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[chapter:3]

[chapter:3]


 祭の当夜、外がすっかり暗くなっても、その場所は明るくにぎやかなままだった。

 歩行者天国になっている商店街の通り、羽柴はガードレールに腰かけて、りんごあめを幸せそうに食べる。

 それをぼんやり見ながら、シンは気持ち悪さをこらえる。

 やはり祭りなどくるべきではなかった、と後悔しながらも、普段より明るく笑う羽柴を見ていると、帰ろうなどと水をさすような真似もできず。ただひたすら不快な気分を耐えるという時間を過ごす羽目になっていた。

 それに帰宅など提案すれば理由を聞かれてしまう。

 ぱり、と隣から聞こえてくるべっこう飴とヒメリンゴを噛み砕く音に、どこか遠くなっていた意識を戻す。

 目の前の人ごみに目を向けないようにしながら、何となくりんごあめをかじる姿をながめていると、

「あ」

 食べ終わるころに、羽柴が身を乗り出した。

 つられてシンも羽柴が見ている方へ視線を向ければ、『かめすくい』と書かれた看板が立つ露店のスペースと、その下に裸電球に照らされている青いプラスチックのプールが見えた。

「あれやりたい」

「……もう飼っているのに、増やしてどうするんです」

「だって亀吉寂しそうだから。人数多い方が楽しいよね」

 やると決めたらしい羽柴がガードレールから腰を上げて、行き交う人の流れを縫いながら歩きだす。

 こういう時の羽柴に何を言っても無駄だ。ここしばらくの関係で学んだシンは、なにも言わず、露店へ向かう羽柴へとついて歩く。

 自分が死ぬ運命にあることは忘れているらしい。

 祭りに浮かれて、不幸な亀を増やすことになっていることに気づいていないのだろう。

 言えばやめるだろう。やめるだろうが――それを言うのは、なぜだかはばかられた。

「すみませーん、一回お願いします」

 気安く声をかけながら羽柴が財布から小銭を差し出し、若い露店の男性から、かめすくい用のモナカを受け取る。

 プールの前でしゃがみこみ、羽柴は「どの子にしようかなー」と浴衣を着た子どもの隣で真剣に考え込む。

 何を考えているのか分からない亀たちは、思い思いにもたくたと手足を動かして泳いだり、水の中に置かれた置物の小山に登って休んだりしている。

 羽柴の背後からプールをのぞき込んでいたシンは、「ふむ」と声をあげる。

 それから別の角度にまわりこんで、改めてかがみこんでプールをのぞく。

 そして、死の気配が良く見えない一匹を見定める。

 すぐ死なない、けれども確実に長く生きる気配もない、不思議な一匹に目をつける。環境によって寿命の長短が決まる一匹に声をかけた。

「――うちに来る気はありますか」

 シンの呼びかけに、プールの中に置かれた置物の上でじっとしていた亀は、ゆっくりとシンの方へと顔を向けた。

 シンと亀とで見つめ合う。

「……えーと……」

 羽柴はちらりとシンの様子をみながら、モナカとお椀を持って、コメントに困った様子で固まった。

 やがて、その亀がもぞ、と動き出した。

 プールの水へと転がるように飛びこむと、羽柴の方へと向かって泳ぐ。そして羽柴の目の前あたりでぴたりと動きを止めた。

「――どうぞ」

 平然と言い放つシンの言葉に、羽柴はプールの亀を見おろして沈黙する。

「……ええと」

 今までにないであろうかめすくいの状況に、羽柴は目の前まで泳いできた小さな亀を見下ろして戸惑う。

 亀はプラスチックの壁に手を当てて、ぷかぷかと浮きながらじっと羽柴を見上げるとそのまま動かなくなった。

 早くしろ。とでも言っているような態度に、羽柴は曖昧に笑う。

「あ、あー、この子にしようかな」

 空々しく独り言を口にしながら、羽柴がモナカを向ければ、その亀が反応した。

 水の中に差し入れられたモナカに、亀の方から手足をばたつかせて転がり込む。

 さして水を吸収しないままのモナカは、形もそのままに亀をすくい上げることができた。

「すごいな兄ちゃん」

「すごーい」

 露店の男性と、隣の子どもに感心されて、羽柴は乾いた笑いを浮かべる。

 飼うから、と連れて帰ることを告げて、亀の説明と飼い方が書かれた紙と、ヒモつきのビニール袋に入れられた亀を受け取る。

「飼い方知ってる?」

「はい、一匹飼ってるんで」

 そんな会話の中、ビニールに入れられた亀は驚いた様子もなくじっとしている。

「……なんか、『苦しゅうない、連れてゆくがよい』って風格を感じる……」

 亀をすくったというか、亀に飼い主として選んでもらった、という感覚に思わず羽柴は小さくつぶやく。

「シン、なんかした?」

「さあ」

 そんな会話を交わしてから、シンはさっさとその場を離れると、露店の間にある電柱の近くに寄りかかって腕組みをしながら羽柴を待つ。

 苦笑しながら羽柴が露店から離れ、シンに視線を向けてきた。機嫌もよく笑顔で、『いこうか』と声が聞こえそうなその視線に、小さく息をつく。

 ゆっくりと電柱から背中を離した時、急激なめまいに足の力が抜けた。

「――っと」

 平衡感覚を失って、後ろにバランスを崩す。どん、と電柱に背中がぶつかる。

 立っていられずに、電柱に背中をつけたまま膝が折れて、体が落ちる。

 そして、道路へと尻もちをつくように座ってしまった。

 しまった。

「亀どもの生死を視ただけでこれか」

 忌々しくなって小さくつぶやく。予想より消耗していることに舌打ちしながら、次いで見たくもない羽柴の方を見る。

 大きく目を見開いて、シンの方を見て動きを止めていた。

 絶対おかしい。そう顔に大きく書いてある、驚いた顔の羽柴と目があって、シンも口を引き結ぶ。

 ゆっくりと立ち上がり、何事もなかったかのように羽柴の側へと歩く。

 疑いの眼差しを無視していると、「ねえ」と小声で声をかけられる。

「この間から思ってたんだけど、体調悪いよね?」

 ――ばれた。

「いいえ」

 とりあえず否定する。

 しかし、即座に否定で返された。

「嘘つき」

「…………」

「休憩しよう。どこがいい? 人が少ない場所がいいよね、それとも帰ろうか?」

 小声で早口で聞かれる。

 ごまかしのきかない状況に、シンは頭痛のようなものを感じながら、わずかにうなだれる。

「――人の少ない場所が良いです」

 観念して正直に言えば、羽柴は「うーん……」と神妙な顔で小さくうなった後に、「ああ」と表情を少し明るくした。

「近くに公園があるよ。裏道にあるから人は少ない……と思うけど」

「ここでなければどこでも構いません」

 夜が更けるにつれて、人が増えている。

 それにつられているのか、人以外の者も増え、シンにとっては不愉快な空間でしかなかった。

「じゃあいこっか」

 羽柴に手をにぎられて、その感触に反射的に手を振り払って引っ込める。

 引っ張って連れて行ってくれるつもりだったのだろう。意図せずやってしまったことながら、罪悪感じみたなにかを感じて、手をにぎりしめながら「すみません」と謝る。

「――あまり、人に触れるのが好きではなくて」

 驚いた羽柴は、次いで困ったような笑顔を浮かべた。

「あ、うん、そうなんだ。ごめん。びっくりさせちゃったよね」

 羽柴は小さく返事をして、「こっちだよ」と小声で言って歩き出す。

 人前なので、大っぴらな会話はそう長くしていられない。

 そうして歩きだすものの、ぐるぐると感覚をかきまわすようなめまいを感じて唇を噛む。

 体調不良なせいだけではなく、悪気のない羽柴の配慮にも礼を欠いてしまったことが気になって仕方がない。

「――むつき」

 小さく声をかければ、前を歩く羽柴がわずかに振り返る。

「やはり、――……体調が悪いので」

 自分でも認めたくないことを認めて、シンは小さく言葉を続けながら、手を差し出す。

「――手をつないでもらってもいいですか」

「え、でも」

 俺のせいで無理してない? という羽柴の反応に、シンは手を伸ばして羽柴の手を握る。

「触れないわけではありません」

 積極的に触れ合いたいと思わないだけだ。

 死神に触りたいと思う人間などいないだろう。シンもそう思われてまで人間に触りたいと思っていなかった。

 そう、思っていた。

 羽柴はそんなことなど気にした様子もなく、

「うん」

 と、手をにぎりかえしてきた。しっかりとにぎり返してくる感触は、

 ――柔らかくて、温かい。

「早く行きましょう、少し座りたいです」

「そうだね」

 花屋の水仕事で少し荒れた羽柴の肌は、少しかさついていた。確かハンドクリームがあったはず、返ったら塗るように言おうか。そんなことを考えながら、今度は手をつないで、ふたりで歩きだす。

 にぎわう商店街から外れ、裏道を少し歩く。

 道から一本離れてしまえば、それだけで雰囲気は一変し、人気もなくなる。

 同じように祭りに疲れたような人や、人目を避けるように逢瀬を楽しむ男女とすれ違いながら、シンは少しほっとしながら連れられるように歩く。

 いつもよりゆっくりと歩くシンに合わせて、羽柴の歩みもゆっくりだ。

 シンからは、前を歩く羽柴の顔は見えない。見えるのは後頭部や耳ぐらいで、何を考えているのかなど分からない。

 ただ手はしっかりとにぎられていて、シンはわずかに表情をゆるめる。

「何で黙ってたの」

 ぽつり、と質問が聞こえて、シンはうつむく。

 羽柴からの唐突な、けれども当然な質問に、少し考え込む。

 ――なぜ。なぜだろう。

 そして、答えを短くまとめた。

「弱いところなど、見せたくないからです」

 やがて到着した小さな公園は、住宅地の隙間に作ったような広さしかなく、遊具もほとんどなかった。

 ブランコと砂場、そのすみに水道。奥にベンチがひとつ。それだけの、誰かの家の敷地なのか、と一見感じるほどの簡素な作りだった。

 そのせいか、人間は誰もいない。死者は目の前の道路をうろうろしているが、人気のない小さな公園などには興味がないようだった。

 そこに入りながら、羽柴が質問を重ねてきた。

「なんで? 人間が嫌いだから?」

 問われてシンは沈黙する。限りなく正解に近い推測、と言えた。

 ベンチまで引っ張られ、座るように促される。手をつないだまま腰かけると、羽柴が隣に座ったので、その頭を見おろす。

「――別に嫌いではありませんよ?」

「でもなんか見下してるよね」

 羽柴の鋭い言葉に、シンは再び沈黙する。

「違ったらごめん」

 小声で謝りながら、羽柴はシンの隣に座る。つないだままの手をどうしたら良いのか分からないまま、シンは軽く首を左右に振った。

「いいえ。その通りです」

 羽柴は、今度は何も言わなかった。

「愚者は多いと感じています。金をやるから生かしてくれと懇願された時には――笑ってしまいましたね」

 わずかに鼻で笑う。

「――……私が好きで殺している、と勘違いしているようです」

「え、違うの?」

 羽柴の言葉にシンは口を閉ざす。

 見えないながら冷ややかな視線を感じたのか、慌てて「ご、ごめん」と謝る。

「ちょっと場をなごませようと思った冗談なんだけど」

「それで場がなごむわけありませんし、いけると思ったむつきもなかなかですよ」

「え、そう?」

「本気でしたか」

 シンの言葉に「まさか」と、羽柴は笑った。

「だってさ」

 ふふ、と羽柴は笑う。足を地面に伸ばして爪先で砂をどかせた。

「シンがそんなこと思ってるわけないもん」

 ざりざりと爪先で意味もなく砂をけずり、波形の模様を描いてゆく。

「だって優しいからね」

 それからシンを見上げた。

「でも、そんなこと言っちゃう人の気持ちも分かるような気はするな。――怖かったんだと思うよ。怖くて怖くて、シンにすがらずにいられなかったんだよ」

 シンは静かにじっとして、にぎられた手を見下ろす。そして羽柴へと視線を向ける。

「――むつきは、怖くないんですか」

「まだよく分かんないなあ」

 のんびりした口調と、その言葉に、なぜだかシンはほっとする。

 けれども、それを自覚してシンは口をへの字にして横を向く。安堵する理由が見当たらない

「マイペースにも程がありますよ。これで命乞いなんてしてきたら笑いますからね」

 シンの皮肉に、羽柴は苦笑した。

 そして穏やかに優しく、断言する。

「しないよ」

 その言葉に、ちくりと、針で刺されたような痛みのようなものを感じて、シンはうつむく。

「――そう、ですか」

 そうなのだろう。と思う。

 羽柴がそういうなら、そうなのだろう。その時がきたとしても、己の寿命を受け入れるのだろう。

 『なら仕方ないね』などと言いながら、笑って死ぬのではないか、とすら思ってしまう。

 その想像はなんだか、なぜだか、――少しだけ不愉快に感じて、シンは小さく首をかしげた。なぜ不愉快になるのだろう。楽な仕事だ、不快を感じる必要はない。

 わけがわからない。この人間と接するようになってから、自分にはわけのわからないことばかりだ。

 考えるのをやめて、ふと公園にひとつだけある街灯と、その隣にある簡素なデザインの時計台を見上げる。

 針を見ながら、そろそろ休憩も終わりだろう、と羽柴に声をかけようとした時に、嫌な気配を感じてシンは背筋を伸ばす。同時に羽柴も顔を上げて周囲を見回す。

 その感覚の聡さに感心するシンに、羽柴はのんびりとつぶやいた。

「――あれ、ちょっと涼しくなった?」

「……なんでそうなるんですか」

「え」

「なんでもありません」

 引き締めかかった気持ちがその一言でゆるみそうになって、シンはツッコミをごまかす。

 場が静謐になったのだ。

 清浄な空間は人にも違和感があるはずで、寒気に近いその感覚を『涼しい』と言い切る羽柴の鋭さとニブさにため息が出そうになる。

「涼しい、ではありません」

 ちり、と鈴の音が静かな公園に響く。

 そこでようやく羽柴も場の異常事態に気づいたようだった。

「――虫、静かだね」

 気づけば草むらで鳴いていた虫の声が聞こえなくなっていた。

 虫だけではない。もはやここは。

 ――神域だ。

「ここにいたのか」

「――あ」

 公園の出入り口に立つ男性を見て、羽柴は目を丸くする。

 暗闇でその白い服はぼんやりと光るように浮いていた。嫌な神気にシンは口歪めながら、羽柴から手を離してゆっくりとベンチから立ち上がる。

 腰に太刀を佩いたその存在からの鋭利な気配に、シンは不愉快をあらわにした。

「何かご用ですか」

「ああ、お前を消しにきた。聞いてないか?」

 爽やかに笑顔をもって言い放たれた言葉に、羽柴が息をのむ音が聞こえた。シンは小さく鼻で笑う。

「――ええ、聞いています。……が、了解しかねます。早々にお帰り下さい」

「若造が、誰に物を言っている」

 若造。その言葉にカチンとくる。

「キツネの親玉風情が偉そうに。偉ぶりたいなら野山でどうぞ」

 羽柴がシンと男性を交互に見ながら小さくつぶやいた。

「……う、うーわー……」

 それを無視してシンは言葉を続ける。

 言って聞く相手ではないことなど百も承知だが、言わずにはいられなかった。

「死は絶対です。死神の有無ではありません。私の仕事は魂の守護です、私にはむつきの魂を守る責任があります」

「――退治されたくない嘘にしては下手だな」

 説明を一笑される。見下した態度は不愉快極まりない。

 地鎮の一柱に、小さく吐き捨てる。

「……だから、お前らは傲慢なんだ」

 それから声を張る。

「――神だからといって、全てが思い通りになると思うな」

「――するさ。神だからな」

 話がまるで通じない。そもそも相手は羽柴に死神を消す、と『宣言』していると聞いた。引く気はないだろう、神とはそういうモノだ。こうなってしまえば、何を言ってもムダだ。

 わかってはいたが、今の自分の体調を考えればあまり無理をしたくない。しかし――やむを得ない。

 シンはベンチに座って呆然としている羽柴を見おろす。

「まるで話が通じませんね。あなたは戻りなさい」

「え!?」

 羽柴が目を丸くして立ち上がる。

「なんで、ダメだよ。あのひとなんとかしなくちゃ」

 シンは羽柴を無視して、自分が頭からかぶっている黒衣をむしり取ると、そのまま羽柴の頭に押し付ける。

「う、わ」

「これで気配は隠れます。人ごみにまぎれれば、神とはいえあなたを容易に探せなくなります」

 見つかったのは自分のせいだ。己の機嫌がどんどん斜めになってゆくのを自覚しながら考える。

 多くの人が暮らす中、しかも死者すら大挙して混じるこの時期に、たった一人の人間をその中から探し出すことは神であれ難しい。見つかったのは、こんな所へ人ごみの中から逸脱するように出てきてしまったからだ。

 ――自分の体調のせいで。

 甘く見ていた自分のせいだ。

「でも」

 キツネを拾ったことや、夢で神を止められなかったことに責任を感じているらしい羽柴が言い募る。

 この場に残られる方が迷惑だ。余計な怪我などさせられない。無茶をされそうで迷惑だ。

 何事かを言いかける羽柴の言葉を打ち切る。

「必ず戻りますから、ここから離れて下さい」

「だけど、できないよ。体調が……」

 舌打ちをして言葉を遮り、神を見る。

 飾太刀を抜き、無造作に立って、こちらを面白がって見ている。

 手貫緒につけられている鈴がちりり、と震えた。

 シンは首の後ろに手を回して、ネックレスの留め金を外す。

 羽柴の手をつかんで、手のひらを上に向けると、それを上から落とす。

「大事なものです。大切にもっていて下さい」

 水が流れ落ちるように、なめらかにチェーンが落ちた手のひらを、そのままにぎらせると、シンはわずかに表情をゆるめた。

「――あなたが死ぬのは、嫌と言われようと、私が見届けますよ」

 言いながらシンは羽柴から手を離して、正面へと向き直ると、空中へと手を伸ばす。

 その空間から大鎌の柄をつかみとり、強く握りしめながら引き出す。

 ――重い。

 いつもなら重さなど感じないのだが、ずしりと腕と肩にかかる大鎌の柄を両手でつかんで、刃を下げ気味に構える。――というか、重くて支えきれずに下がる。

 そもそも、取り出せただけでも恩の字だ。

「あいつが出入り口からどいたらさっさと戻りなさい」

「――う、うん」

 シンの態度と気迫から抵抗は許されないことを悟ったのか、食い下がらずに羽柴がうなずいたので、内心安堵する。

 勝てるだろうか。いや勝てなくてもいい、この場をまいてしまえば何とかなる。

 祭りが終われば体調も戻る。そうすればこんなキツネの親玉に遅れを取ることはない。

 まずい時にまずいことになったものだ、とゆっくりと呼吸を整え、抜き身の太刀を持つ神へと集中する。

 まずは道を作らねば。

 神が両手で太刀の柄をにぎった。細身の飾太刀に見えるが、切れ味は本物以上だろう。

 防戦には回れない。消耗すれば負ける。とにかく押さねば。

 歯を食いしばりながら、シンは足を踏み出す。

 重心を低くして、大鎌を引き寄せ、ただ真っ直ぐに走り、そのままの勢いで柄を振るう。

 神は大きく横に飛んだ、それを追尾するように、振るった大鎌の持ち手を変えて下から振り上げる。

「――ぁ、ああ!!」

 やはり重い。気合いで振り上げるが、刃の付け根を踏まれてガクンと体が落ちる。

 そこを狙って首へと太刀の刃が降ってきた。体をのけぞって太刀のリーチから離れる。振り下ろされて逃げ遅れた黒衣の裾が切れた。

 踏まれた大鎌の柄をつかんで、テコのように一気に持ち上げる。神はバランスを崩す前に大きく後ろに飛びずさりながら軽快に笑った。

「やるじゃないか」

「くそ」

 武器が重いんだ。内心の声を暴言に変えて吐き出しながら、脇をしめる。

 攻撃の動きは大鎌の方がリーチはあるが動きが荒い。振り切ったところで懐に飛び込まれでもしたら応戦の術がない。状況はあまり良くない。

 しかし、

「むつき!」

 ――道はできた。

 羽柴はシンの黒衣をかぶり、ずり落ちないようにつかんで、亀の入ったビニールの口を握り締めて走り出す。

 シンは、視界の隅で走り抜ける黒衣を確認しながら、一息つく。

 あとはまくだけだ。それが一番の問題かもしれないが。

 一瞬反らしてしまった意識を戻せば、神が太刀を構えて一直線に迫ってきた。

 それを大鎌の柄を両手で持って、振り下ろされた剣撃を受け止める。

 がきん、と金属がぶつかって、重い剣撃に腕に痺れが走る。

 神は後ろに飛びずさり、シンは耐えられずに片膝をつく。首を持っていかれなくて良かった。

 そして、互いに視線を外さずに睨み合う。

 神は余裕の表情で、鼻で笑った。

「ねばるな」

 感心した声音に、シンは立ち上がりながら鼻にしわをよせて、遠慮なく不愉快を顔に出す。

「ここで私を消し去って、あの人間が死んだとき、その魂を誰が導くのですか。地鎮の責務を捨て、あなたがやるとでも?」

 シンが負けて消されれば、羽柴が迷う。その責任が取れるのか、とシンは問う。

 神は軽く肩をすくめた。

「死魔ごときが私に意見か。冒涜だとでも? 例えお前が言っている事が事実だとしても、仮初の命をやることはできる。死後は眷属にでもしてやろう。問題あるまい」


 かりそめのいのち。


 しごはけんぞくに。


 ――ああ。


 意識がくらむような怒りに、息が震える。

 この愚か者はまったく度し難い。

 何一つ、生死の作法を分かっていない。

 シンは歯を食いしばり、大鎌をゆっくりと構える。その体を支えるのは怒りだった。

「――……理をねじ曲げ、歪んだ命を与えることこそ冒涜」

 瞬間的に、羽柴の笑顔が脳裏をよぎる。

 あのマイペースで心優しい人間が、平々凡々と生きて死ぬ。それは人間として当然の権利だ。

 何人にも邪魔はさせない。

「――何一つ責任を負わずに、都合で人間を玩具にするなど言語道断」

 神であれ許されるものか。否。


 許してなるものか。


 自然と高まる緊張を制御するように、呼吸を細く長く整える。

 相手を見据えて、ゆっくりと震える呼吸を繰り返す。

 気力と集中力を怒りで振り絞り、目の前へと集中する。

 呼吸に合わせるように、周囲からの音が薄れて聞こえなくなる。大鎌の重さが消える。

 集中の先には、ただ白い神がひとり。

 造作もない、殺してやる。

「――化け物が」

 神が太刀を構えた。

 シンは鋭く息を吐き出して駆け出す。

 縮まる距離に、相手も踏み出した。

「ぁああ!!」

 声と同時に繰り出される剣先を、大鎌の柄で跳ね上げる。

 続く二撃目、降り下ろされた太刀を受け止め、大鎌の柄を片手で持って力を受け流す。ぎぎぎ、と金属がこすれる鈍い音。予想外の力の流れに、神が前にバランスを崩す。

 その体を蹴り倒し、倒れたところで顎に蹴りを入れる。大鎌の柄で手を打ちつけて、刀を弾き飛ばす。

「――武器でしか戦わないからこうなるんです」

 ごほ、と咳をして、地面に伏した神がシンを睨んだ。

「外道ごときが」

「そうですよ」

 うっすらと笑いながら、シンは大鎌を振り上げる。

「外道ごときに倒されるんです」

 神が目を見開いてシンを見た。

「首刈り取って晒し者にしてやる」


 誰に何をしようとしたか思い知れ。


 振り上げた鎌は、


 ――必ず、


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