12.七月十日(金)⑧
「こちらこそちゃんと聞いてくれてありがとう。そう言って貰えて嬉しいよ」
急に親が居なくなり頼るべき大人からは相手にされない。自分に置き換えて考えればきっと自棄になっているだろう。
十二天は親を探そうと自分なりに行動を起こしている。力になりたいと思うのは当然の感情だろう。
「まぁただの中学生に出来ることなんて限られてるけどな」
照れ隠しの言葉を吐いてシェイクに手を伸ばす。先程までの硬さが嘘の様に緩くなっていた。
緩くなったシェイクを啜りながら視線を向けると彼女も同じようにシェイクに口を付けていた。桜色の唇に吸い込まれたストローに成りたいなどと馬鹿な事を考えていると彼女と目が合った。
「溶けちゃったけど美味しいね」
十二天は年相応の女子らしく微笑みながら言った。
そうだなと軽く返しながら、この穏やかな表情が続く様に自分に出来る事をしようと決めた。
「そろそろ良い時間になったし行くか」
「そうだね」
空になった二人分のカップを片付けマクドナルドを後にする。
十二天は何も言わずとも当然のように荷台に腰を下ろした。
ペダルを漕ぐ足に力が入る。嫌になるほど重い筈の上り坂も軽快に登り切った。
暑くもなく涼しくもない温い風が頬を撫でる。彼女が触れているところがじんわりと熱を帯びる。
このままどこまでも二人で行ければ良いのにななんてことを考えながらペダルを漕ぎ続けた。
「誰も居ないみたいだな」
既に体育館の明かりは消えていて職員の車も残っていなかった。空っぽの駐輪場に自転車を止める。
「ありがとね」
彼女は行儀良く荷台から降りてこちらを向いて微笑みながら御礼を言った。こうして彼女を乗せるのも残すところ帰り道だけと思うと切なく思う自分がいるのを感じる。
「どういたしまして。また昨日と同じ場所から入るのか?」
「そうだね、鍵は閉めてないよ」
十二天の言った通り、例の教室の鍵は未だに開いていた。助かると思う反面こんな危機管理で大丈夫なのだろうかと若干心配になる。
「先に入ってスリッパを取ってくるよ」
そう言って窓から教室へ侵入し、ロッカーに隠したスリッパを取って戻る。
「はい、スリッパ」
遅れて入ってきた十二天にスリッパを渡す。ありがとうと小さく御礼を言いながら丁寧に靴を揃え、優しくスリッパに履き替える姿に男女の差を感じる。
十二天は行こっかと小さく呟いて上階へ向け歩き始めた。
「私が先に行って鍵開けておくから懐中電灯を貸してくれないかな。天神岡くんは各教室から少しずつチョークを持ってきて欲しいな」
彼女は三階に着くや否や鞄から取り出した手袋を嵌めつつ言った。
手袋を嵌める姿を見て忘れてたなと思いながら懐中電灯と軍手を取り出し、懐中電灯を彼女に渡してやった。
各教室から白いチョークを数本ずつくすねて彼女の居る隠し階段へと向かう。誰も居ない夜の学校とは言え、一人で女子トイレに侵入すると言うのは多少の罪悪感を感じる。
「お待たせ、チョーク持ってきたぞ」
「ありがとう、もう少しで空くから手元照らしてくれると嬉しいな」
一人で手元を照らしながら作業することは難しかったらしい。手元を照らしてやると彼女はいとも簡単に鍵を開けた。
昨日も来た壁に囲まれた十畳位の空間だが昨日と全く違う印象を受けた。濡れていたコンクリートの床はすっかり乾いており、空を覆っていた雨雲は影も形も無く、星が降る様な夜空が広がっている。
「綺麗だな」
「星空ってこんなに綺麗なんだね」
思わず口をついて出た言葉に十二天も反応する。好きな女子とこうして夜空を眺めるのは中々どうして悪くないが、浸っていたらいつまでも作業を始めることが出来ないのでナップサックから荷物を取り出して準備をする。
「まずは円を描こうか。紐で直径を決めよう」
紙紐の先端を十二天に渡し、二人で真逆の方向へ歩き距離を取る。
「このぐらいで良いかな」
二人共壁から50センチ程になった所で十二天からストップがかかり、ロールから出ている紙紐を切り離した。
「紙紐の先端をくれ」
十二天から紙紐の先端を受け取りもう片方の先端と合わせ、足元にチョークでバツ印を付ける。
「このまま離れて紐の折り返し部分を持ってたら良いかな?」
「頼む。中心が決まったら一応チョークで印を付けてずれない様に立っててくれ。そうしたら俺がこのラッカーで円を描いていくから」
十二天に中心を決めて貰いコンパスで円を描く様にラッカーを吹き付けていく。左手に持った紙紐が弛まず、かと言って引っ張り過ぎて彼女が動いてしまわぬ様に力を加減する。
「とりあえず一周したけどこんな感じで良いか?」
「うん、良い感じだと思う」
「じゃあ次は円を四等分にしよう」
直径より少し長くなる様に紙紐を二本切り、円の中心を通って等分する様に張りガムテープで固定する。二本の紐が直角に交差するように張ることで円を四等分した。
「これで大丈夫か?」
「うん。じゃあ下書きしていくね」
十二天がチョークで下書きしていくのをせめて少しでも作業がしやすいように懐中電灯で照らしてやる。
女子らしく淑やかな体勢でゆっくり下書きするのを想像していたが、実際には歩幅で大体のアタリを取った後はかなり大胆に線が引かれていった。
足を開いて屈んだり、時に手や膝をついて作業していく中でやはり男物の服は少し大きかったのだろうか、ハーフパンツが下がり僅かに白い肌と対照的な黒い布地が垣間見える。
ただその様な姿なのにも拘わらず下品さは感じないのだから不思議だ。あるいは俺がそれを喜んでいるだけなのかもしれないが。
「とりあえず四分の一終わったけどどうかな」
十二天が手元で見ていた元の図案を見せてくる。地面上のそれと見比べてみても狂いは感じない。
フリーハンドで図形を拡大して描くのはそれなりに大変なはずだが、暗闇の中いとも簡単にやってのけるのは彼女の認識能力の高さ故なのだろう。
「かなりいいと思う。上手いな」
「ありがとう。じゃあ私は続きを描いていくね」
そう言って彼女は隣の四分円へと移っていった。
十二天が付けた線をなぞる様にラッカーを吹いて行き、追いついたら懐中電灯で照らしてサポートを繰り返す。
彼女が下書きを終えた後は最後の四分円を俺が吹いている間に全体を確認してもらい、吹き付けが甘いところは吹き足して貰った。
「はい、終わり。意外と早かったな」
屋上に着いた時には暗かった東の空がぼんやりと明るく滲んでいた。
十二天は鞄からジップロックに入った便箋と円形の文鎮の様な物を取り出し、今しがた描き上げた図形の中央に置いて言った。
「天神岡くんのおかげだよ、ありがとね」
「今置いたのはなんだ?」
この図形が教師に見つかるだけでも問題だろうに、手紙なんて置いて行ったらもし見つかった場合犯人が特定される手掛かりになりかねないのではないだろうか。
「これにはさっきマクドナルドで言ったお願い事が書いてあるよ。暗号にしてあるから普通の人に見られる分には意味が分からないと思うけどね」
まぁ直接的な内容が書かれていないのなら教師に見つかる分には恐らく俺達が特定されることは無いだろうが、もし仮にUFOに見つけて貰ったとして正しく意味が伝わるのかは甚だ疑問ではある。
「さて、終わったし戻ろっか」
紙紐を一纏めに束ね、ガムテープを剥がし片付けを終えた十二天が言った。
正直もう少し完成の余韻に浸りながら会話を楽しみたいところではあったが、良い時間でもあるので大人しく後に続いて屋上を後にする。
やけに寂しげな音を鳴らしながら扉が閉じた。
続く