[chapter:4]
[chapter:4]
人ごみに紛れなさい、とシンに送り出され、羽柴は小走りで来た道を取って返す。暗さを増して影が深いのに、祭りの空気は騒がしい。
は、は、と呼気がやけに耳につく。
肩からかけた黒衣は驚く程重さを感じない。
表通りへと抜ける数十メートルの直線。その先には、行き交う浴衣の人たちが見えて、羽柴は足を止めた。
気温は落ち着いても、うだるような蒸し暑さは続いていて、走ったことでじわじわと背中に汗がにじむ感触。
「はー……」
電柱に腕をついて立ち止まる。
繰り返す呼吸は、思考を止めて感覚を研ぎ澄ます。
脳裏によみがえるのは、羽柴がキツネを拾ったお礼に、シンを『退治』しにきた、という神様の声だった。
――『命を伸ばしてやる。あの死魔が消え去れば問題あるまい』
「はー……」
視線を手に落とす。
握り締めた手を見る。
その手のひらの中には、シルバーネックレスの硬い感触。大事な物だから持っていてくれ、とシンから託されるように手渡されたものだ。
――『必ず戻りますから、ここから離れて下さい』
「はー……」
――『死は絶対です。死神の有無ではありません。私の仕事は魂の守護です、私にはむつきの魂を守る責任があります』
――『――退治されたくない嘘にしては下手だな』
違う。と羽柴はゆっくりと顔を上げる。
シンがあの状況で嘘などつかない。
――『――……私が好きで殺している、と勘違いしているようです』
そうか。
唐突に、話が頭の中でつながる。
羽柴は後ろを振り返る。建物の陰にすっかり隠れている公園を見て、つばをごく、と飲み込んだ。ひりついた喉に、やけにしみた。
「勘違い、してるんだ、あの神様」
神様は、羽柴がキツネを助けたお礼に、死神を退治しようとしている。
けれども羽柴が死ぬのは運命で、絶対で、むしろ、シンは、
シンは――
「なんで言わないんだ」
死神が命を奪っているんだと思っていた。
きっと違う。命を落とすことは、何をしても変えられない。死神は、むしろ運命から外れないように守っている。
「なんで」
恨まれ役を買って出ているんだ。
死ぬのは死神のせいだと、憎むなら自分を恨めと、あるいは――
電柱に当てた手に額をあてて、羽柴は小さく笑う。
「説明するのがめんどくさい、とか、言いそうだよね」
『なんで私が相手のために、そこまで説明してやらなければならないんです』そんなことを言いそうだ、と電柱から手を離す。
息はすっかり落ち着いて、汗が体温を下げる。それに合わせるように気分も落ち着いてきた。
反対の手を持ち上げる。水がこぼれないように握り締めたビニール袋の中で、亀が何を考えているのかわからないのっぺりした表情で羽柴を見つめていた。
「ごめんね、さっそく走ってて。ねえ、戻ってもいいかな」
戻っても邪魔をするだけかもしれない。
誤解をとけないかもしれない。
だけど、
「放置だってできないよ」
亀は答えない。
……そして羽柴は、小さくうなずき、それから公園へと踵を返して走り出した。
来た道をひた走る。
戻って気がつくが、やはり空気が冷えている。虫の鳴き声も聞こえない、どことなく緊迫した空気感に、緊張が増す。
あと少し、もう少し。
住宅地を抜け、その間に木々が生えていて、その隙間から見える、街灯と時計塔。
「――ぁあッ!!」
シンの怒鳴るような声が聞こえてぎくりとする。
両手を握りしめ、ネックレスを痛いほどに握り締める。鈍る足をその痛みで叱咤して、公園の入り口へと立つ。
見れば、大鎌を振り上げるシンの背中が見えた。
そのうつむく先、大鎌が振り下ろされる軌道の下。
刃を凝視する神が見えた。
羽柴は地面を強く蹴る。訳も分からないまま、シンへと体当たりするように抱きつく。
「!?」
シンが息をのむ音が聞こえた。
次いで、何かを刺す鈍くて固い感触がシンの体を通して伝わってくる。
「むつき!?」
なんで戻ってきた、という声に、羽柴が大鎌へと視線を向ければ、そこには神様の顔の横、地面に深々と突き刺さる大鎌の刃が見えた。
引きつった顔の神様は余裕なくシンと羽柴を見ていた。
「ダメだよ、こんなの……」
こんな方法で解決するわけがない。
羽柴はシンを見上げて叫ぶ。
「神様の誤解を解こう」
目隠しで顔は見えないが、シンは度肝を抜かれたように羽柴を見返した。『なにを言ってるんですかあなたは』と言いたげな顔を羽柴は必死に見上げる。
「……なんであなたが止めに入るんです!?」
「俺のせいでこんなことしないで!!」
お互い怒鳴り合う。
その隙をついて、神様が動いた。
近くに転がる太刀をつかみ、人間離れしたスピードで立ちあがって、上からシンへと太刀を振り下ろす。
やめて。もうやめて。
羽柴は庇うようにシンへと抱きつく。勢いに負けてシンの体が倒れた。
風を切る鋭い音が背後から響いた。
そして、
――何もかもが静かになった。
「――バカ者が!!」
背後から神様の怒鳴り声が聞こえて、シンに抱きついていたまま、羽柴は恐る恐る顔をシンの肩口から顔を上げた。
背後を見れば、振り下ろされた太刀が羽柴の体すれすれで止まっている。
「死ぬ気か!? なにを考えているんだ!!」
「す……すみません」
怒鳴り飛ばされて小声で謝る。
謝りながら、あれ、なんかこれあれに似てる。と、ふと道路を歩いていた時に道路にはみ出してしまって、車のドライバーから怒鳴りつけられる感覚に似てる、と気が付く。確かにはみ出したけど、そもそもスピード出してたのそっちだよね? みたいな。
つまり、
「っていうか、俺、神様に殺されかけたんじゃ……」
殺しかけたお前が言うな、的な感覚に戸惑いながら、羽柴は顔を前へ戻す。
背後の神様とは逆に、シンは硬い表情で硬直していた。
「シン? シーンー?」
強張った表情でいるシンの前で、羽柴はにぎった手を振る。
はっとシンが息を飲むと、ゆっくりと肩の力を抜いて、のろのろと腕を羽柴の体へ手を伸ばすと、そのまま羽柴を抱きしめてきた。
「……シ、シン……?」
身動きが取れないほどの力で抱きしめられて、驚きながら羽柴が声をかける。
けれどもシンは力を弱めない。
「――……し、」
蚊の鳴くような小さな声が聞こえた。羽柴は視線だけでシンの顔を見ようとするが、顔を上げることもかなわない。
「……しんだかと」
小さくて細くて震える声に、羽柴の息もつまる。
「――……ごめん」
「むつきが、死んだかと。なにも、できなかっ――」
怯えた様子のシンの背中に手を回して、その背中を優しくなでる。
「――生きてるよ」
「――……っ」
羽柴はもぞもぞとシンの腕の中でもがいて、何とか首と顔の自由を確保すると、少しだけ後ろを見る。
抜き身の太刀をぶら下げて、疲れた様子で立つ神様を見返す。
「もうやめて下さい」
シンの方は戦意喪失というか、完全に何かに怯えている。
「――お前はそれでいいのか」
神様が念を押すようにぼそぼそとつぶやいた。羽柴は小さくうなずく。
「これでいいんです」
――これでいい。
シンに自分のためにこんなことをして欲しいと望んでいない。
神様にもシンを退治などして欲しくない。
例え自分が死ぬことになっても、
「……これで、いいんです」
怯えて怖がる小さな子どものように、羽柴を抱きしめて、羽柴へと顔をうずめるシンの背中をあやすように繰り返し撫でながら、羽柴は小さくつぶやいた。