第15話 伏魔殿に入る
「ちょっと厄介なんだ」
千沙は肯く。この樹里さんが面白がってるんだから、きっとそうだろう。
「あの、また迷子ですか?」
樹里はニヤリと笑う。やだ、この表情。
「確かにワンコは迷子になったんだけど帰って来たんだ。親切な人に保護されて。だけど…」
「だけど?」
「飼主さんの記憶を失くしてた」
「え?」
「忘れちゃったってこと。これって『失せもの』かって微妙なんだけど、記憶を失うって言葉もあるからさ、断り切れなくて。子犬の頃から育ててる飼主さんからすると切ない話だし、吠えられちゃって困ってるらしい」
千沙も困った。
「それってどうやって探すんでしょう?」
「それな」
「・・・」
「判らん」
「えー?」
樹里は微笑む。
「しかし助っ人がいるそうだ。小さい頃から一緒に育った子ども。依頼主はその子に手伝わせるって」
「うーん」
「その子も高校生らしいから、私より千沙の方がペアとしていいかなってね」
「はい」
「依頼主は長沖さん。山北台って住宅地に住んでて、学校からだとバスを乗り継がないと無理かな。スマホで検索してくれ。住所はここだから」
「はい」
+++
翌日、千沙は授業が終わるとすぐに学校を出た。北蘭高校は高台にあって、その麓にバス停がある。既に下校する生徒で一杯だったが何とか乗車できた。前夜に調べたところ、バスは1回乗換えで、長沖邸までは30分程かかる。千沙は普段は徒歩通学なので、知らない街でのバス乗り継ぎはなかなかハードルが高い。梅島にはバスなんてなかったので、普通にバスに乗るだけでもドキドキなのだ。
千沙は乗り継ぎするバス停名を心の中で呪文のように唱え、アナウンスが流れた瞬間に反応した。しかし、それより先に降車ランプは点灯、良かった、他にも降りる人が居るんだ。実際、北蘭高生がぞろぞろと降りてゆく。千沙も最後にくっついて降り、そして次のバス停を目指した。道路の反対側になるので横断歩道を渡る。すると北蘭高生も数名が渡った。うん、一緒に乗り継ぐ人が居るかも。生徒たちは知らない顔ばかりに見えたが心強い。
数分待って次のバスが来る。今度は空いていた。山北台住宅行きなので、殆どはそこに住む人なんだろう。途中で一人二人と降りてゆくが、北蘭高校の制服はまだ残っている。バスは坂道を登って行き、20分ほどで目的地のバス停に到着した。ここからは徒歩。千沙はスマホの地図を表示する。
えーと、このまま道をまっすぐ行って、二つ目の角を左に曲がる。北蘭高生たちはそれぞれの方向に歩いて行き、前方には男子と女子が一人ずつ歩いている。左折する角で女子は真っすぐ、しかし男子は左に曲がった。
おっと、同じ方向だ。もし判らなくなったら走って追いついて聞けばいいや。千沙は幾分気が楽になった。次はベーカリーの角を右に入る…と。そしたら四軒目。ストビューで確認したら、茶色いタイルで覆われ、銀色の柱が玄関ポーチに立っている家だった。
そしてベーカリーから家を数える、イチ、ニ、サン、シ、あ、あの家だ。色も一緒、銀色の玄関ポールが見える。ここで間違いない…。テレビ番組の決めゼリフを反芻しながら前を行く男子に、『エスコートありがと』と心で呟く。しかし、ここからが問題なんだ。まずは犬の実態を目で確認する。そこからじゃないと何にも… え?
目の前の男子が四軒目の家の階段を上がって、銀色ポールの玄関ポーチに入って行く。えー? あの子の家?
千沙は一瞬立ち止まった。すると玄関ポーチからその生徒が千沙の方を振り向いた。あれ?見たことあるような…。生徒は千沙に向かって手を挙げた。
「あの、水取さん、だよね」
咄嗟のことで千沙は顔が赤くなる。えっと、えっと…
「えっと、あの、ここの家の人?」
我ながらマヌケな質問だ。当たり前じゃないか。じゃあ長沖さん? ってそんな子いたっけ?
「そうだよ。あのさ、もしかして犬のことで来たの?」
千沙は階段下でしどろもどろだ。
「あ、はい、そうです。え、でも、じゃあ仔犬の頃から一緒の子って」
「ああ、俺だよ。美容室に頼んだってオヤジ言ってたけどな、まさか高校生って言うか、同級生が来るとは思わなかった」
「ああ、その美容室がウチなので」
「そうなの? あ、まあ上がって」
「は、はい」
「どこかの島から来たって自己紹介してなかったっけ?」
「う、うん。美容室が下宿なんだけど。あの、あなたは長沖さんですか?」
「あはは。そりゃそうだよ、この家に帰って来たんだから。あー、もしかして俺のこと知らない? 長沖 朔 (ながおき さく)って言うんだけど、あんまクラスでは喋らないからな。俺は水取さん、よく覚えてるよ。いろいろユニークだし、だけど頭いいし。あ、入って」
千沙はどうしていいか判らなくなった。だけど、依頼は聞かなきゃ。朔が開けたドアの奥からはワンコの激しい鳴き声が聞こえる。千沙には玄関ホールが伏魔殿の入口に見えた。




