06:あなたへの許可
王城から帰る馬車の中、クレイグは不機嫌さを隠しもせず、棘のある声でエイナに言う。
「最後のはなんだ」
「さいご?」
「あのボンクラ王子が別れ際、エイナの頬にキスをしていた」
「それは挨拶でしょう。こういう挨拶があることくらい、私も知っていますよ」
「俺には触れる許可を出していないのに、他の男に触らせるのか」
クレイグの言葉の意味が分からず、エイナはきょとんとする。
彼はエイナの手を取って、手のひらにキスをした。
「許可を得た場所だけ触ると約束した。俺が許されているのは手だけだ」
「では許可を取ればいいでしょう」
「俺も頬に触れていいのか?」
「お好きにどうそ」
「そうさせてもらう」
クレイグの顔が迫り、頬にそっとキスをされる。彼はキスを何度もしながら、耳の付け根に唇を寄せる。そのまま首筋に顔をうずめる。
こそばゆく恥ずかしい感触に、ぞくぞくと背筋があわだつ。
「クレイグ様っ……」
思わずクレイグを押しのける。
何か言わなければ、とエイナが口を開くと同時に、馬車が屋敷に到着した。
クレイグは無言のままエイナの手を引いて馬車を降り、寝室へと直行する。
メイドたちは余裕のないクレイグと、顔が真っ赤のエイナを見て状況を察した。そして声をかけることはせず2人きりにした。
「さて、エイナ」
クレイグはエイナをソファに座らせ、自身もすぐ横に座った。
部屋は暖炉で温められているが、2人の間には寒々しい空気が流れていた。
「好きにしろと言ったのに、抵抗したな」
「あれは、急でしたし、それに……」
「それに? 俺のことが嫌だった?」
「いえっ……」
エイナは否定の言葉を続けようとするが、感情がうまく形にならない。
――彼のことは嫌いではない。しかし、好きと口に出すのは怖い。
クレイグはエイナの戸惑う態度に、困った顔をする。
「エイナが応えようとしているのはわかっている。ゆっくりでいい。……ただ、否定され続けると、さすがに堪える」
今まで見せたことがない、弱々しい笑みを浮かべた。
エイナは罪悪感で胸が詰まる。
なんとかクレイグに許しを請おうと、どうすればいいか考える。
クレイグは何に怒っていたか。
そうだ、触れる場所にこだわっていた。
――初めて触る場所。
エイナは必死に考え、ある場所を思いつく。
クレイグの手を取って、彼の人差し指を両手で握り、右のまぶたに触れさせる。
「ここはたぶん、あなたが初めてです。他の場所は、戦闘やその後の治療で接触がありますので」
人差し指を左のまぶたに移す。
「目のケガはしたことないので、たぶん明確に触っていない場所はここくらい……」
クレイグの大きな両手が頬を包んだかと思うと、右のまぶたに彼の唇が触れた。左のまぶたにもキスが落とされる。
「抱きしめてもいいか?」
「は、はい」
応えると同時に、クレイグは抱きしめる。片手で彼女の後頭部をかき上げながら、もう片方の手を細い腰に回す。
「エイナ、早く俺を好きになれ」
「ゆっくりでいいと……」
「それは建前だ」
「建前だったのですか」
「そうだ。俺は強欲な男だからな。エイナが王子妃になるチャンスを潰すほどに」
クレイグは強く抱きしめたまま言った。
エイナは利点が理解できず首をかしげる。
「そんなものには興味がないのでいいですが。それより、もう少しだけ、待っていただけますか?」
クレイグは抱きしめるのをやめ、エイナと向き合った。
「少しとはいつだ」
「それは……」
「いつだ」
「……春、暖かくなる頃」
いまは寒さの厳しい冬。春は次の季節だ。
「新婚旅行はどこに行こうか」
「いまその話の流れだったでしょうか?」
クレイグは立ち上がった。その表情は上機嫌そのものだ。
「腹が減ったな。用意をさせよう」
「話を聞いてますか?」
クレイグは軽い足取りでドアまで行き、外に控えていたメイドに指示を出した。
振り返ってエイナに笑顔を見せる。
「春が楽しみだ」
「あの、目安を言っただけでして、もちろん私も心の準備を進めますが、確約したわけではありません」
クレイグは鼻歌を歌いながら、暖炉に炭を入れて火かき棒で熾火を混ぜる。ぼっと炎がおこり温かい光が揺れる。
エイナは会話を諦めて、窓の外に目を向けた。
冬の空は薄い水色で、柔らかい雲がいくつも浮かぶ。
エイナもまた、春が待ち遠しかった。
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