第52話 つれなく見えし
古典の教科書の古今集に千沙はまた心がキリリと痛む。
『有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし』
この人も、きっとフラれたんだ。その現実が、夜明けの月明かりさえ冷たく心を突き刺すように感じるって…。図書室の隅で瑠依と朔を目撃して以来、その光景に、夏休みに目の当たりにした小巻が泣き崩れる姿がオーバーラップする。小巻さんは元々あんな修羅のような形相になる人じゃない。瑠依と朔のことがはっきり判ると、あたしもあんなになるのかな。あたしは朔と何か約束した訳じゃないけど、心の中で勝手に期待が育っていただけだけど、それでも小巻さんと同じように感じてしまう。きついな、これ。人って強いけど弱いものなんだ。
千沙は教科書を閉じた。暗くなってきたし、これ以上ここに居ると益々落ち込んでしまう。もう帰ろう。
バタバタと帰り支度をして、千沙は校門を出る。まん丸の月がきれいだ。きれいだけどさっきの和歌の作者はこの光すら痛みだった。あたしだって… やっぱ、今日はバスに乗ろう。月明かりの下を歩くのは痛くて惨めだ。
バス停で千沙はまた月を見上げる。お月さま、あたしの心をあなたの白い光で洗い流して下さい。朔が好きとか、やっぱり失いたくなかったとか、そんな感情を真っ白にして、それで…
「千沙ちゃん!」
突然の声に千沙の心臓が跳ね上がった。
「朔?!」
「そう、千沙ちゃん図書室にいたろ? 俺もいたんだよ、隅っこの隅っこに」
「き、気づかなかった。えっと、べ、勉強?」
「いや、相談に乗ってもらってた」
「そ、相談? だ、誰に?」
朔は躊躇っている。千沙は血が引く。月の光に刺されるかどうかが、これで決まるかも…。それならさっさと刺して!
「も、もしかして、竹澤さん?」
「え? なんで知ってるの? 見てた?」
「ううん。こ、この前も一緒だったから」
月の光に青ざめた千沙は、自分が透き通ってゆくのを感じた。刺されてフェードアウト、ゲームみたいに…。
目の前の朔は驚いている。
「そうなの? 見られてたのか。いや、この前は逆だよ。相談に乗ってた」
言葉の刃が千沙を刺しまくる。予想通りだ…。
「そ、そう…」
もうどうでもいいや。なんてぎこちない会話。やっぱり瑠依なんだ。あたしには勝てっこない女王さま。刺された心がひたすら痛い。見届けたお月さまは灰色の雲を纏って目を伏せ、いよいよ別れを告げている。
そうよね。相談と言う名の告白。小巻さんが泣き崩れた姿が、お月さまに取って代わり、空に浮かぶ。もう何も見えない、見たくない。あたしの瞳はただのガラス玉だ…。
+++
「千沙ちゃん、大丈夫? この頃変だから」
朔の手がそっと千沙の背中を撫でる。
「ご、ごめん。うん、そうよね、そういうことあるよね。朔は女子に人気って未来も言ってたし」
「いや、あのさ」
朔は千沙の正面に回った。千沙の目が完全に死んでいる。そうか…そう言うことか。これで解せた。朔は千沙の両肩を掴み、その灰色の目をしっかりと覗き込んだ。
「誤解されると困るんだけど、竹澤さんに告ったとか告られたとかじゃないよ」
「え?」
「じゃなくて、彼女、俺が千沙ちゃんに告ったのか、逆なのか、どうやって上手くいったのか聞きたいって」
「う、上手くいった?」
千沙はポカンとし、朔は照れ笑いを浮かべた。
「なんかさ、クラスの中では俺たち付き合ってる事になってるみたい」
「えーー?」
刺された傷がすーっと塞がって行く。小巻さんが泣き崩れた姿が吹き飛び、代わって空にはケラケラ笑うお月さまが現れた。




