お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?
空港から外国へと飛び立った旅客機。
離陸してからしばらく経ち、どこかまどろむ空気感の中
突然の機内アナウンス。客室業務員の慌てた声が機内に轟いた。
『お、お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか!?』
来た。
来たぞ。
ついにこの時が来た。
鼻から息を吐いた、三人席その通路側に座る男。
キリッと顔を作り、席から立ち上がろうとしたが
突然、隣に座っていた男に腕を掴まれた。
「ん? あの、なにか?」
「いえ……もしかしてなんですが貴方、医者……」
「ええ、そうですとも。貴方も今のアナウンスをお聞きしたと思いますが
ふふん、どうやら助けが必要なようでしてねぇ。なのでこの手を――」
「私もなんです」
「ん、え?」
「私も医者なんですよ」
「ほー。それはそれは、そうでしたか……」
「ええ……」
「……それで、その」
「私が行きます」
「でしょうな。そう来ましたか成程、成程ねぇ……私が行きます、よ!」
「いえいえ! ここは私がぁぁ……」
「いやいやいや、私の方が先に立ち上がったわけですしぃ、ね!」
「いえいえいえいえ、私の方が見たところ若いですからね!
こう言った面倒なことは私がね。
さ、どうぞ、先生は、どーんとお座りになってください、よ!」
「ふぐぐぐ! ははは! お力を入れているようですが、そんなものですかね?
若いと言っても、お疲れですかなぁ!」
「ふんんんん!」
「ぬぅぅぅぅ、ははは! さ、さぁそろそろ手を放していただいて!
きゅ、急を要する用件ですからなぁぁぁ!
そ、そう! 私のようなベテランが向かったほうがいいでしょう!
……あ、ところでお聞きしたいのですが、何科ですかな?」
「え、私? きゅ、急になんですか。まあ内科ですけども」
「ほー、内科! ……それはそれは私はねえ外科ですよ。
ええ、主に消化器の方をね、得意としてますよ。
国内でもまあ有名な方ですかな? まあ、名医だなんて呼ばれたり
ははは、自分じゃちょっとわかりませんけども。
ちなみに、えっと貴方は、ああ、ど忘れしてしまいました失敬失敬。
何科でしたかな? 泌尿器科かな?」
「内科です……」
「ん? どうしました? お声が遠いですなぁー!
内科もうん、もちろん立派ですけども。
手術の経験はおあり……ま、ないか。内科だけにねぇ!」
「ぐ、ええ、ですが診断なら私のほうが――」
「いやいやいや、内科医にできて外科医にできないことはありませんからなぁ!
大は小を兼ねるってやつですよ。大きな物は細う使われる!
大物の私が行きますから、さ、いい加減、この手を放してもらいましょうかね」
「あのー?」
「ん? なんですかな? ああ、お騒がせして申し訳ない。
ちょっとこの人がねーえ! ほら、さっさと放しなさい!
美人のスチュワーデスが私を待っている!」
「ふぐぐぐぐ……今はキャビンアテンダントと呼ぶんですよぉぉぉ……」
「いいから、は、な、せ、この、ぬぅぅぅぅぅ」
「いや、あの、僕も医者なんですけど」
「え?」
「え?」
窓側に座る男がそう言うと、二人の医師は呆気にとられた。
が、すぐに気を持ち直した。
「ほう、それで、あなたは何科ですかな?
私はね、まあ、お聴きしてたと思いますけど外科でね」
「ああ、僕も外科、ただ……脳神経外科ですけどもね」
「ほ、ほー、脳の、ほー、それはそれは、ほー」
「おや、顔色が悪いですなぁ! 具合でも悪いんですかぁ?
私が診察しましょうかねぇ!」
「黙れ内科!」
「はっはっは、まあまあ。醜い争いは僕が前を通ったあとでお願いしますよ。
何せ、ほら。キャビとギャラリーと患者が僕を待っていますからねぇ」
「ま、まだ決まったわけじゃない!」
「そうだぞ!」
「しかしですねぇ。平均年収も脳外科医が高いわけですし……。
ほら、こういう時に率先して動かないとねぇ。
楽しているなんて妬まれてしまいますからなぁ」
「あ、あのー」
「ん?」
「おいおい」
「まさか」
今度は通路の向こう側の席の男が声を掛けて来て
三人はまさかこいつも……と身構えた。
「ああ、いえ、もうお医者様は見つかったみたいですよ。
御三方が揉め……話し合っている間に」
「え?」
「む、本当のようだ……」
「はぁ……しかし、他にもいたとは」
「確かに、偶然とは重なるものですなぁ。
因みに私はアメリカの方に呼び出されていましてなぁ。
なんでも世界の危機だとかとにかく緊急事態で
私が優秀! だから意見が聞きたいとね。
まあ極秘なんですがなぁ。お二人はバカンスですかな? いやぁ、羨ましいですな!」
「ああ、いえ、私も同じく」
「ええ、僕もです」
「ほえ? こんな偶然があ――」
と、男がそう言いかけた時だった。
機内で悲鳴が上がった。それは男たちがいる席から前の方。そして後ろからも。
「うわあああ! 噛みつきやがった! 何だってんだ!」
「やばいぞ! どうなってるんだ!」
「おい! 後ろでは腹を突き破って何か出て来たらしいぞ!」
「助けてくれ! こっちにも変な奴が!」
「こっちもだ! 痙攣して泡吹いたぞ!
「誰か! 医者か警察か! 軍人! 誰でもいい!
いないのか!? 誰か! 誰かあああぁぁぁぁ!」