5.七月十日(金)①
昨日家に帰った後、意外にも両親に叱られることは無かった。
父は寝室でテレビを見ていたし、母は風呂に入っていて鉢合わせることが無かったのも理由の一つだと思うが、案外うちの両親は年頃の中学生の突飛な行動に理解があるタイプなのかも知れない。
目覚まし時計に叩き起こされ、昨日と打って変わって爽やかに晴れた空の下を歩きつつ、我が家は実は恵まれている方なのかも知れないなどと考えていた。
普段は小言を言われる度に鬱陶しいと感じていたが、十二天に家族が居ないことを考えれば、どんな家族でも居ないより居るだけマシで、その中でもうちの両親は比較的悪くない方なのではないだろうか。
教室に入ると十二天は既に登校していて、相変わらず怪しげな超常科学の本に没頭していた。また本が変わっているのは昨日図書室で新しい本を借りたりでもしたのだろうか。
おはようと挨拶してみると十二天は一瞬此方を向いて軽く微笑みながらおはようと返してくれた。返事が返ってきたことに驚きつつ、言葉を続けようと思ったが彼女は既に視線を落としていた。
とは言え本に夢中の十二天が返事をしてくれたことは水曜日の朝を思えば格段な進歩だ。順調に仲が深まっていると言えるのではないだろうか。俺は上機嫌で一日の授業を乗り切った。
放課後になると十二天は昨日と同じ様に早々に席を立った。今日は置いて行かれることのないように、一緒に行動していると思われない程度に距離を開けて後ろをついていく。
特別棟に入り、人気が少なくなったところで声をかけた。
「今日も学校に残るつもりなのか?」
「そのつもりだよ」
「家の人は何も言わないのか」
「そうだね」
ひょっとして十二天は家に居場所が無いから学校に残ろうとしているのだろうか。だとすればこれ以上踏み込むわけにはいかない。
「そうか。そう言えば屋上に何か描くんだろ。何か描く物は持ってきてるのか?」
家の話から今日の目的へと我ながら上手く話題を変えれたのではないだろうか。
「学校にあるものを適当に拝借するつもりだったから特に持ってきてないね」
「どのくらいの大きさのものを描くんだ?」
「屋上の床に描けるだけ大きく描くつもりだったよ」
どうやらかなりの大きさのものを描くつもりらしい。UFOを呼び寄せるための図形か何かなら出来るだけ目立つ方が良いのだろうし当然と言えば当然だが。
「それだけデカいの描くつもりならどっかで作戦会議しようぜ、俺も描くの手伝うためにも理解しておきたいしさ」
十二天は目を閉じて黙り込んだ。恐らくどうするか悩んでいるのだろう。女子のまつ毛とはこんなに長いのか。あるいは十二天が特別なのか。目を閉じた女子の顔をまじまじと見つめること等今までの人生で勿論経験したことが無かったので、ついつい見蕩れてしまった。
「いいよ、どこでやろっか」
十二天は悩んだ末に此方の提案を了承した。
「まず俺の家に行かないか。作戦会議してうちから描くのに使えそうな物を持っていこう。その後で足りない物を買いに行こうか」
言った後で家に誘うと言うのは少し大胆だろうかと後悔した。大それたことなど考えていないし勇気も無いが、作戦会議の提案で悩むくらいなら家に上がる事を拒否される可能性は十分にある。
そんな心配は杞憂に終わった。十二天はほんの少しだけ間を開けて良いよと承諾した。
それじゃあ行こうかと言って歩き出すと、十二天は当たり前の様に横を歩いた。二人で行動するのだから当然ではあるのだが、まだ一日が終わって間もなく多数の生徒が残っている状況で一緒に歩いているのを見られるのは望ましくない。ただ、そう思ったところで十二天に距離を取るようになど言える訳が無い。
せめて面倒なタイプに見られることが無い様にと祈るばかりだ。今までと全く違う種類の緊張感に手が汗ばんでいるのがわかる。
幸いにも厄介な相手に見られることなく学校を出ることが出来た。とは言え何人かは同学年の生徒に見られた自覚がある。広まらないことを祈るばかりだ。
「そう言えば天神岡くんの家ってどこにあるの?」
学校を出て暫く歩いたところで十二天が聞いてきた。
「十二天の家を過ぎて十分くらい歩いたところかな」
「そうなんだ、良かった」
何が良かったのだろう。そう家が遠く無い事だろうか。
「何が?」
「だって私毎日送ってもらってるでしょ。天神岡くんが全然違う方向に住んでるんだったらただでさえ悪いのにもっと申し訳なくなっちゃう」
言われてみればそうだ。二日目は集落の入り口で別れたから送ったと言う感覚はなかったが、何も知らなければ送ってもらったと思うのも不思議ではない。
「そんなの気にしなくていいのに」
仮に真逆の方面に住んでいたとしても、クラスで一番どころか学校で一番であろう容姿の女子と二人並んで歩けると言うだけでお釣りがくる。まして帰る方向は一緒なのだ。無料で懐石料理をご馳走になっている様なものだ。
十二天の家のある集落を通り過ぎてすぐの十字路を左に曲がると俺の住む集落が見えてくる。その中でも比較的奥の方にある家が我が家、天神岡家だ。
「着いたぞ」
「綺麗な家だね」
「そんなことないよ。建ててから十年は経ってる」
「隣にも誰か住んでいるの?」
うちは敷地内に二軒家が建っている。右手の新しい家がうちで、隣の古い家が祖父母の家だ。畑や竹林なんかを潰して敷地内に新しく家を建てるのは田舎では良くある話だろう。
「あっちはじーちゃんちだ」
「へぇ」
十二天の表情が急に変わった。さっきまでは明るく清楚な理想的な女子だったが、一瞬含みを感じる暗い感情が伺えた。両親が居ないだけでなく祖父母とも何かあるのだろうか。
「今は家に誰かいるの?」
暗い表情は一瞬で身を潜め、明るい十二天に戻った。
「いや、親は共働きだし誰も居ないよ。七時くらいまで帰って来ないかな」
親について言及するのは良くなかっただろうか。あるいは誰も居ない家と言うのは警戒するだろうかと心配するが、彼女はそんなこと気にも留めていないようだった。
鍵を取り出して錠を開ける。ディンプルキー等の防犯性の高いものでは無い普通の鍵だ。この鍵も十二天なら簡単に開けられるのだろうかとふと思った。
扉を開けて促すとお邪魔しますと控えめに言いながら十二天が我が家の敷居を跨いだ。
続く