第61話 バレンタイン
朔と二人で過ごしたクリスマス、島に帰ったお正月を経て、千沙に新しい年が訪れている。しかももう2月。3週間後には学年末のテストが待ち構えている。しかし、それより今年はバレンタイン。千沙は朔の当日の放課後予定をしっかり押さえているのだが油断はできない。クラス公認の仲なんて脆いものだと未来からも言われていた。
千沙はいつもの坂の下のカフェで朔を待っていた。毎日一緒に帰るのは気が引ける。朔にも自由と言うものがある。千沙は謙虚に考えた。でもきっと来てくれる…筈。約束時間からもう15分経っている。誰かが朔を誘っているのかも。千沙には悪い予感しかしない。ずっと前に未来が言ったように、朔は密かに人気がある。だって、あの瑠依とだって釣り合うと思ってしまったんだもの。あの一件は、後から未来にも『危機一髪だったかもよ』と笑われた。それはきっと今も同じだ。
朔にチョコを渡しそうな女子は…、少なくとも3人はいる。誰かがあたしより先に渡していることになるんだ。千沙の心配は具体的に募る。もし、あの子が朔にこんな風に囁いていたら…、
『長沖君、公認の彼女さんからはちゃんと貰ってるのよね?』
朔は嘘がつけない。きっと、
『いや、まだ…つうか、貰えるなんて厚かましいこと思ってないけど』
『えー、マジでぇ? それ、権利放棄してるのと一緒よねぇ。フツー、一番に渡すでしょ。朝からいるんだから』
『恥ずかしがり屋だからね』
『そんなこと、この日に言ってちゃダメでしょ。じゃあ私が一番乗りね。この後一緒にカラオケ行かない?』
『うーん、1曲だけなら…』
ガタッ!
千沙は思わず立ち上がった。ちょ、ちょっと待ってよ。4時半にここってLINEで言ったのに。
ガタ。
力が抜けた千沙は座り込んだ。そ、そんな筈ないよ。あたしの悪い癖だ。悪い方へ悪い方へと考えちゃう。
『いらっしゃいませー』
誰かが入って来た。朔? 千沙の首が伸びて入口を覗く。男の人だけど大人だ。ああ、朔。どこにいるの?
「兄貴、勝手にずんずん行くなよ、顔、知らねぇだろ?」
あ? 朔の声だ♡ 千沙はまた立ち上がった。先の男の人の前に朔がしゃしゃり出る。
「千沙ちゃん、ごめん、遅くなった。兄貴に会っちゃってさ、ごちゃごちゃ聞くから面倒になって連れて来た」
お、お兄さん? そんな人、いたっけ? 千沙は唖然となった。
「弟がお世話になります。可愛い彼女さんだなあ。朔に勿体ない。俺もまだいないのに」
「知らねぇよ。あ、これが兄貴で、長沖 睦って言うんだ。東京にいるんだけど、この春に戻って来るんだ」
千沙はぺこりと頭を下げた。
「は、初めまして…。み、水取千沙です」
「ほんじゃもう兄貴はいいから。あ、お金だけ頂戴」
「なんでだよ」
「働いてんじゃん」
「給料、薄いんだよ、研修中だから」
「ケーキセット二つ分位はあるでしょ。大体ごちゃごちゃ聞いて来たのは兄貴の方なんだぜ」
千沙が目をパチパチしているうちに、睦は弟に5千円札1枚を取られてトボトボと去って行った。
「び、びっくりしたぁ。朔にお兄さん居たんだ」
「まあね。ずっと東京の病院だったからほぼいないに等しかったけど」
「お医者さんなの?」
「まあね。獣医だからオヤジの後は継げないけどね。あ、病院の種類を変えればいいのか」
「こっちの病院に来るってこと?」
「そう。こっちの獣医さんから声掛かったんだって。病院大きくするから医者足りないって。ネコの手は借りらんないって笑ってた」
へぇ。驚きの余り、千沙は先程の心配をすっかり忘れている。
「お兄さんがムツで弟がサク…」
「はは。変な名前だろ。睦月って1月じゃん。年の一番初めだから縁起いいって、良く判らん理由で睦になったんだって。そいで俺は月の初めの日の一日を表す朔なんだよね。オヤジ、名づけで遊んでたとしか思えん」
「そっか、朔って一日って意味だったんだ。あ!」
千沙はリュックをごそごそする。本来の目的を忘れるところだった…。
「朔、バレンタイン。一所懸命作ったの。樹里さんに散々嫌味言われながらだけど」
千沙は手作りチョコを朔に差し出した。
「あ、有難う。なんか大変だったんだ」
「樹里さん、バレンタインって女子があげる日じゃなくて、本当は貰う日だって言うの」
「え? そうなの?」
「よく判んないんだけど、昨日はそれどころじゃなかったから、あまり真剣には聞かなかった」
そして千沙は思い切って聞いてみた。
「ね、だ、誰かに、も、もうチョコ貰った?」
朔はちょっと渋い顔をした。
「まあね。でもさっき、みんな兄貴に渡しちゃった。全然貰えねぇって言うから、俺からあげるよって」
「あはは」
千沙は笑ったが心から笑えない。油断大敵危機一髪。千沙は気を引き締めた。




