第3話 海の藻屑
千沙の家から中学校までは自転車で10分ほど。中学と言っても小学校と一緒になっている、いわゆる小中学校だ。月曜日の朝、早速千沙は中学3年生担当の小崎 薫先生から説明を受けた。中3クラスには他に男子が2名いるのだが、呼ばれたのは千沙だけだ。
「と、いう事情なんだけど、男子は二人とも私立専願でね、難易度考えてもまず間違いなく受かるから島を出るのよ。だから難しいのは水取さんだけなの。で、県立志望だったら、距離だけで言うと統合されちゃう新設校なんだけどね。でも水取さんの成績だったら長崎市内の方がいいと思う。これまではここの分校志望だったから偏差値の話は無視してたんだけどね、どうせ行くならって思っちゃうのよ」
小崎先生は優しく微笑む。しかし千沙は卒倒しそうになっていた。長崎市って、け、県で一番大きな街。電車の駅があって高速道路まで、多分ある街。車もバイクもガンガン来て、あたしなんか吹っ飛ばされる街。ウミネコと話なんかできない街。ムリ。絶対ムリ。ぜぇーったいムリ。
小崎先生は、黙り込んだ千沙を気遣う。
「一人暮らしって不安に思うだろうけど、慣れればどうってことないよ。便利なところだからコンビニだってあちこちにあるし」
ひ、一人暮らし…? 死ぬ。あたし、死んじゃう。千沙の頭は未知のエイリアンに占領されたようになった。
「お母さんはOKって仰ってたわよ。いい経験になるからって」
「ちょ、ちょっと、待って…下さい」
辛うじて千沙は声を出した。
「わ、わたし…ムリです。死にマス」
千沙の顔色は本当に青くなっている。しかし先生は笑い飛ばした。
「大丈夫だって。男子なんか島を出たいからってわざわざ私立受けるのよ。ほら、あなたたちの年頃って、親がいろいろ五月蠅くて、もう出て行ってやる!とか思う年頃じゃない。本当に出て行けるなんて有難いお話よ」
駄目だ…。お母さんも先生も、全くあたしを理解していない。島を出た瞬間に蒸発してしまうあたしのこと、何も解っていない…。ど、どうしたらいいんだ。 千沙は黙って項垂れた。
「先生としては、北蘭高校をお勧めするわよ。割と新しい学校で女子が多いの。だけど伝統の進学校と堂々と渡り合ってるのよ。大丈夫、水取さんなら受かるから。理数科はギリかもだけど、普通科なら大丈夫。内申だってバッチリだから心配しないでいいのよ」
千沙は何も言い返せない自分が呪わしかった。しかし現実問題、言い返すネタもない。島に高校がない以上、進学しないか、島を出るかの二択なのだ。進学しない…わけにはいかないだろう。島に千沙が出来る仕事があるとも思いにくい。そうすると実質は一択。あとは五十歩百歩の世界だ。先生は明るくまとめる。
「じゃ、北蘭高校第一志望でいくね。下宿はお母さんと相談してね。なんか心当たりあるっぽかったわよ。どうしても見つからなかったら相談に乗るから安心してね。大丈夫、梅島中学から初めての北蘭合格者になるんだから、大船に乗った気でいなさい」
ど、泥船だろう…。島の港を出た瞬間にブクブク沈む船。泳げないあたしはそのまま海の底に堕ちてゆく。ウミネコたちに見送られ、海ガメやおさかなにバカにされ、そして15年の短い生涯を終える水取千沙。結婚も出来ず、って言うか彼氏すらできないまま、キスだって経験しないまま、海の藻屑となる水取千沙…。
千沙の頭の中は暗い海の底で一杯になり、まるでその中を彷徨うようにフラフラと職員室を出た。