英雄未満
冒険の合間に束の間与えられる休息の中、見る夢はいつも朧げだった。
呼ばれる名も声の主の顔も、全てが霞み夜の闇に溶け出している。
けれどあの風景が何か私は知っている。
これはきっと、死んだ私の思い出。
私は、小さな村で生まれた。
ララフェルと名のつく種族の間に生まれた私は、生まれた時は未熟児と見紛う程小さな子だったらしい。
私の誕生を両親は手放しに喜ぶ事は出来ず、反対に村人は大喜びした。体の大きさが問題ではなかった。
紫の髪に紫と緑のオッドアイ。両親の目の色を片方ずつ受け継いでいた。
本来子供は母親の髪色、父親の目の色を受け継ぎ生まれる。
だがこの村では稀に、その片方ずつを受け継いだオッドアイの赤子が生まれる事がある。今の私なら分かるが、それはこの村特有の現象ではなく、ララフェル族の中では普通に起こりうる事である。
しかしこの辺境の小さな村では、昔からの言い伝えや伝承や特有の風習が強く根付いていた。外部から情報を持ち込む者もおらず、古風な考えや宗教性が根付いていても何らおかしくはなかった。
その村では掟があった。オッドアイの赤子は稀子と呼ばれ、神の遣いである。
現世でその様子を見、その体に様々な作法や知識を蓄えて神に伝える伝聞役として神が遣わした特別な存在。
だから数えで18になる歳に、神の元にお返ししなければならない。
さすれば、村に大きな富と繁栄が訪れる……。
聞こえはいいが、ようは生贄だ。
大方、稀な見た目を呪いや禍の類と騒ぎ立てていたが、それを神の遣いと名立てる事で村人の不安や恐怖を和らげ、生贄とする事で信憑性を高めると同時に神に村の繁栄を祈願したのだろう。
罪の意識を軽くして自分達の利益を得る。まぁ村集落では頻繁に行われていただろう。
そうして私は、生贄として18まで育てられる事となる。
様々な作法や知識を教え込まれ、髪を切る事を禁じられた。
神の遣いである子供を傷つけてはいけないという掟だった。
外で遊ぶ事も禁じられ、怪我や病気をしない様に慎重に育てられていた。本や紙、筆の溢れる部屋の中で休む間も無く勉学に励んだ。3つで文字を、5つで読み書きの殆どを覚えた。8つになる頃には音楽や舞踊、伝統芸能と呼ばれるものを身につけていた。
琴や笛、太鼓に弦楽器。神楽や祈祷の舞。私は覚えが早かった様で、するするとその知識を増やした。覚える事知る事が私は好きで、その生活を苦とは思わなかった。
他者より短命である事を知っていた分、有限の時間の中で知れる事できる事を増やしていたかった。
そして18回目の誕生日。私の髪は地面を擦るほどに長く伸び、背も顔立ちも大人のそれと代わりなかった。
朝日とともに目を覚まし、三晩月の光に照らされた水で体を清める。
見知らぬ女性たちに髪を結われ、低い位置で1本に整えられる。目元と唇に紅を入れ、真っ白な着物に袖を通し、金でできた髪飾りを頭に乗せる。動くたびにしゃらしゃらと音を立てるそれを揺らしながら、いつ作られたかも分からない古い祭壇に足を運ぶ。
座り方もお辞儀の仕方もこの日の為に教え込まれた。皮肉な程美しくこなせるその動作は、着々と私の終わりを告げていた。
儀式が始まる。両隣で揺れる炎をぼんやりと眺めた。村人は一様に何かの文言を唱え、村長が一際大きな声で神に対する祝言か何かを話していた。
目を向けると、両親は泣きそうにこちらを見つめていた。
「何か言いたいことはあるかい」
髭の長い村長がうやうやしく問いかけた。
私は正座した膝の上に重ねた手を見つめながら一頻り考える。
「御世話になりました」
それだけ呟いて両親を見つめた。大丈夫だよと、伝わるかも分からない中で2人に微笑みかける。
私は誰も憎んだりしない。自分の短命を何かのせいにはしない。
これは定められた事で、誰にもどうしようもないものだから。
村の女性達が私の着物を正す。手を取られ立ち上がると、胸元に小さな巻物の様なものを入れられた。
これは今日までの私の人生と、この村の掟に従って生贄を立てたといった内容が事細かに綴られていた。私はこれのおかげで、この日の話をする事ができる。
神を祀る祭壇の管理者である神主に祓を受け、祭壇の奥に歩みを進めた。
柵の取り払われたその下は、流れの激しい川になっている。
そこに自ら身を投げて、神の元へ向かうのだ。
目を閉じて、川の流れに耳を傾ける。胸元の巻物をきゅっと両手で握り、私は体を倒した。
最後に感じたのは冷たい水の感触と唸る様な川の音だった。
目を覚ましたのが、それからどれ程経った後のことか分からない。
温かな焚き火の近くで目を覚まし、体を起こす。
「起きたか」
そっとマグカップを差し出したその人は、世界を転々と旅する冒険者だった。
「川辺で真っ青な顔をして倒れていた時は驚いた」
受け取った紅茶を口にすると、自分の体が冷え切っていた事を自覚する。
「どこから来た?なんで倒れていたんだ?」
ぼんやりした頭で考える。
「覚えて、ない」
「覚えてない?」
私はその時、今までの記憶の全てを失っていた。
自分が白い着物を着てる理由も、自分がどこから来たのかも、名前も自分の容姿さえ覚えていなかった。
冒険者と私は、私の胸元に入れられた巻物を解き、それを読む事で私を知った。
だがそこには私の名前や両親の記述はなく、あくまで儀式に必要な、生贄としての史実しか書いていなかった。
「大丈夫か」
こくりと頷く。不思議と何も感じていなかった。私には覚えのない事だし、夢か御伽噺のようにしか聞こえなかった。
つまりここで冒頭に戻る。
私は一度、死んでいる。
それから私は今までを忘れ冒険者と日々を共にした。共に飯を食べ狩りをし、共に星を見た。
たくさん怪我をして病気もした。髪は長い一本結びを根元からざっくり切った。
後ろが短く前が長い不格好にも思える髪になったが、動きやすくて案外気に入った。
彼は腕っ節は良かったが、あまり知識はなかった。
「今日の飯はこいつを……」
「それ、毒」
自分の事は何も分からないのに、不思議と知識は私の中に満ちていた。
分からないけど知っているという気持ち悪さはあったけど、それらは私と彼の生活を豊かにし、救ってくれた。
彼は私に生き方を教えてくれた。戦い方や生き抜く為に必要な知識を与えてくれた。
過去の私は稀子と呼ばれたが、あながち間違いでは無かったのかもしれない。私には魔術の素質があり、更には今後『超える力』と呼ばれる事になる能力すらも持ち合わせていた。
「お前の瞳は宝石みたいに輝くな。緑の宝石にはエメラルド、ペリドット、翡翠が有名だが、その全ての石言葉に幸福が含まれる。紫の宝石にはアメジストが有名で、石言葉は真実の愛。そして紫の石は魔力を有しやすいとも言われる」
「詳しいね」
「採掘もかじってたからな。お前はいい瞳をもってるよ」
疎まれていたこの瞳を、事あるごとに彼は肯定した。
空っぽの、生まれたてと変わらない記憶に大人の体。
そのズレや不安を埋めてくれたのは彼だった。
彼と過ごして2年と少し経とうかという時、彼は居なくなった。
街で悪さをする魔物を討伐に行くと言って出てったっきりだった。
3日経つ頃に彼の置き手紙を見つけた。
お前は1人で生きていける、俺といるよりもっといい人生になるはずだ。
そんな事が書いてあった。魔物の討伐が嘘だったのか、これを遺書の代わりとしたのか分からないけど、私はまた1人に戻った。
彼を恨んだり追いかけはしなかった。空っぽの私を埋めてくれた、それだぇでもう充分すぎるほどのものを貰っていた。
私は冒険者としての道を選んだ。小さな杖を背負い、冒険者を乗せてくれるという馬車に乗り込んだ。
必要な事は全て教えてもらった。
「お前さん、名前は?」
「名前……」
彼は私に名を付けなかった。私も彼の名を知らなかった。
「……さよ。小夜時雨」
夜中に降る、冷たく短い通り雨。
後も先もなく、そのひとときの間だけ降り注ぐ雨の名が私は好きだった。
過去も名前も捨て、新たな名と人生を歩み始めたあの日、私は生まれた。
あれから冒険を続け、たくさんのものと対峙し戦い救ってきた。
毎夜見る過去の夢は日を追うごとに薄くなり、かの冒険者の夢を見ることも少なくなってきた。
私はたくさんのものを手にして、そしてそれ以上に手放してきた。
過去を手放した薄っぺらな私でも、まだ掴み捨て救い歩めると知った。
憎まれ恨まれることも多かった、それでも自分にできる事を出来る限りやった。
この小さな手に多くのものを持ち、落とし零し、それをまた拾い上げる毎日。
小さな両肩に多くの使命や想いを乗せられ、歩む毎日。
笑顔を携え、魂を賭し起き上がり、覚えている。
目尻に紅を入れ、懐に盾を、瞳には緑と紫の宝石を。
「幸福と真実の愛」
鏡に写る自分に時折呟く。
その全てを今私は手にできている気がした。
目尻の紅は願掛けのようなもの。生贄となる日に施されたと書いてあったそれを、私はかかさずにする。
私は誰も憎んだりしない。これからの自分の行く末を何かのせいにはしない。
この世界の悲劇がどうしようもないものではなく、誰かの手で止められるのであれば、歩むのをやめたりしない。
例えこの先私の選び取る選択が、世界の為の生贄に過ぎなかったとしても。