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鷹司忠冬のやらかし  作者: 若竹
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京のみなしご 桜丸

 戦乱で荒れた京の町には孤児(みなしご)も多い。桜丸も物心ついた時には孤児だった。そして、孤児は同じ境遇の孤児を頼り、庇い合う事で徒党を組み自分達を守った。朝、起きたら隣にいた仲間が冷たくなっていた事も度々あった。


 ある日、細川の殿様達が京を追い出された。その後はノボリを背に付けて京をウロつく変な武家が増えたが、(いくさ)は起きなくなった。


 しばらくして鷹司の普請をすると飯が食えると言う噂を耳にした。実際は一日普請をすると木札を何枚か貰え、その木札一枚を粥一杯と交換できるのだった。


 普請の種類は多かったが、沢山の木札がもらえる普請は難しかったり、キツい力仕事だった。女子供でもできる軽い作業は木札が少なかった。


 自然、木札が多い普請は男達に取られたが、大抵は木札の少ない普請が余り、後家や老人、孤児などに割り振られた。


 木札が一枚しか貰えない日もあったが、徒党を組んだ仲間で粥を持ち寄り、分ける事で、飢えで死ぬ子は出なくなった。また、少ない木札の普請で顔見知りになった後家や老人達も桜丸達の手助けをしてくれた。


 孤児達が出来る普請は下京の普請が多かったが、右京で田畑の開墾が進むと、農作業の手伝いなどの普請が増えていった。右京まで出向くのは子供の足にはキツかったが、運がよいと間引いた野菜をもらえる事もあり、桜丸達は得な仕事と喜んだ。


 季節が進むと徐々に町に食べ物が増えていった。かっぱらいを働かなくても普請で貰える木札で交換してもらえる。桜丸達も自然と悪さをしなくなった。


 悪さをして捕まった時には叩きのめされて何日も寝込む事になる。酷い時には手足を折られたのだ。無理に悪さをしなくても木札さえあれば暮らしていけるのだ。


 子供の成長は早い。季節が一回りすると少しずつ成長した仲間には、木札の多い普請にありつく事もできる者も出てくる。大勢の仲間がいる桜丸達に木札が貯まるようになって来る。顔見知りになった後家や老人も合流し、病気になった孤児やまだ働けない幼な子の面倒を見てもらうようになった。


 この頃から、食べ物以外でも木札と交換出来る物が増えてきた。鷹司が差配している以外の店でも木札を受け付けるようになってきたからだ。簡単な使い走りを木札で頼む人も出てきた。


 桜丸の仲間も、屋台を出す事になった。溜まった木札でクズ野菜などを仕入れ、粥に混ぜて出すのだが、木札を余らしている一人者も多く、二枚の木札でも気安く買ってくれるのだった。


 屋台は、鷹司の普請を受けられる程ではないが、かと言って寝たきりなど動けない程でもない者の受け皿となった。目が見えない者や耳が聞こえない者もお互いに出来る事を分担すれば屋台で働けるのだ。


 乱暴者もいたが、検非違使が取り締まるので子供や後家たちだけでも安心して店を出せた。


 戦が遠ざかると、孤児になる子も減った。減りはしたが孤児がいなくなる訳でもなかった。桜丸たちは新しい孤児を見つけると仲間として受け入れるのだった。


 桜丸は孤児達の頭目に推され、その集団は桜党と呼ばれるようになった。


 桜党は下京で存在感を増して行き、検非違使の使い走りなども任されるようになる。





本編はホノボノベースの物語になってます。

そちらもよろしくお願いします。


鷹司家戦国奮闘記

https://ncode.syosetu.com/n6967he/

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