第66話 臭くて嫌だけど
翌日の終業後、千沙は莉亜を連れて若葉さんのレディースショップへ出掛けた。新しいイヤーマフを買うためだ。その途中で千沙は、父親がいる場では聞きづらかったことをこっそり聞いてみた。
「莉亜ちゃんの耳はもう治らないのかな」
「えと、お母さんは整形手術したら耳らしいものをくっつけられるって言ってます。けど、それは私の身体の他の部分を切ってそれで耳を作ってくっつけるって手術なんです。だから、お父さんは今のままでいいって言ってて、私はどちらかと言うとお父さんの言うほうがいいなって思ってて」
千沙は心の中でため息をついた。治すって、そうなっちゃうのか…。
「それは怖いよね。他の部分を切るって」
「はい…、やるなら今くらいが丁度で、大人になったら出来ないそうです。だからお母さんは推してくるんですけど、入院も1ヶ月くらいかかるし、手術は2回もあるし。それ考えると今のままでいいやって」
難しい話だ。これから大人になっていく彼女。髪を上げる場面は多々出て来る。そんな先のことまで小学6年生が想像できる筈もない。これからも嫌なことを言う人が出て来るだろう。そう思うと今のうちにって言うお母さんの意見も理解できる。でもこれ以上、身体までを傷つけたくないってお父さんの気持ちも解る。結局、莉亜ちゃんの決断次第なんだ。まだ小学生なのに、一生モノの重い決断。
「あの、千沙さんだったらどうしますか?」
千沙は詰まった。
「あ、あたしなら…、やっぱり今のまま…かな。聞こえないなら手術した方がいいかもだけど、見た目だけならお父さんが仰るみたいに『たった一つのあたしの耳』って思って頑張っちゃう…かな?」
「ですよねぇ!」
莉亜は明るく笑い、ショップの前に立った。
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その店内で、千沙たちのリクエストを聞いた若葉は困った顔をした。
「うーん。もうこの時期だとイヤーマフは残ってないのよ。スポーツブランドの物ならそういうお店にあるかも知れないけど」
確かに店内は既に春物が揃い始めている。莉亜もまた困った表情で千沙を見上げた。千沙も困った。
「うっかりしていました。イヤーマフは冬の物ですものね。莉亜ちゃん、困ったね」
若葉も気の毒がっている。
「莉亜ちゃんにお気に入りがあるんだったら、秋口にいち早く押さえた方がいいかもね。でももうすぐ暖かくなるよ?」
千沙は説明してくれる若葉が、左手に薄い指切りの手袋をしていることに気がついた。
「あれ、若葉さん、その手袋、指の部分がありませんよ。お仕事用ですか?」
「ああこれ? 不便だから指を出しているんだけど、お仕事って言うより隠しごと用なのよ。お、ダジャレだ」
笑いながら若葉は手袋をするっと外す。
え?!
若葉の左手の甲には、大きな火傷の痕が残っていた。瘢痕と呼ばれるものだ。莉亜も息を呑んでいる。
「ど、どうしたんですか、それ?」
「小さい頃に熱湯がかかってね、こんな痕が残っちゃったの。他の皮膚を移植するって話もあったんだけど、怖かったから断っちゃった。でも気持ち悪いでしょ? 子どもの頃は随分苛められたわ。ゾンビだーとかね」
若葉は微笑んだ。美しいその笑顔とのギャップに千沙は何も言えない。莉亜も若葉をじっと見つめたままだ。
「お客様に不快な思いをさせたくないからお店では隠してるのよ。でも外では取ってるわよ、鬱陶しいし、これが本当の若葉の手だから」
「あの…」
いきなり莉亜が髪を持ち上げた。左耳を若葉に見せる。
「え? あれ? お耳、どうしたの?」
「生まれつきなんです。私も妖怪だーって苛められました。だからイヤーマフで隠してたんです。でも、もうやめます。髪は切りませんけど、それ以上隠すのはやめることに、今、決めました。これが本当の莉亜の耳だから」
莉亜もまた、美しく微笑んだ。
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手ぶらの帰り道、千沙は莉亜に聞いた。
「お父さんが思ってる通りになって来たね」
「えへ。嫌いなんですけどね、お父さん」
「え?」
「だって臭いし、いろいろ構って来るし、冗談も面白くないし、聞いてる曲も古いし、なんかサイテーですもん」
「あはは、そうなんだ。反抗期かな?」
「友だちもみんなそう言ってますから事実です」
「でも、美容室にはお父さんと一緒に来たよね」
「まあそれは仕方なく…、親孝行ですから」
莉亜はニッと笑って千沙を見た。
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路面電車に莉亜を乗せ、手を振って見送った千沙は、一人スタジオ・ジュリへの道を歩く。莉亜の決断には感心しきりだ。彼女は幸せになるに違いない。しかし、千沙にはもう一つ気になる事があった。
お父さんは臭くて嫌…か。全然判んないな、その気持ち。多分それが反抗期なんだろうけど、反抗期でも莉亜ちゃんはちゃんとお父さんの事を意識していて、結局お父さんの意に沿う決断をした。嫌いでも莉亜ちゃんにとって、あのお父さんはやっぱり掛け替えのない存在なんだ。構われるのは嫌そうだけど。
ふう…。あたしは構われる筈もない。いつか未来に言ったように『髪と顔の輪郭』だけのお父さんだから。これからもずっと、構われることも、冗談に辟易することもないだろう。
今回の依頼では、失せものはちゃんと見つかった。しかも依頼人さんの未来につながる失せもの探しになった筈だ。それはとても良かった。樹里さんもきっと満足だ。
しかし、千沙は普段照らされることのない心の片隅に、小さな淋しさが潜んでいることに気がついた。樹里さんにも、お母さんにも判らないであろう行き場のない淋しさがあることに。




