04:王子からの手紙
エイナはベッドのふちに腰かけ、朝日を浴びながら、豪華な部屋の内装をぼんやりと見る。
クレイグの寝室は何度も入ったが、ベッドからの風景は新鮮だった。ただ、不思議と居心地は悪くなかった。
「おはよう」
隣で寝ていたクレイグが低い声で挨拶をする。
まだ覚醒しきっていないようで、目を細く開けてぼーっとエイナを見ている。
「おはようございます」
「……ずっと起きていたのか?」
「いえ、さきほど起きました。意外と紳士なんですね」
クレイグはうつぶせになり、枕に顔を埋めて言う。
「女性との約束は守る男だ」
深夜の結婚の承諾後、さっそくベッドを共にすると言い出したときは驚いたが、クレイグは「許可があるまでは絶対に触らない」と宣言して寝た。
エイナは半信半疑ながらも、何かあれば気配を察知して起きる自信があったため、彼の横で眠りについた。
クレイグはうつぶせのまま、こもった声で言う。
「手を触っていいか」
「どうぞ」
エイナが許可をすると、クレイグはもぞもぞと動いてシーツから手を出し、エイナの左手の甲に重ねる。
確かめるように、指先で薬指の指輪をなでた。
その様子を見ながら思ったことを言った。
「指輪があると、ナイフを持つのに邪魔ですね」
「もう武器を持つ必要はない」
エイナは黙った。その未来が信じられないのではなく、想像できなかった。
クレイグは指輪を撫でながら、ダイヤを転がすように左右に倒して遊ぶ。
「面白いのですか」
「ああ。とても」
クレイグはベッドを降りて立ち上がり、クローゼットから服を取り出して着替え始めた。
エイナも立ち上がって自分の服を点検する。黒い服は少しシワになっているが、目立つほどではない。着替えは不要だと判断する。
クレイグがエイナの方を振り向いて言った。
「これからは戦闘服ではなく、女性が着るような服を着てもらいたいが、いいか?」
「お望みならそうします」
エイナの空虚な返事にクレイグは一瞬顔を曇らせるが、すぐに気を取り直す。
「仕立て屋を呼ぼう。好みはあるか?」
「あると思いますか?」
「俺の好みの服が着せられるな」
クレイグは優しく笑った。
2人分の朝食を部屋に持ってこさせ、ゆっくりと朝食を食べた。
会話は少なかったが、終始穏やかな空気があった。
食べ終わった二人は、寝室から出て執務室へと移った。
クレイグが机に向かって座ると、エイナは自然な足取りで壁際に立った。
彼女の服装はまだ護衛の時のもののため、いつもと変わらない風景となる。
「……もう護衛ではないのだから、ソファに座ったらどうだ」
「立っている方が落ち着くので」
「私の気が散るのだ。座ってほしい」
「承知しました」
エイナは言われた通り、ソファに座った。
執務室内には2人だけ。新たな護衛は部屋の外で見張りをしている。
「護衛は部屋の中に入れないのですか?」
「通常はドアの外側だ」
「……私は室内で待機を命じられましたが」
「人による」
クレイグはしれっと言って、書類を広げて仕事を開始した。
仕事の邪魔にならないように、座ったまま黙って時間が過ぎるのを待つ。
しばらくした後、部屋にノックの音が響いた。
クレイグが短く返事をする。
若い使用人が、おそるおそるといった様子で部屋に入ってきた。
「クレイグ様、セリオーン王子殿下の使者から手紙を預かりました」
「殿下からの使者? 心当たりはないが……」
「それが、ご用があるのは護……奥様のようです」
「エイナに?」
使用人は困った顔でうなずくと、手紙をおずおずと差し出す。
手紙を受け取り、面白くなさそうな顔で宛名を見る。
「エイナ・ルミエールと書いているな。エイナ、読んでも?」
「はい」
手紙の差出人にも内容にも興味のないエイナは即答した。
封を開けて中身を読むクレイグの顔が、みるみる険しくなる。
低い声で唸った。
「――直接奪いにきやがったな、あのボンクラ王子」
エイナと使用人は不敬極まりない言葉を聞かなかったことにした。
「まだ使者殿はおられるんだな?」
「ええ。できれば返事をいただきたい、と」
「成り上がりの商人はよほど暇だと思われているな。すぐ書こう」
クレイグは鼻で笑い、便箋を取り出してペンを走らせる。
「エイナ、私が代筆したから、ここに署名を。名前はエイナ・ハートウッドと」
クレイグはエイナの姓が自分のものであることを強調する。
エイナは困惑して答えた。
「まだ教会に婚姻の届けを出していないと思いますが」
「すぐに出す。誤差だ」
エイナはペンを握らされ、言われるがままに名前を書いた。
クレイグは蝋封を慎重に押して、手紙を使用人に渡す。
「これを使者殿へ。くれぐれも粗相のないように。こちらに落ち度を一切作るな」
「はいっ」
使用人は背筋を伸ばして返事をし、早足で出て行った。
「エイナ」
クレイグは向き直って言った。
「新婚旅行はどこに行こうか」
「いまそんな話をしてました?」
「遠くなくてもいいな。静かな場所で過ごそう」
「聞いてますか?」
クレイグは鼻歌を歌いながら、仕事の書類の束に手を伸ばす。
エイナは会話を諦め、窓の外に目を向けた。冬の空は薄い水色で、どこまでも遠く澄んでいた。