思ってたんですよ。ミストラルってプロヴァンスに吹く風ですよね。パリには関係ないのになーって」
ムッシュは顎髭を撫でた。
「ご賢察だね。アルプスからプロヴァンスに吹き下ろす北風だ。ジュリの日本での苗字の意味は『ラ・ミストラル』なんだ」
マダム・ミストラル・・ 誰かが呟いた。
“Je n'ai pas si peur( そんなにおっかなくないよ ) ”
樹里が初めて口を開き微笑む。スタッフ一同の顔にも微笑みが拡がった。
千沙から聞いていたけど、カラコンを外した樹里さんは日本人に全く見えない。けど、何だか上手くいきそう。未来はジーンズのポケットに忍ばせている2枚のコインをぎゅっと握った。
未来の幸せはすっぽり未来の掌に収まっている。




