仔犬
一人、村を後にしたヒロの頭の中を色々な思い出が過った。物心ついた時には、ヒロの傍にはネーレイウスがいた。
ヒロの進むべき道しるべは全てがネーレイウスであった。
道しるべを失ったヒロには、復讐心しか残されていなかった。
紫色のアサシンの装束に胸当。格闘術に適したグローブ、それとネーレイウスの残した刀を背中に背負っていた。その刀を見ると自然と涙が溢れそうになったが、誰にも見られないようにじっと堪えた。
紫の装束では、昼間はかなり目立つのでその上には大きな布の真ん中に穴を開けたポンチョのような物を羽織った。
それはネーレイウスが仕事に出かける時の正装だった。見よう見真似で身支度をした。なぜか、ネーレイウスの真似をする事で自分が少し強くなったような感じがした。長く伸ばした髪は後ろで結んでいた。当目で見るとその容姿は女性と間違われるかもしれない。ヒロは同じ年頃の男性と比べると決して背が高い方ではなかった。
村から少し外れた場所に作られたネーレイウスの墓に手を合わせる。
村におけるネーレイウスの存在は一目置かれており、墓も他の物と比べると少し上等に作られているようである。それでも知らない者が見ると墓とは気づかないような代物であった。
ヒロは墓前で目を見開き、何かを睨みつけるような目で誓った。「爺、俺行ってくるよ。きっといつかあんたの仇は俺が取ってやるからな」ヒロは立ち上がると墓を後にしたのであった。
今回、ヒロに与えられた任務はアテナイ王国の若き王子であるオリオンという男の暗殺であった。
現国王の跡を継ぎ、君主として国を治める前に色々な物を学びたいと諸国を漫遊しているそうだ。それもお供も無しに一人旅。
よほどの手練れなのか、もしくは世の中を知らない馬鹿な王子なのだろうとヒロは考えていた。
目指す場所は遠かったがヒロに馬などは与えられておらず、ひたすら歩き続けるだけであった。幼い頃よりネーレイウスに鍛えられたヒロの足はその見た目に反して、強靱な筋肉を備えていた。一日中歩き続ける事も平気であった。
半日ほど歩いた頃、ちょうど小さな街にたどり着いた。その頃には日が暮れて空が少し暗くなっていた。
ヒロ達、アサシンには任務を遂行する為に五十万ガンの金銭が支給される決まりとなっている。町で毎日真面目に働いて一月で稼げる金額が約十万ガンであるので、渡された金銭は相当な額であった。
だが、今まで、金銭を見たことも使った事も無かったヒロにとっては、その価値を正確に把握することは出来ていなかった。
「ひとまず泊まる所と飯だな……」しかし何処に行けばいいのか皆目見当がつかずに結局あちらこちらをフラフラと徘徊するような形となった。
ある場所で人が沢山群がっている場所があった。そこに行けばなにか解るかと思いヒロも人々と同じように皆が見ている物を覗きこんだ。
「はい、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!世にも珍しい珍獣だよ!!」体が大きい上半身裸の男が笑いながら大きな声で人々を集めている。彼は手に手綱を握りしめている。そして反対の手には鞭があった。彼の手綱の先には三匹の小さな仔犬が繋がれていた。犬自体は珍しい物では無いのだが、その仔犬達の体毛は、それぞれイエロー・マゼンタ・シアンと美しいものであった。ヒロもその仔犬達の愛らしさに少し目を奪われた。
「さあ、オマエタチ!お客様に芸をお見せしろ!」そう言うと男は容赦なく鞭を仔犬に放った。
「キャン!」そう鳴くとイエロー色の仔犬が倒れた。それを見てマゼンタの仔犬が牙を剥いて男に飛びかかり腕に噛みついた。
「痛てててて、この糞犬が!」そう言うと腕を振り落として、仔犬を地面に叩きつけた。その様子を見てシアンの仔犬が震えている。
「この!役立たずが!!」男は言いながら仔犬に鞭を奮おうとした。
「やめろ!」ヒロは反射的に飛び出して男の鞭を取り上げた。
「小僧!なんだ、俺の商売の邪魔をするつもりか!!」男は立ち上がるとヒロの顔を睨み付けその胸ぐらを掴んだ。その腕を捻り、男の体を制圧した。
「痛てててて!!何をするんだ!!」男の顔面が苦痛に歪んでいる。ヒロにとってこの程度の男を足腰が立たない程度にしてやる事は容易い事ではあったが、公衆の面前でその技を披露する訳にはいかなかった。
ヒロは、男の腕から手を離すと少し距離を置いた。
「すまなかった……、ついカッとなってしまって……、そうだこの仔犬達を俺に譲ってくれないか?」ヒロは少し表情を柔らかくして提案してみた。
「か、買うって言うのか!?見ての通り、この犬達は珍しい犬種だ。なかなか言うことは聞かないが値段は張るぜ!」言いながら頭の中で、計算をしているようだ。
ヒロはしゃがみこむと、倒れていたマゼンタ色の仔犬を抱き上げて傷の具合を確認した。
「そ、そうだ一匹につき十万ガンだ。三匹で、……さ、三十万ガンだ。びた一文負けねえぞ」男なりに吹っ掛けているつもりのようであった。
ヒロは胸元から手を差し込むと財布を取り出した。男は刃物でも飛び出すのではないかと少し驚いた様子であった。
「これで足りるかな?」ヒロは財布の中から鷲掴みにお札を掴むと無造作に渡した。
男は受け取った札をゆっくりと数えた。どうみても男の要求した三十万ガンより多かった。
「あ、ああ……」男に差額を返す気は無いらしい。
「それではこの三匹は俺が貰っていくよ」ヒロは三匹の手綱を受けとると、三匹を優しく抱き上げてその場から離れた。
「そういえば、腹が減ったな……」ヒロは自分が空腹であった事を忘れていた。ネーレイウスには暗殺者たるもの、しばらく食事をしなくても生きていけるように訓練しなければいけないとは言われたが、成長著しい時期はその訓練は免除されていた。
ヒロは食べ物の匂いを頼りに店を見つけて店内に入り、鶏肉を炒めた料理を食した。村で食べてきた食事より美味しくて少し驚いてしまった。
店主に器を三つ借りて自分の食料を仔犬達にも分けて与える。どうやら、お腹を空かせていたようで仔犬達は貪るように、食らいついた。
「美味しいかい?ゆっくりお食べ。食べ物は逃げないからね」言いながらヒロは仔犬の頭を撫でた。仔犬が嬉しそうに微笑んだような気がした。
先ほど、この仔犬達を助ける為に、所持していたほとんどを金を男に渡してしまったので、ヒロは宿に泊まるほどの金銭は残っていなかった。
仕方なく先ほど食事をさせてもらった店の店主にお願いして隣接する物置の中で少しの金銭で一晩泊まらせてもらう事を了承してもらった。
仔犬達の空腹が満たされたようで、寝転ぶヒロに甘えるようにじゃれついてくる。
「あはは、くすぐったいよ」イエローの仔犬を持ち上げると、仔犬はヒロの顔をペロペロと嘗めた。
ふと見ると仔犬達の首に不似合いな首輪が巻かれていた。 ヒロは、それを一匹ずつ外してやった。仔犬達は何かから解放されたように嬉しそうにその尾っぽを激しく振った。
「これでもう、君達は自由だよ。好きな所に行くといい」仔犬を自由にしてやるといっても、彼らが自分達で生きていけるかどうかは、ヒロにとっても懐疑的ではあったが、アサシンとして定住する場所のない自分に、仔犬達を飼ってやることは出来ない。せめて、今夜だけはこの仔犬達を安心して寝かせてやろうと思った。
「おやすみ」ヒロはそう言うとゆっくり目を閉じてた。そして、仔犬達もヒロの体に寄り添うように眠りについた。まるで母犬に甘える仔犬のように。