第18話 無臭化
診察室から朔の父親が出て来る。
「どうだった?」
「うん、もう歳だから大事にしてやれってさ。取り敢えず茗荷は食ってないみたいだ」
朔は待合の椅子にドカッと座り、千沙にも勧める。父親がその前にやって来た。仕事中なので白衣姿だ。
あれ?
千沙は先程の違和感が、少し具体化して来たのを感じる。長沖君のお父さん、いい匂いだ。なんだろう。
「あの、白衣のお洗濯で柔軟剤とか使っていらっしゃいますか?」
「うん、ボールみたいなの入れるようにしたんだ。ほら、医者って消毒臭くて嫌われるんだよね」
嫌われる? いや…、千沙は判った気がした。
「えっと、さっきお邪魔した中田医院は病院の匂いがしたんですけど、ここは全然しなくて、それって消毒の違いなんですか?」
朔が千沙の顔を不思議そうに見て、長沖医師はにっこり微笑んだ。
「よく気がついたね。病院ってさ、治療器具とかの消毒薬の匂いが充満するんだよね。白衣にもついちゃうから医者も同じ匂いなんだ。だけど、それって怖いことの象徴みたいで、特に子どもが嫌がったりするからさ、丁度、そうだな、二週間程前かな、消毒のやり方変えてね、ついでに白衣の洗濯に柔軟剤のボールを入れるようにしたんだよ。今のところ評判いいよ」
千沙は確信した。中田先生はリキは足元が覚束ないって言ってた。リキ、目がよく見えないんだ…。
「あの。きっとリキは消毒の匂いで飼主さんを見分けてたんだと思います。さっき中田先生はリキが頭をあちこちにぶつけるって仰っていました。きっと目が弱って来て、鼻でいろんなものを見ていたんです。だから、慣れた匂いが無くなって、お父さんが判らなくなったんじゃないでしょうか」
長沖医師は、ほーぉっと肯いた。しかし、朔は言う。
「じゃ、俺は? 俺のことは見えてんのかな?」
「おまえ、ほら、バイクの工具を消毒してるじゃないか。だから匂いが付いてるんだよ。お父さんはもう使ってないから匂いが消えてる。それに較べると、朔の方が匂いが残ってんじゃねぇか?」
千沙には訳が判らない。
「工具を消毒? ですか?」
朔はちょっと照れて答える。
「俺さ、16になってすぐに原付の免許取ってさ、中古でバイク買ったんだ。ホンダのエイプってヤツ。中古だからあちこちバラしたり組み立てたりするのにレンチとかスパナとか使うんだけど、慣れてないからズバッて手を突いたことあってね、危ないから工具も消毒して使う事にしたんだけど、丁度オヤジの病院用の消毒液があったからさ、薄めてそれ使ってるんだよ。だから水取さんが言う『病院の匂い』がきっと移ってるんだって話」
千沙は肯いた。
「中田先生は『病院の匂い』がプンプンだったので、きっと長沖君のお父さんだと思って慣れたんだと思います。だからまた以前の匂いを付けたらリキはお父さんだって判るんじゃないでしょうか」
長沖医師はまた大きく肯いた。
「なるほどな。有難う。流石は美容室探偵のお嬢さんだな。試してみるよ。でもなあ、今度は子どもに嫌われるんだよなあ。リキを取るか、患者さんを取るか、微妙な話だ」
千沙は額に皴を寄せた長沖医師を見上げる。
「あたしは病院の匂い、嫌いじゃないです。治してあげるよ、もう大丈夫だよって言われてるみたいだから」
朔が笑った。
「良かったじゃん。女子高生に好かれて」
「確かに」
父と息子は満更でもない顔を見合わせた。




