第4話 秘密兵器
その日、千沙はどうやって帰宅したのか記憶がない。気がつくと美容室シルクの前で自転車を降りていた。
そのまま夢遊病者のようにドアを開ける。
「いらっしゃ…あ、お帰りー」
店の常連客・秋田さんをカット中の母が、入口をチラっと見て声を上げ、そしてハサミを止めた。
「あれ、千沙、どうしたの? 顔色悪いよ」
秋田さんも思わず振り向く。
「あらーホントだ。熱でもある?」
「ううん、大丈夫…です」
すると絹がハサミを持ったまま手を腰に当てる。
「あ、判った。学校でなんか言われたんでしょ、受験の事。どこも見込みなしとか言われた?」
秋田さんも反応する。
「いや絹ちゃん、それはないよ。千沙ちゃん勉強出来るって、ウチのバカ息子が言ってたもん。3年生では断トツなんでしょ? 3人しかいないけど」
「えー、そうなんですか?」
「絹ちゃん知らないの?母親でしょ?」
「うーん、あんま興味ないからねぇ」
「そりゃ千沙ちゃんが可哀想よ。千沙ちゃん、お母さんはテスト結果とか見ないの?」
千沙は小さく肯く。
「テストも通知表もいつも見ません。怒られないからいいけど」
カット中なのにハサミを置いた絹は千沙の方を向いた。
「で、先生はなんて?」
「北蘭高校を受けろって」
「ほぉ、そこが長崎市内の高校なのね」
「うん」
「いいじゃない。そうしなよ」
「えー、あたし死んじゃうよ。一人暮らしって先生言ってたし」
「大丈夫よ。お母さんが何とかするから」
「何とかって?」
「それはー、受かるまではヒミツ」
「えー?」
秋田さんは面白そうに母娘のやり取りを聞いている。千沙は益々不安になるが、絹は一向に気にしない。
「娘を大変な目には遭わせないわよ。大船に乗った気でいな。おっと秋田さんごめん、続けまーす」
母は仕事に戻る。止む無く千沙は自宅入口のドアを開け、2階への階段をトボトボ上がった。
また、泥船だ…。なんであたしの周囲はみんなこうなんだろう。寄って集ってあたしを海底へ葬ろうとしている。千沙は自分の部屋に入るなり、ベッドに倒れ込んだ。
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カットの続きを始めた絹に秋田さんは聞いた。
「絹ちゃんが言ってたヒミツって、もしかしてあの子のこと? 前に言ってた秘密兵器」
「ご明察。丁度長崎市内にいるのよ。まだ独り者だし丁度いい」
鏡の中の秋田さんに向かって、絹はウィンクした。