第69話 パリ滞在
梢や高岸さんの予想通り、千沙は難なくパリに着いていた。初めての飛行機も観覧車の延長と考えるとさほど怖くはなく、シャルル・ド・ゴール空港では日本人グランドスタッフに聞きまくって無事に通関し、待ち受けた未来にハグされた。
未来の下宿、美容室ラ・ミストラルでは日本人店長、ムッシュ・ヴェントに温かく迎えられた。ムッシュ・ヴェントは口数こそ少なかったが、初めて海外にやって来た千沙に、細々と注意を払い、未来の居室の隣のストックヤードにソファベッドや使っていないドレッサーを持ち込んで、滞在部屋を作ってくれた。そして翌日から未来は、近くのエッフェル塔を皮切りに、主な観光スポット案内を始めた。
千沙には初めてと言ってよい『観光旅行』だ。エッフェル塔は待ち行列が長くて下から眺めるだけだったし、ルーブル美術館は広すぎて迷子が恐く、ゆったりと作品鑑賞は出来なかったが、凱旋門を見上げてため息をつき、修復中のノートルダム寺院を眺めて心を痛め、シャンゼリゼ通りをフルに歩いてへこたれたりした。
千沙もカタコトで自己紹介が出来るようになった4日目、未来は千沙を運河散歩に連れ出した。
「セーヌ川もいいけど、観光客多くて疲れちゃうでしょ。サンマルタン運河って、スタイリストの人に教えて貰ったんだけど、静かでお散歩に丁度いいんだって。地元の人のお散歩コースだから、言葉の勉強にもなるの」
サンマルタン運河はパリ19区の公園貯水池とセーヌ川を結ぶ運河。二人はセーヌ河畔からクルージングボートに乗る。ボートは、ルーブル美術館、ノートルダム寺院、市役所など眺めながらのんびり走り、サン・ルイ島の脇を通ってから運河へと入る。プレジャーボートの船溜まりのようなアルセナル港を経て、地下水路に入れば、乗船客の多くが頭上の丸い明り取りや煉瓦のアーチに眺め入る。高低差がある地点を行き来するため、この運河には閘門と呼ばれる仕組みが幾つも設けられており、水を入れたり抜いたりして水位を調整しながらボートは貯水池を目指した。
3時間近くをかけてボートは終着地点のヴィレット公園に到着した。ここからセーヌ川方面へ戻る形で散策すると言うのが未来の提案だ。船を降りた二人は川に沿った遊歩道を歩き始める。なるほど観光地と言うより、市民の憩いの場と言った感じだ。時折車道に出て街を眺めたり、北蘭高校の現在の状況を話したり、朔との事を冷やかされたり、千沙は未来との散歩を楽しんだ。
どんどん歩いてゆくと頭上をメトロが走る。
「地下鉄が頭より高いところを走るなんて、なんか変なの」
千沙がボヤく。
「そんなの福岡にだってあるよ」
「え? まじ?」
「千沙らしいな。そっか、千沙は初めての地下鉄がパリなんだ」
「そ、そう言う事になるね…」
千沙は俯いた。俯くと同時にお腹が鳴った。
「あはは、千沙もお腹空いてんだ。どこかで休もうか」
「う、うん」
「お、マック発見!」
「うわ、ホントだ」
ビルの壁に“McDonald’s”とあり、お馴染みの黄色のMマークもある。二人はそちらへ速足で歩く。すると入口の前に、淋し気に佇む女性がいた。あれ? 呟いて、未来が近づいてゆく。
“Bonjour”
その女性は、ラ・ミストラルで未来に日本語で話し掛け、未来を驚かせたマダムだった。




