第19話 芽生えの予感
翌日、千沙は学校からまっすぐスタジオ・ジュリに帰った。朔が代金を支払いにやって来る筈なのだ。昨日の話は昨日の内に樹里に伝えてあり、大層ウケた。
「凄いな千沙。本物の探偵みたいだ。それ、仕事にしたら?」
千沙は両手を振って否定したが、しかし誰も知らなかった大きな街に知り合いが増えるのは嬉しい。長沖君なんて同じクラスだってことすら知らなかったのに、なんて偶然。元々男子はクラスの三分の一しかいないのに、それが判らないなんてちょっと情けないけど、でも良かった。
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ブォンブォーン
スタジオ・ジュリの前に1台のバイクが停まった。あ、来たかな? 朔が今日は原付で行くと、千沙は教室で聞いていたのだ。間もなく扉が開き、ヘルメットを抱えた朔が入って来た。
「いらっしゃいませ」
樹里と千沙が同時に叫ぶ。慌てて朔は立ち止まる。
「えっと、昨日は有難うございました」
朔は居住まいを正すと、まず樹里に向かって頭を下げた。
「長沖です。昨日のお支払いと、それとちょびっとですけど、これ召し上がって下さい」
朔は樹里に封筒に入れた代金とクッキーの包みを差し出した。うん、長沖君、やっぱりしっかりしている。
「有難うね。嬉しいな、千沙の稼ぎだけど」
樹里も相好を崩している。樹里さん、その人、あたしの友だちだからね。千沙はほんの少し焼きもちを焼いた。
朔は千沙を振り返る。
「千沙ちゃん、お陰様でリキはオヤジのこと、ちゃんと判ったみたいだ。全然吠えないし、俺なんて見向きもされなくなった」
「ホント? 良かった」
「あれからさ、オヤジのお腹に頭乗っけて、ずっと離れないんだよ」
「お腹?」
千沙は長沖医師の豊かなお腹を思い出した。確かにクッションみたいで寝心地よさそう…。想像すると思わず微笑みが洩れる。
「あとで中田さんに電話で聞いたんだけどさ、あっちでもリキは中田さんのお腹に頭を乗せようとしてたらしいんだけどさ、すぐに頭振って離れてたんだって。『何かが違う』って感じてたんだろうなって、中田さんも笑ってた。中田さんスリムだもんな」
「じゃ、長沖君のお父さんのお腹がフィーリングぴったりだったってこと?」
「そう。長年親しんだ太っ腹だったらしい」
「あは、かわいいー」
口に手を当てる千沙を、朔も同じ気持ちで見つめた。
「じゃ、俺はこれで」
「うん、わざわざ有難う」
朔はヘルメットを被りながらお辞儀して扉を開ける。千沙も一緒に外へ出た。小さなブルーのバイクが停まっている。朔はキーを取り出し、バイクに跨るとエンジンを掛けた。
「じゃ、また明日」
「うん。気をつけて」
「有難う」
手を挙げてバイクをひらりと回すと、朔は車の列に合流し、すぐに見えなくなった。千沙は扉を開ける。中から樹里が声を掛けた。
「あ、千沙。CLOSEDにしておいて」
「は―い」
千沙はプレートを裏返し、美容室に戻った。樹里が手を腰に当てて千沙を見ている。
「千沙。芽生え…だね」
「え?」
「まだ気づいてないか」
「何にです?」
「いや、いいよ。それよか頂いたクッキー、上で食べようぜ。千沙が貰ったものだけどな」
「はい!」
先程朔に名前で呼ばれたことに、千沙はまだ気がついていない。




