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竜の国の魔法使い  作者: 風結
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三章  竜の国と魔法使い

   三章  竜の国と魔法使い


「大陸に萌芽(ほうが)しつつある技術に、魔工技術があるのです。水車は水の力で、風車は風の力で動くのです。魔工技師は、その機構を魔力で動かすのです。未発達の技術なので、大掛かりではあっても単純なものを取り入れたいと思ってるのです」

 コウさんの言葉が耳朶に、心地好く明瞭に響く。良く聞こえている。

「南の竜道を抜けた先には、大きな人造湖を作って、竜の都まで続く大路(たいろ)と各竜地まで続く中路(ちゅうろ)に橋を架けて、その横に魔工技術を用いた運搬装置を設置するのです。あとは、街灯を魔工技術で灯すのです。色々節約なのです。魔石を使った室内の装置も考えてるのです。魔工技術の真価は、地下に設置する予定なのです」  

 僕は、彼女の意見を取り入れることに決めた。では、始めよう。

「先ずは建物や施設の基礎から始めます。効率を重視するとして、エンさんは人造湖から掘っていってください。クーさんは、みー様に乗って、竜地の選定をしてきてください。コウさんは、必要になる機構以外のたたき台を上げてください」

 石の卓を囲う皆の目を見て、念押しをする。

「コウさん。頼んでおいたことは出来ていますか?」「そ、そろそろ来るはずなのです」

 どすっどすっ、と質量のある物体が歩いてくる音がする。視線を向けると、そこには三体の魔法人形(ゴーレム)。魔法人形と言われて、人々が思い描く、人型の四角張った巨体。その個体を基本形とした、より大きな個体と、丸みを帯びたやや小型の個体。

「基本的な魔法人形と、エン兄考案の力の強い『エンレム』、クー姉考案の手先が器用な『クーレム』なのです。あと必要になると思って考案した二種類が、もうすぐ遣って来るのです」「魔法人形は、何体用意しましたか?」「(あわ)せて、千体造ったのですっ」

 薄い胸を反らせて、したり顔のコウさん。

「では、三日後までに一万体まで増やしてください」「……ふぉ?」「出来ませんか? なら他の方法を考えますが」「で、出来るのです! やるのです、やってみせるのです!」

 小指の爪の長さくらい口元を吊り上げると、子供らしい反発心から誘導に成功。

 了承を得たので、次。

「資材を運んで、先ず基本となる家屋を建てて、ここに住みます」「王宮を先に建てて、そこに住めば良い。ここと距離はさほど変わらない。どうせ、王宮に住まうことになる」「駄目です。僕が単身者用に、コウさんたちが家族用の家に実際に住み、不便や不都合な点を洗い出し、改善します。王は最後に楽しむ、という言葉があるように、王宮の寝床など後回しで構いません」「……確かに、そのほうが効率的かもしれない」

 些事は取り払った。残りの懸案(けんあん)である。と、その前に、重い足音が響く。コウさんが言っていた、残りの二種の魔法人形が遣って来たのだろう。

「はーう、またーまたー、たまーたまー、でっかいのきたのだー」

 僕たちの遣り取りを不思議そうに眺めていたみーが、暇を持て余していたのか、疾風のような勢いで駆けて行った。魔法人形を出迎えに、或いは好奇心の赴くままに、今日も炎竜は元気っ子である。ふむ、これは、みーに何か役割を与えるべきだったか。

「一般住居なら僕でも何とかなりますが、大型の施設になると、新しく学ばなくてはなりません。出来ればそちらは老師にお願いしたいのですが、大丈夫ですか?」「……師匠に尋ねてみるのです」「お願いします。外でやることも多いので、それが適えばかなりの時間短縮になります」「「「…………」」」「付随することで、役割分担を決めておきましょう」

 何か疑問点でもあるのだろうか、エンさんが僕を見ていた。彼は、徐に立ち上がると。

「えいやっ」「っつべっ!」

 ぎりぎりだった。というか、(かす)った。僕の顔面に突き出された拳を、体を捻ることで躱す。自然に体が反応した。もう一回同じことをしろと言われても、出来る自信はない。

「うぐぅ、……エンさん! いきなり何するんですか⁉」「んや、何ってなぁ。こぞーん壊れたから、ぶっ叩ぁて直そー思っただけさ」「…………」

 しれっとそんなことを言う。あー、うん、どうやらこれは、言い訳が必要なようだ。

「えっと、集中し過ぎているときに、ちょっとだけ居丈高(いたけだか)になることがあるみたいなんですけど、気にしないでください」「……や、なのです」

 コウさんの、すごく根に持った視線が突き刺さってきた。

「才能の宝庫(はきだめ)のリシェ。二つ名の候補にでも上げておくか。ファタより嫌な奴を見たのは久し振り。出遅れたのが悔やまれる」

 調理場の隅に現れた、あの黒い虫を見付けたときのような濁った眼差しが向けられる。

「…………」

 無駄を省いた進捗(しんちょく)は喜ばしく、そんな目で見られるようなことをした覚えはないのだけど。過集中、俗に言う、「竜の領域」に足を踏み入れたときのことは少しばかり朧気(おぼろげ)なので、もしかしたらきついことを言ったかもしれないけど……。

「なーう、とーちゃくーなのだー!」「どうやら、残りの二体が来たようです……よ?」

 白々しい物言いであると自覚しながら、魔法人形の頭に(また)がって遣って来たみーを見ると。珍妙(ちんみょう)な姿をした魔法人形らしき物体の有様に、言葉を失ってしまう。

 一体は不恰好(ぶかっこう)ではあるものの、使われている素材は綺麗なものばかり。そしてもう一体を見た瞬間、僕はコウさんを慰める為の言葉を探した。

「そうですね。一体くらい失敗作が交じっていても、何もおかしなことなどありません。竜も飛べば樹を()し折るって言いますし、どんなに優れた魔法使いでも、間違いの一つくらいあります。あまり完璧過ぎてもなんですし、このくらいが丁度いいのかもしれません」

 ……おかしい。なぜだかわからないが、言葉を継ぐほどにコウさんの頬が膨れてゆく。

「あの子たちは、『シザレム』と『カタレム』なのです!」

 ぷいっと体ごと横を向いてしまった。序でに目深に三角帽子を被って、謎塊の再来。

 どうしたことか、コウさんはご機嫌斜めである。言葉の選択を誤ったのだろうか。どうやら不用品らしきもので体をごてごてと装飾(そうしょく)した魔法人形は、失敗作ではないようだが。

「シザレムは、資材魔法人形の略。カタレムは、お片付魔法人形の略。カタレムのほうは、『お片付』と『お掃除』で迷った挙げ句、『ソウレム』は不採用」

 説明はありがたいのだが、話し終えるとクーさんまで若干不機嫌になっていた。

「はっはっはっ、片付けん俺とちび助、掃除ん相棒。二対一ん、けってーてわけだ」

 なるほど、多数決で負けたことを思い出して、クーさんはやや不機嫌(むー)な感じに。そして、僕の的外れな慰めを受けたコウさんは、超不機嫌(おかんむり)

「カタレムもいいですけど、ソウレムも捨てたものではないと思いますけど」

「良し。これで二対二。あとはみーの一票で決まる」

 僕のどっちつかずの意見を拾い上げたクーさんが起死回生を狙うが、

「みーちゃんはー、こーにいっぱいのたくさんのあふれまくりのいっぴょーなのだー!」

 みーの即答で、あえなく野望は潰えてしまった。然て置きて魔法人形とエンレムがシザレムの体を破壊、もとい分解して木材や煉瓦などの資材を地面に置いてゆく。クーレムがてきぱきと分類して並べ終えると、当然のことながらシザレムはいなくなる。いや、仕方がないことだとわかってはいるが、ちょっとだけ寂しい気分になってしまう。シザレムよ、安らかに眠れ。僕は自らの役割に(じゅん)じた健気な人形に、ほんの少しだけ祈りを捧げた。

「やーい、いっくぞーちみっ子ー」「わーう、どんとこーいなのだー」

 幸い、と言っていいのか、カタレムは頭に何もくっ付けていないので、頭上ではしゃぐみーが傷付く心配はない。カタレムの頭の平らな部分に座って、手足をばたばたさせるみーに向かって、エンさんが、そりゃっ、という掛け声とともに何かを放った。僕には見えないが、状況からして「火球」辺りの魔法か。

「ふぁはぁー!」

 火の魔法を直撃されたらしいみーは大喜び。炎はカタレムに燃え移って、全身に火が回る。すると、炎に炙られたカタレムが苦しげに暴れ出した。みーも一緒に断末魔舞踊を楽しげに舞い踊る。って、みーは炎竜だから大丈夫として、カタレムをどうにかしないとっ!

「ちょっ、あれ、大丈夫なんですか⁉ 苦しんでるんですけど!」

「あれは違うのです。始めは、燃やしてる間、ただ立ってるだけだったのです。エン兄が『そんじゃ詰まんねぇ』と言うので、クー姉が『浄化の炎』の振り付けをしたのです」

いや、あれを「浄化」と表現するのはどうなのだろう。ん? ん~、あ、舞踊を見ていて違和感を覚えたのだが、一拍置いて正体に辿り着く。僕は今、カタレムに纏わり付く炎が見えている。僕への対策を施してあるコウさんの魔法なら()だしも、火の魔法を放ったのはエンさんである、彼が特殊な魔法を行使したようには見えなかったが。

「ーーカタレムの、炎が見えます。巨鬼を燃やしたときは、火は見えなかったのに」

「何が燃えるのかにも因るらしい。魔法で火を点けると、対象が燃える。燃えている間は見えない。だが、対象が燃え尽きた後は、どうだろう。それでも燃えていたとしたら、それは魔法から離れた、分かたれた火。巨鬼を生物として捉え、焚き火と同じものとしてカタレムを捉えている? 魔法人形を生物として認識していない?」

 クーさんの考察を聞いて、謎塊続行中(ちんまり)のコウさんがうずうずしていた。希望の光は、早期に摘み取っておく必要がある。僕は、謎塊から人間に戻った(しんかした)少女に紳士的に対応した。

「…………」「……、ーー」

 コウさんが人体実験したそうな顔で僕を見ている。

 僕は、そっと目を逸らした。

「ーー、……」「ーーっ」

 好奇心は竜をも殺す、ということもあるかもしれないので、心の底からごめんなさい。

「こらー、ちみっ子ー、んな炎ー食ーなぁー」

「もーう、すききらいだめなのだー。でもでもーちょっとこげこげー、おいしくないー」

 美味しくない、と言いつつ、食べるのを止めないみー。味がどうというより、食べること自体を楽しんでいるようである。カタレムがお片付けした木片などが燃え尽きると、沈黙した魔法人形から飛び降りて、脇目も振らずコウさんの膝の上に竜速(ちょっぱや)で舞い戻る。見ると、みーの服は、爽やかな若草色のままである。クーさんの最高傑作だけに、かなりの魔力を注ぎ込んで服の耐久性を高めているのだろう。況してみーの服だと決定したあとは、コウさんが付与魔法を使って、あ~、たぶん、とんでもない水準の魔法が使用されたと思われる。僕が知っている、物を保存する為の魔法で最高のものは「凍結」だが、炎竜に首っ丈のコウさんのことである、禁術とかに手を染めていないといいのだけど。

「ちみっ子ん、俺ん炎ぉ食えぇー‼」

 エンさんがみーに向かって、火の魔法を放っているようだった。みーの大きく開けた口が、盛大な勢いを持つ何かを吸い込んでいた。ーーふぅ、見えない、というのは本当に厄介だ。コウさんなら、僕の特性をどうにかしてくれるかもしれないが、積極的に頼んだりなんかしたら彼女の魔法に対する熱意が炎竜並みに燃え上がって暴発してしまうかもしれないので、今後どうするかは成果を見極めた上で判断するとしよう。

「みゅーう、おいしーけどー、あぶらぎってるのだー。たくさんはいらないー」

 みーの評価に、落ち込むエンさん。火の魔法は、治癒魔法を除けば、エンさんが使える唯一の魔法である。炎の専門家の、予想外の審査内容に衝撃を受けてしまったらしい。

「よしよし。では、あたしの炎を食べてごらん」

 クーさんが指先をくるくると動かすと、みーが、あーん、と口を開けた。みーの口に、あまり変化がないので弱火なのだろう、炎が注がれているようだった。すると、カタレムのこげこげの炎を食べていたときでさえ笑顔だったみーの表情が、短い竜生を顧みて苦悩する哲学者のような、ああ、いや、さすがにこれは言い過ぎだが、渋々の苦々(にがにが)で目や口を(すぼ)めるみーの姿には奇妙な可愛らしさがあって嗜虐心(しぎゃくしん)が刺激され……て、ませんよっ、いや、確かに、もっとみーの色々に様々な微笑ましい面とかいじらしい面とかを見て心を潤わせたいと切なる願いを隠し持っていることが露見してはならないと……、うぐぅ、どうした、僕。別に僕は幼い子供が好きってわけでもないのに、この魂の底から溢れてくるような衝動は何なのだろう。これが、竜の魔力、いやさ、竜の魅力というやつなのだろうか。

「ぐゅーう、くーのにちゃにちゃ、にがにがなのだー」「……ごふっ」

 みーは、幼子のようにいやいやして、手足をばたつかせる。僕同様に竜の魅力に遣られてしまったのだろうか、クーさんは口元を押さえて、何かに耐えるように身を縮こまらせていた。みーの評価に、エンさん以上の衝撃を受けてしまったらしい。

「クーさん、火の魔法が使えたんですか?」「今のは『魔方陣(まほうじん)』ーーあ」

 みーを宥めるコウさんを見ながら、何気なく聞いてみると。(たく)まずしてクーさんの失言を引き出す格好になった。彼女は、はっとして顔を上げると、ばつが悪そうな表情になる。

 魔方陣、という言葉は初めて聞くが、聖語に類するものなのだろうか。火の魔法が使えないはずのクーさんに、行使を可能たらしめた理由には、魔力を転換、いや、変性(へんせい)と言ったほうがいいのか、その為の術式か何かが必要になる。聖語と魔方陣、語と陣、ーーここら辺に核心がありそうだが。魔法が使えず、見えもしない僕だが、やはり新奇なことには好奇心が疼いてしまう。いや、新しいものかどうかはわからない。聖語のように、失われた術なのかもしれない。となると、古語時代の、魔術の秘術や秘奥なのだろうか。

「まー、こぞーんなら言ってんかまーねぇだろーが、じじーん許可なく言っちまったからなぁ。『おしおき』一回だな。ちび助、あとんかましてやれ」「はいなのっ」

 先達て「おしおき」十回やられてぷるぷるしていたコウさんは、仕返しが出来るとわかって、意気揚々とクーさんに顔を向けた。みーが、びくっ、と恐怖に震えて、泣きそうな顔になっていた。まるで百の邪竜に囲まれたような怯え具合である。こちらからは見えないので、コウさんがどんな顔をしているのかは不明だが、これから国造りで忙しくなるので、白目を剥いている姉への愛情表現(ほうふく)は、ほどほどにしておいてください。

「そこら辺は夜にしませんか。日が出ている内は、皆さんには馬車馬のように働いてもらいますので。あ、みー様は疲れたら休んでもいいですよ」

「だーうっ、なんでみーちゃんだけ、みんなとちがうのだー!」

 みーの、仲間外れが嫌だという可愛らしい理由にうっかり頬が緩みそうになってしまう。

「まー、なんだ、ちみっ子ぁちみっ子だかんなぁ」

 珍しく言葉に迷いながら、エンさんが曖昧な物言いをすると、みーが噴火した。

「がーう! みーちゃんもーさんさいなのだー、なんでもできるんだぞー!」「…………」

 ……ん? んん? あ~、いや、今のは聞き間違いなのだろうか。山菜は味の好みが分かれる、ではなく、いやいや、とち狂っている場合ではなく、三歳、と聞こえたような。

 改めて、コウさんの膝の上で暴れる、やんちゃな炎竜を眺め遣る。感情そのままに、ぷんぷん怒って、拗ねているかと思いきや、いつの間にやら楽しげにコウさんと組んず解れつ。みーときゃいきゃい出来るコウさんは、魔力を纏ってあやしているのだろうか。

 人間と比べるのは間違いかもしれないが、それ以外の確実な尺度がないのだから仕方がない。角が無ければ人間と見紛う容姿は十歳くらい。でも、思い返してみれば、みーは「人化」で人間の姿になっているのだ。「人化」が、都合良く人間の感覚を反映してくれているとは思えない。魔法それ自体の効力と性質、行使する竜の意識の介在が大きいはず。つまり、見た目と周期は符合しない、ということ。そも竜と人間では、周期に対する感覚が異なっているのは当然。種族の然らしめるところ、と言ってしまえばそれまでなのだけど。

 そうなると、僕はこれまで三歳の幼子に……あ、いや、今は深く考えないようにしよう。

「あーう、くーのにがにがー、こーのうまうまーなのだー」

 とんっと身軽に卓の上に飛び乗ると、外套の内で手をもぞもぞさせていた。どうやら、腰の辺りを手で探っているようだ。ただ、みーが後ろに手を伸ばす度に、こちらにお尻が向けられて、目の前でふるふるやられるのは、ちょっとどうしたものか。いや、(やま)しい気持ちがなければ、気にせず可愛らしいお尻を堪能していればいいのだが、ああ、いや、そうではなく、みーの周期がわかったばかりなのだから、もっと穏やかな心地で労わるような……ごめんなさい、無理です、そんな達観した心境に至るには、きっとまだ、長い周期を必要とするはずである。見た目に囚われる未熟な少年をどうか許してやってください。

「腰周りの布に小袋(ポーチ)を取り付けられるよう改良。三つまで取り付けられる仕様。みーの大切なものを入れ捲り、包み捲り、護り捲りーー」「ふーう、あったのだー!」

 力説するするクーさんの声を押し遣って、みーが飛び上がって喜びを爆発させる。

 小袋から取り出したのは、みーの小さな掌で包めるくらいの木箱だった。木箱の横を押すと、引き出しになっていたらしく、手前に押し出された箱の中には紅くて真ん丸の球が入っていた。見ると、中には四つの、宝石のような輝きを放つ小さな球体。球、というか、玉、という表現が適当か。大きさからして、もとは六つ入っていたのかもしれない。

「あーむ。みゅぎゅーっ‼」

 みーは、紅玉を口に放り込むと、氷の魔法を浴びせられたかのように縮こまって固まってしまった。緩やかな風が通り過ぎるくらいの時間が経って、みーがぷるぷる震え出した。

「うーうっ、うーまーいーのーだー‼」

 ばふんっと卓の上で全身を投げ出した。そうなってしまうくらい、驚異的な美味しさなのだろうか。コウさんの魔力量と魔法の技量に鑑みるに、頷けるところではあるが。

「みー様、どんな味がするんですか?」「むひゅひゅー、こーのあじがするのだー」

 お日様をたらふく浴びた猫のようなのだが、竜って猫の親戚だったりするのだろうか。 コウさん味の、彼女の火の魔法を詰め込んだらしい炎玉は、余程竜の口に合うようで、後味の表現だろうか、みーは体をくねくねさせていた。ふむ、これは、ちょっと蛇っぽいかな。伝説では、竜を蛇扱いすると、竜の呪いに掛かると伝えられている。不思議なことに、蜥蜴(とかげ)扱いに関しては、同様の言い伝えはない。まぁ、迷信の類いであるのだろうし、僕の頭の中で蛇と蜥蜴が睨めっこをしていたがーー埒もない妄想はさっさと追い出す。

「それでは、皆さん、国造りの開始です」

 このままでは、みーの可愛さを追求するだけで一日が終わってしまいそうだったので。いや、さすがにそんなことはないが。どこかで区切りを付ける必要があったので、僕は無理やり開始を宣言した。さて、竜の国、始動である。



「費用はどのくらいありますか?」

 夢や情熱をどれほど注ぎ込んだとしても、どうにもならないことが世の中にはある。無い袖は振れない。竜になれるのは夢の中だけである。彼らに頼らなければならないことは山程あるが、無一文に近い僕が、完全に寄り掛からなければならない事項である。

本日は、僕が食事当番である。雨の心配はないので、拠点にしている大岩の側の、石の卓を皆で囲っている。穀物の粉を水で溶いて、細かく刻んだ具材を混ぜて焼くだけ、という簡単な代物。僕の出身地の郷土料理で、具材に何を使うか、上に何を載せるか、味を決める仕上げには地域差がある。今回は、朝食の残りを詰め込んだだけだが、竜の狩場自生の植物をふんだんに使っているので、食欲をそそる味に仕上がっているはずである。

「むぐむぐ……、これの三百倍くらいなのです。んくっ、手元にあるのが半分、もう半分は組合に預かってもらってるのです。はぐ……」

 答えるなり、すぐに口に放り込んで頬張るコウさん。好評なようで何よりである。魔力を大量に消費したので、お腹が空いているのかもしれない。聞いた話では、魔力を消費し過ぎると極度に疲労したり、命を落としたりすることもあるらしい。魔力を回復させる手段は単純である。よく食べて、よく寝て、すっきり目覚めれば、魔力は元通り。とはいえ、コウさん水準になると、回復にも限度があるかもしれない。

 コウさん以上に食いしん坊のみーは、全身全霊で食べることをお楽しみ中。みーにもちゃんと働いてもらったので、というか、みーは労働という概念を持っているのかどうか。コウさんにみー、仲良く行儀(ぎょうぎ)が悪いのだが、初日である今日ばかりはクーさんも見逃してあげるようだ。和やかな夕餉(ゆうげ)。そんな雰囲気とは裏腹に、僕は現実の厳しさと向き合い中。

「ぎりぎり……かな。全部使ってしまっていいんですか?」

 コウさんが置いた、卓の真ん中の宝石類を見ながら、僕は唸った。十個程の宝石は、個人なら一生遊んで暮らせるほどの大金だが、国造りの予算としては話にならないくらい雀の涙、いや、宝石だし、竜の涙にしたほうが、って、いやいや、言葉遊びをしている場合ではなく。ーーこの三百倍か。僕は、頭の中で算出した金額との摺り合わせを行う。

「全て使って構わない。氷焔の報酬と、依頼で赴く度に、コウが採集、採掘してきたもの。足りないなら、幾らでも場所はあるが、どうする?」

 クーさんは視線を西に、すでに陰に深い闇を抱えた、遥か向こうにある山脈に向けた。

「人の領分を守る。老師の言葉は、指針にする必要があると思います。山脈には手を出さず、採掘するのであれば竜の民自身の手で行ってもらいましょう。国造りでは、その基準を緩めなくてはなりませんが……」

 僕は、食事の間も聞こえてくる、作業の音がする方向に顔を向けた。コウさんに依れば、魔法人形たちは不眠不休で働いてくれるらしい。現在はコウさんの奮闘(ふんとう)もあって三千体まで数を増やしている。魔法人形一体を操ることさえ汲々(きゅうきゅう)としている魔法使いに鑑みると、明らかに人の領分を超えているが、然り乍ら最後は良心に従って基準を決めるしかない。

「おかえいゆのあー? ふぃーひゃんかふかー?」

 料理人よろしく、僕が焼いた完成品を只管口に詰め込んでいたみーが、ごっくんと一息に嚥下して、栗鼠(りす)のような膨れほっぺを元のぷにぷにほっぺに戻した。すると、ゆくりなくお臍の辺りを、丸めた両手でぽんぽんと叩き始めた。然ても、何をしているのやら、みーの可愛らしい仕草に、皆の視線が集まって。お腹から胸へと少しずつ上に、それから喉に向かって叩く場所が移動してゆく。

「ふーう、きたのだーきたのだー」

 みーのぽんぽんが首元まで達すると、みーの首がぼこっと膨れた。って、ちょっと吃驚。大道芸で似たような芸を見たことがあるが、みーのように人の限界に挑むほどのものではなかった。みーは竜だし、これくらい訳ない、のかな? 形からすると拳大、いや、両手を組んで丸めたくらいの球のようだが、みーの顔に苦痛の色はない。それどころか球が移動する感触を面白がっている様子。球が喉に達したのか、顎がくいっと上がると、

「ぱふぁーっ」

 みーは、もわっと大きく開けた口から、(まる)い物体を吐き出した。

 卓で何度か跳ねながら転がって、真ん中の宝石類に当たって止まる。一見して水晶玉かと思ったが、違った。透明な玉の中で、色彩と色彩が(みが)き合うように輝きを放ちながら、無数の光粒が揺らめいている。生きた宝石、と言われる所以(ゆえん)である。水の流れにも、舞い乱れる風にも譬えられそうな、幻想的な彩光の演舞。天の国を思わせる極限。美を司るアニカラングルさえ見蕩れるのではないかと思わせる、竜の結晶。

「こりゃ、『竜の雫』だなぁ。これって、竜んお腹んなかん出来るもんなんか?」

 エンさんは、色彩が踊る竜玉をむんずと掴み取って、しげしげと眺めた。いや、最高の宝玉と冠せられる高価な至宝を、そんな雑に扱っていいのだろうか。

「んーう、しらないのだー。そのたまは、まえにたべたやつー。みーちゃんのねどこに、ごろんごろんころがってるぞー」「足りなくなったらみーに借りるとしよう。利子をたくさん付けて、返してやるぞー」「おーう、もってけどろぼーなのだー」

 とりあえず、クーさんとみーの間で、合意が成った。とはいえ、こんな大きな竜玉、市場に流せる量は限られている。それと、何かと不都合が多過ぎるので、ミースガルタンシェアリとみーが暮らしていた北の洞窟は「結界」で封鎖しておく必要があるだろう。

「竜の魔力が結晶化したものなのです。ゆっくりゆっくりと遥かな時に揺られて育まれるのです。竜の雫からは微量の魔力が放出されていて、体に良い影響を与えてくれるのです」

 コウさんの説明を聞いて、僕は小さく溜め息を吐いた。その良い影響とやらも、きっと僕には効かないのだろうな。身に沁みて感じていると、僕の背中に雷竜が()し掛かってきた。悪寒めいた電撃が体を貫く。あぐぅ、あ~、……どうして斯くも途轍もない重大な事柄を失念していられたのか。ミースガルタンシェアリにみー、色々あっていっぱいいっぱいあっぷあっぷだったとしてもこれはない。って、あれ? 衝撃が大き過ぎたのか、思考が幼児というか単純化というか、みーみたいになっているのだが。あ~、いやいや、然なきだに問題が多いのだから、竜にも角にも、それは脇に追い遣っておくことにして。

 妄想の産物であるところの雷竜と、再会を約束しておさらばすると、自分の間抜けさに押し潰されそうになるが、ここで知らん振りが出来ようはずもない。

「……えっと、今気付いたというか、忘れていたというか、今更というか、あー、何が言いたいのかというと真に恐縮(きょうしゅく)なんですが、……竜の狩場に魔物が居ないんですけど?」

 竜の狩場には魔物が跋扈(ばっこ)している。二百周期前、人の侵入を(いと)うたミースガルタンシェアリが魔物を狩るのを止めた。以来、彼の竜と(まみ)えた者はいない、とされていたはずだが。

「もしかして、みー様。魔物、全部食べちゃいましたか?」

「もょーう? あひつらあー、ちかうにきやころないかあ、たえたころなあおー」

 僕の冗談にちゃんと答えてくれるみー。食べながらでなければ完璧だったが、いやさ、舌足らずでお口をもぎゅもぎゅな姿も可愛いので、そちらこそ正義。……や、その、これは、やばい、竜の魅力に、終に脳までやられてしまったのか、クーさん並みの重篤(じゅうとく)患者になりつつある。ふぅ、これは一歩、いや、三歩くらい下がって、自分を見詰め直す必要があるようだ。と気合いを入れ直したところで、現実に回帰。今は魔物についてである。

 然てこそみーは魔物は食べたことがないようである。

「はーい、みーちゃん。食べながらお話をしては……、お口に食べ物を入れたまま話してはいけませんよ~。きちんと飲み込んでから話しましょうね~」

 今しがた食べながら話していたコウさんに注意されて、幸い彼女の行儀の悪さに思い寄ることはなかったようで、みーはこくこくと頷くと、食事を再開した。どうやら、話すことより食べることのほうが優先順位が高かったらしい。

「魔物は、方角で言えば、北東に追い遣って、『結界』で閉じ込めている。地下に人工のものらしい洞窟があったので、拡張して迷宮に改装。これは習性なのか、魔力が関係しているのか、地上も迷宮も奥に行くほど強い魔物が棲み付いている。狩場は弱肉強食だったから、弱い魔物は今のほうが棲み良くて、喜んでいるかもしれない」

 いつの間にやら、力尽くで懸案が片付けられていたらしい。然らば次の段階に移っていいだろう。僕が担当すべき分野で、遣らなければならないことが山積している。魔物の存在を失念していたという、碌でもない失敗は、闇竜の寝床に、ぽいっ、である。失敗を引き摺って、失敗を繰り返すなど、馬鹿のすることである。そうした失敗を何度も経験してきた僕の言葉なのでーーというか、ほんとに、僕は好い加減学習しないと。

「明日からの、二巡り分の指示書を朝までに仕上げておきます」「こぞーは、何すんだ?」「下準備、と言ったところです。有力商人の使いと称して販路を確保したり、潰れそうな貴族の屋敷などから仕入れ難いものを買い取ったり、ああ、その為の保管場所も必要ですね。住人を迎え入れる為の馬車などの手配は今からしておかなくてはなりません。ファタさんに頼んであること以外の、実際に目にしなければわからないことは優先的に回らないと。数十人程度の人材を使う目星(めぼし)は付いているので、その交渉から始めるとして、そうだった、これはコウさんと摺り合わーー」「ぐぁ、やめろー、呪いん言葉ぁ吐くなぁー!」

 頭を抱えて、紛う方なき苦しみに身を捩るエンさん。難しい、というか、面倒な話で、どうやら許容量を超えてしまったようだ。自分から尋ねたことなので、聞き流すことに失敗したらしい。面白いので、ほんのちょっとだけだが続けたい気持ちがちろりちろりと湧いてくるが、残念ながら今は国造りの真っ最中である。有用な労働者(ばしゃうま)に深刻な衝撃を与えてはならないので、話題を転換する。

「みー様は、明日からの二巡り、僕を乗せて各地を回る、なんてことをしてくれますか?」

「うー? うー、う……、うーう」

 口に詰め込んだままなので、ふるふると頭を左右に振って、拒絶の意を表した。然し、竜の狩場の、外の世界を見せてあげたいという欲求がむくむくと膨らんできたので、もう少し食い下がってみることにした。まぁ、勿論、みーと仲良くなれるかも、という打算(したごころ)がないわけではないが。そうなると、コウさんも連れて行ったほうがいいのだろうか。

「各地で美味しいものが食べられるという特典付ですが、行ってみたくなりませんか?」

「うー? ううー? うー、う~、う……、う~~、うーう!」

 悩んだみー。残念ながら、食べ物では釣れなかったようで、ごっくんこっ、と口に詰め込んだ料理を飲み下すと、コウさんに甘えながら、

「あーう、こーのほーがいーのだー! こーがいーのだー! こーなのだー! こそくなかんけーでうろたえるみーちゃんじゃないんだぞー!」

 断固拒否の構えである。ではあるのだが、その威勢も長続きはせず、お腹一杯になったのだろうか、骨のない生き物のようにふにゃふにゃになったみーの動きが緩慢になってゆく。もうおねむの時間であるようだ。北の洞窟に一人で居たときには体験することが出来なかった、たくさんの出来事に、心地良い疲れを感じているのか、目を閉じたみーの顔には幸せそうな、暖かなものが浮かんで、夜風よりも優しく僕たちの心を(ほころ)ばせる。

「……みーちゃん、連れてくのです?」「半分以上は冗談ですよ。まだみー様には外の世界は早過ぎます。そういうわけで、国が完成するまで、みー様の教育係をお願いします」

 そんな軟らかな名残を十分に堪能することなく、コウさんは意地悪で底意地が悪そうな悪意ある人間を見るような、……いや、自分で言っていて哀しくなってくるのだが、まぁ、そんな感じの、もの言いたげな目を僕に向けてくる。然てこそ論点をずらして彼女の視線の険しさを緩めようと試みた訳だが、効果は芳しくない。ここしばらくの遣り取りや僕の振る舞いに対して、コウさんは疑心暗鬼になっているようだ。なるべく演技に頼らないよう優しく提案してみるが、彼女の疑念をまったく払拭できていなかった。(しか)あれど、この距離感が好都合なのが、また厄介なのである。

 コウさんの感情、精神とか情動とかも含まれるのだろうか、そこに溜まった魔力を排出する為、彼女の「やわらかいところ」を刺激する必要がある。現況は対策がし易い、のではあるのだが。あえて適度に嫌われる、その状態を維持することを目的に行動するのは、何だか本末転倒な気がしてならない。まぁ、今のところ、態と嫌われようとする必要もなく、いい感じに、もとい程好く嫌われて、……いやまあ、そんな小さな差異はどうでもいいのだが、はぁ、ここら辺は後の課題というか、成るようにしか成らないというか。

「二巡りかぁ。ここんとこ魔力出せてんし、そんくれぇなら大丈夫かなぁ?」

「二巡りなら、問題ない。ただ、だいぶ溜まるだろうし、戻ったらコウのを多めに抜かないといけない。こちらでも一巡り分程度の『やわらかいところ』対策はしておくとしよう」

 真剣な会話なのだが、どうしても間抜けな遣り取りに聞こえてしまう。それはきっと、コウさんが魔力を放出できず、呻吟する姿を見ていないからだろう。(しか)あればどうも気恥ずかしさが先に立ってしまうのだ。こんなことではいけないと、わかってはいるのだが。

「こぞー、んじゃー行くぞー」

 エンさんが立ち上がると、追従(ついじゅう)してクーさんが準備を整える。

「氷焔は魔物との戦闘のほうが得意。困ったことに、事実として立証。先を考えるなら、対人戦をおざなりにして良い理由はない。黄金の秤との戦闘での、無様(ぶざま)(すす)ぐ為の対策が必要。心配いらない。魔法剣でリシェは傷付けられない」

「はっはっはっ、これほどいー鍛錬相手んいるなんざ、俺たちゃついてるなぁ」

 完全無欠にやる気満々で、獲物を甚振(いたぶ)る準備は完了な御二人。

「リシェさん。剣と盾を貸してなのです」

 コウさんは、優しい声音とは裏腹に、荷物の横に置いてあった僕の片手剣と小盾を魔法で強引に引き寄せた。貸して、と言いつつ、所有者に許可を得ることなく、問答無用で事を進めてゆく。剣と盾に手を添えて、魔法を使ったようだが、一瞬だったので何をしたのかわからなかった。見たところ、安物の剣と盾に変化はないようだが。

「『折れない剣』と『壊れない盾』なのです。これまでの研究成果の結晶なのです。これで、エン兄とクー姉と全力で戦えるのです。()り切れるまで戦えなのです」

 コウさんは、非常に友好的な笑顔を浮かべながら、剣と盾を返してくれた。あれ? なにか、すご~く、ものすご~く、不自然な言葉が最後に聞こえてきたのですが。そして、妹から許可を貰った魔物より恐ろしい人の形をした獣が、竜の狩場に放たれた。

 放し飼いはいけませんよ。などと軽口を叩ける雰囲気ではなく。とりあえず、選択肢は一つだけ、というか、それでは選べていないような? 竜にも角にも、然く僕は遁走した。



「……これは、大陸を平らげるのも簡単そうだ。使い道を間違っているような気がしてならないのが、いやはやなんともはやにっちもさっちもどうしたものやら……」

 外回りに二巡り(つい)やして、東の竜道を通って帰ってきたところ、地で蠢く奇観(きかん)に、感心するよりも前に呆れてしまった。圧倒的であり、驚異的であり、もはや神秘的ですらある。

 五万体の魔法人形が視界の続く限り、せっせと国造りに勤しんでいた。僕が竜の狩場を発つ前、十万体まで可能なのですっ! とみーの「えっへん」ばりに勝ち誇っていたコウさんだが、それは却下した。今のところ予定に過ぎないが、竜の民の数より多くの魔法人形を使役(しえき)するのは、間尺に合わない、いや、(かなえ)の軽重を問われる、いやいや、これも違うか、まぁ、そんなこまっしゃくれた言葉を持ち出す必要もなく、単純に間違っているような気がしたからだ。エンさんが同感してくれたので、上目遣いで剥れる彼女を、紙の裏表に書き込むくらいでは足りないくらいの文言を費やして、何とか言い包め、もとい甘心させることが出来た。然ても、出発前から、どっと疲れてしまった。

「ーー、……はふぅ」

 壮観な眺めである。今は、建物の基礎や資材の運搬など、見様によっては滅びた古代遺跡のような(おもむき)が、無きにしも非ず。とはいえ、(すた)れた気配は微塵もないので、廃墟(はいきょ)と見紛う者はいないだろう。魔法人形は、命令しないと動かない。皆が区画ごとに似たような作業に勤しんでいるのは、命令の数を少なくする為だろう。

 魔法人形の数が五万として。百体単位だと、最大で五百の命令。千体単位だと、同五十の命令。などと、そんな単純にいくわけがない。魔法人形は五種類で、それぞれに作業工程は異なる。区画ごとに命令を与えるとして、見える範囲で大凡の数を算出して、それで全体の……うん、無理だ、諦めよう、僕の理解の範疇(はんちゅう)を超えている。

 通常の魔法人形ならいざ知らず、コウさんの魔法人形ならそれなりの融通(ゆうずう)は利くのだろうが、それでもこの光景が現出していることに畏怖の念を抱いてしまう。働いているのが人間なら、間に監督役やら纏め役やらを配置することで、円滑(えんかつ)に進むのかもしれないが。魔法人形がその役を熟せない以上、コウさんが一手に引き受けなければならない。恐らくは、何かしらの軽減する為の措置を取っているのだろうが、ここら辺は僕が考えても炎竜に炎を浴びせるようなもの。魔法に関しては今まで通り、コウさんに任せてしまおう。

「絶景絶景。でも、これは見ていると目が疲れるなぁ」

 虫の大群というより、砂粒を出鱈目に掻き混ぜたといったところか。中途半端に規則性のある魔法人形の群れを見ていると酔ってしまいそうになる。

 ーー見果てぬ竜の都。ずっと見ていると不思議と良からぬ想念が迷い込んでくる。こうして現実に進捗していても、心に生じる絵空事めいた不明瞭で手応えのない心象を、拭い去ることが出来ないでいる。これは、僕の中の不安とか疑念から来る(いら)えなのだろうか。

竜の国が形作られていく様をもっと眺めていたいところだが、仕方がない。未来の竜の都を夢想して頭に焼き付けてから、視線を地面に向けて皆の許に、一気に坂を下ってゆく。



「…………」

 魔力がない僕の特性の一つに、気配が察知され難いというものがある。拠点の一つである石の卓まで遣って来ると、コウさんの後ろ姿が見えた。声を掛けないのは言わずもがな、静かに音を立てることなく近付いてゆく。これから重要な使命を果たさなくてはならないのだ。二巡りという期間、エンさんやクーさんの「やわらかいところ」対策が上手くいっていなかったなら、喫緊(きっきん)の問題として(すみ)やかなる対処が必要となる。短兵急(たんぺいきゅう)にコウさんの「やわらかいところ」に触れて、最悪の事態に至る前に、仮にそうでなかったとしても問題は特にないので、彼女の溜まりに溜まった(?)魔力を放出させることは必定。

 ……いや、まぁ、悪戯心がないとは言わないが、千載一遇の好機であることには違いない。さて、自分への言い訳はこのくらいにして、さっさと取り掛かるとしよっぶぅ⁉

「っ⁈」

 頭が重い⁉ と事実を認識するだけで精一杯、そこはもう地面だった。

 反射的に首を捻って、顔面直撃を回避する。うぐっ、草地だが受け身が取れなかったので、かなり効いた。一瞬、視界がぶれて、草と土の、匂いだか臭いだか、その(あい)の子のような懐かしい「におい」がする。はぁ、遺跡での一件の痣がやっと消えたところだったのに、また怪我とか勘弁して欲しい。そんな僕の願望など、仔竜の大らかな心にはまったく届くことはなかったようで。頭に飛び乗って僕を引き倒した犯人、もとい犯竜は、

「だーう、あっくにんっだーいせーいばーい! せかいせーふくおてのものー、りゅーのものー。せんりひんはー、みーちゃんもらっていくのだー!」

 悪人の頭をふみふみしてから、手の届かないところへ猫より速く去ってゆく。猫のふみふみは、幸せな気持ちを表して行われるものらしいが、みーのふみふみは、竜だけあって……、って、埒もないことを考えている場合ではない。今は、直近(ちょっきん)の問題である。

 然てしも有らず二巡り振りに見るコウさんの翠緑の瞳は、たとい白い目で見下ろされようとも、美しい輝きを宿していた。以前と変わらず、険のある空気が感じられる。

教育係であるコウさんの薫陶(くんとう)を受けて、みーが野蛮に、然しもやはやんちゃで元気なことはいいことである。悪戯盛り(?)の子供なら、このくらい、このくらい……、はぁ。僕は悪役、遣っ付けるべき体のいい大人(てき)とか、みーから思われているのだろうか。若しやコウさんが、みーに吹き込んで、あー、いやいや、さすがにこれは勘ぐり過ぎか。コウさんは子供だが、文目(あやめ)も知らぬ周期でもなし、みーを教え諭す立場にあるわけだし、と……何だろう、言葉を継ぐ程に、現実から乖離(かいり)していくような気がするのは。彼女は魔法に優れている、というか、超越している、と言っていい水準。だからといって、それ以外のことも優れているとは限らない。(あまね)く才を有する、兄さんのような存在のほうが、稀有(けう)な例外。それは重々わかっているつもりであったが、まだ色眼鏡で見ていたようだ。これは、みー共々コウさんもちゃんと子供扱いしてあげたほうがいいのだろうか。

「さすがみー様。匂いで判断したのかな、食べ物が入ったものだけ持っていきましたね」

 僕は何事もなかったように立ち上がって、コウさんの眼前に手を差し出した。僕とみーの、寸劇のようなどたばたに面食らっている風の女の子。

 ここは、少し強引にでも彼女の心の隙間を衝かせてもらうとしよう。

「……ふぇ?」

 (てのひら)の上には、細い枝を編んで作った細工物が載せられている。緑の綺麗な石を嵌め込んだ、尾の長い鳥。エルシュテルの供の鳥として知られ、幸運(エル)を運ぶ象徴として有名である。ある村を訪れた際、お婆さんが日向ぼっこをしながら、軒先(のきさき)で売っていたものである。値段の割にはしっかりとした作りで、ちょっと(とぼ)けたような顔に、憎めない可愛らしさがある。女の子の好みはわからないが、一目で気に入ったので贈り物にすることに決めた。

「安物ですが、一目惚れしたので買ってきました。僕のお金を使ったので、預かったお金には手をつけていないので、大丈夫です。ーーというわけで、動かないでくださいね」

 僕は、コウさんに近寄って、三角帽子のどの位置に(エル)を付けるか検討を始める。

 東の竜道から出るときに、原石を見付けられたのは幸運だった。道半ばで小休止したとき、角灯の光に鈍く反射したので調べてみると、当たりだった。冒険者になろうと志したあと、里で鉱石などについて学んでおいたことが幸いした。そこそこの大きさの魔石だったので、組合を通じて換金(かんきん)すると、贈り物を二つ買うだけの資金になってくれた。

「あまり目立つところに付けるのもあれかな。そうすると、後ろ側に付けたほうがいいかな。あ、ここら辺がいいかも」

 コウさんに乗り掛かるようにして帽子の後ろを確認して、次いで帽子の下を覗き込むように淵を確認する。ここなら、羽を休める為に留まったように見えるかな。

「……ぇっ」

 幸運の鳥を取り付け終えると、帽子の下からか細い声が聞こえたので、屈んで顔を間近に、コウさんと目を合わせる。お、ととっ、近過ぎて鼻と鼻が当たってしまった。

 ぼぎゅっ。

 魔力が放出された。音が濁っていたのは、魔力が溜まっていた所為やもしれぬ。

 ふむ、これで一安心。然てこそ気に掛かっていた別の贈り物に意識を向けたるに。贈り物をする機会なぞ然う然うないので、漫ろ心で落ち着かぬか。

「ぁぅ……」

 見ると、何故だかわからないが、コウさんは氷竜と抱き合っていたかのように固まっていた。然てまた理由を考えていると、三人が遣って来たので、そそくさとみーの許にゆく。

「はい、みー様、動かないでくださいね」

 みーはクーさんに抱えられながら、僕が買ってきたお土産を食べていた。食べるのに夢中で僕の言葉など聞こえていないようだ。仕方がない、いやさ、これは慮外。「お菓子なみー作戦」は当初の予定とは異なるが、正しく効果を発動。なればこそ余計なことは措いて、心の赴くままに。許可は貰っていないが、決行してしまおう。幸運の鳥を購入したあとの、残りの資金のすべてを投入して入手したものである。というか、少し足りなくて、店の荷物運びとか掃除とか雑用を熟した末に……、いや、まぁ、重要なこの時期に時間を浪費してまで何をやっているのか、というお叱りは聞こえなかった振りをするとして。然ても、みーの服と同じ色鮮やかな若草色のリボンを取り出して、角に結わえる。

「こぞー。実ぁこぞーって、すんげーやべぇやつだったんだな」

 エンさんは、コウさんとみーを見比べながら、しみじみと述懐した。意味がわからず、みーを見ると、みーは未だにお土産を食べ続けて。コウさんを見ると、三角帽子で顔を隠して、ぷるぷるしていた。見様によっては噴火寸前の火山のようなのだが。

「えっと、……もしかして、コウさん、怒ってます?」

 本人に直接尋ねるのが怖かったので、クーさんに取り成しを期待してみるが、

「リシェ。実ぁリシェって、すんげーやべぇやつだったんだな」

 エンさんの言葉を真似ながら僕の肩に手を置くと、動物の死骸を見るような目を向けてきた。これは、なぜなのだろう、僕の言行に何か間違いがあったとは思えないのだが、どうしてこのようなのっぴきならない状況に陥っているのか。

 然し、弱り目に(たた)り目で大変だったのは僕ではなくコウさんだった。

「リシェ。これからは齟齬など起こさないよう、許可なくコウの肩に触れることを許す」「まー、そーさなぁ。それんいーかなぁ、いーよーん気ぃんすん、いーってことん決めっかぁ、てなわけでけってー」「けーう? けってーけってーだいけってー?」

 僕が外回りに行っている間に決めてあったのだろう、二人が許可してくれる。そして、みーの積み増しで確定である、と言いたいところだが。コウさんに触れると、魔法を知覚することが出来る。僕の都合で随時(ずいじ)それが叶うなら、非常に助かるし嬉しいのだが、それも彼女が許してくれなければ始まらない。当人の意思を無視して強引に押し通すのは、緊急の事態を除いて、極力避けたいところ。兄と姉の命令と、炎竜の後押しで困ったコウさん。右へ少し傾き、もぞもぞ。それから、左に少し傾くことなくーー、残念、もっと見たかったのに、中途半端(?)に彼女の謎舞踊が停止してしまった。

「……はい、なの」

 コウさんは小さく頷くと、三角帽子で表情を隠した。無理やり了承させられて悲嘆に暮れているのか、必要なことだと以前から感じていて観念したのか、或いは両方なのか。言葉の調子から、渋々のじゅくじゅくな感じで受け容れてくれたらしい。

「……ミニレムちゃんです」

 コウさんが木枯らしでも吹いてきそうな物憂げな声音で言うと、ちょこちょこと幼い子供のような頼りない走り方で魔法人形が近付いてきた。これまでの魔法人形とは違う、言葉通りの小さな、いや、小さ過ぎる輪郭(りんかく)。膝上くらいまでしか背丈のない魔法人形が立っていた。自分の、半分ほどの背丈の魔法人形に興味を持ったみーは、お土産を卓に置いて、クーさんの腕の中から飛び出した。って、その勢いは不味いんじゃないだろうか。コウさんに飛び付くときと変わらない速さ。彼女は魔力と魔法があるからいいが、あんな小さな魔法人形では受け止め切れないだろう。というか、魔法人形は煉瓦のような硬そうな物で出来ている。コウさんのように柔らかくないので、抱き付いたらみーのほうが損傷を受けてしまうかもしれない。すると、衝突という事態に際して回避するよう命じられていたのか、着地点にいた魔法人形ーーミニレムは軽快な動作で三歩後ろに下がった。

「むーう! みーちゃんからにげるられるとおもうななのだーっぁふ⁉」

 四つん這いで着地したみーが戦いの狼煙(のろし)を上げるが、あろうことかミニレムは一欠片の躊躇(ちゅうちょ)もなく逃げ出して、コウさんの後ろに隠れてしまった。然も候ず、作成者を盾にして利用するなんて、……ああ、でも、コウさんが造った魔法人形だからなぁ、と納得してしまうところが無きにしも非ず。いきなり逃げることを選択したミニレムに親近感が湧いてしまう。共感を覚えて和んだのも束の間、続く魔法人形の行動に我が目を疑った。

 コウさんの後ろに隠れたと見せ掛けて、実際には彼女の後ろを通過、卓に沿って回り込んで、石の椅子に座っている僕の足の間に身を隠したのだ。そして僕を見上げると、こくりっ、と頷いた。同志よ、隠れ場所を提供してくれてありがとう(訳、ランル・リシェ)、と信頼の眼差し(?)を向けてきた。見ると、ミニレムの額には、「一」と刻まれていた。

 そういうことか、と僕は得心した。これまでの魔法人形にはなく、ミニレムにあるもの。これらは魔法的には、どのような意味や違いがあるのだろう。

「むむむーうっ、きえたのだー! でーもあまいっ、こーのほっぺみたいにあまいぞー。からだかくしてあしあとかくさず、みーちゃんのほのーにひがついたー! せかいのはてまでとつげきーなのだー!!」

 突っ込みどころ満載のみーの台詞に頬が緩んだ瞬間、悪寒がした。みーの言葉を借りるなら、僕の生存本能(ほのー)に火が付いた。椅子からずり落ちながら、突撃してきたみーの二本の角を両手で掴んで、力の限り空に向かって押し上げた。()ればこそ、僕は背中から地面に落っこちて、みーは僕が座っていた席に、ぽすんっ、と収まった。ーー万事休す。竜に睨まれた魔法人形、と表現してみたが、まぁ、実際には、世界の果てまで笑顔満杯、と言った感じのみー。仔竜の足に挟まれて、身動きを封じられたミニレムは、表情がないのではっきりとはわからないが、その仕草から、観念して敗北を受け容れたようだった。

「わーう、つーかまえたのっはぁふぁっ⁉」

 ミニレムを抱き上げたみーが、悲鳴にも似た驚きの声を上げた。ミニレムが内側から破裂するように、木っ端微塵に砕け散ったのだ。みーの驚いた顔が、魔法人形が壊れたことに何かを感じたのか、むずむずの困ったような顔に変わって感情が溢れそうになった瞬間、

「みーちゃんっ、怪我はありませんか⁉」

 コウさんが駆け寄って、みーの体を上から下までぺたぺた触って、くまなく確認した。

「お、おー? みーちゃんつよいこ、りゅーのこ、へっちゃらだぞーぅ?」

 コウさんに心配されて、嬉しいけど、それをどう表していいのかわからない、といった感じの、擽ったそうな様子でみーが居心地悪そうにしていた。もしかしたら、恥ずかしいとか気恥ずかしいとか、そういった感情を初めて体験しているのかもしれない。

「大丈夫ですよ~。核が壊れていなければ、また吹き込むことができますよ~」

 みーに怪我がないことを確認したコウさんは、ミニレムの残骸から、指で(つま)めるくらいの透明な球体を取り出した。刹那、彼女は驚愕に目を輝かせた。

「ーー凄いの。最適な状態に組み上がってるの。これなら今すぐ取り掛かれるの。みーちゃん、お手柄ですよ~っ!」

 コウさんは余程嬉しかったのか、みーを抱き締めて、風の軽やかさでくるくる回った。

 然く僕の立場は、みーとの出逢いからどんどん弱くなっているような。なし崩しに椅子まで奪われてしまうかもしれないので、そそくさと竜の居ぬ間に確保。みーにはこれまで通り、コウさんの膝の上を指定席で特別席で、序でに嗜好(しこう)席と至高(しこう)席という造語もお負けするので、……ふむ、確かに彼女の膝というか(もも)というか座り心地は良さそうである、もはや炎竜の(コウ)腰掛け(さん)と言ってしまっていいくらいに……って、うぐぅ、いや、まぁ、言い訳なのだが、コウさん、そしてみーと過ごすことで、僕の妄想力に拍車(はくしゃ)が掛かっている、というか、暴走気味のような。若しやクーさんの(びょうき)がうつったのではなく、これまで隠れていただけで、これが僕の本性だったりするのだろうか。ーーふぅ、などという自虐(?)はこれくらいにして、妄想力が想像力に転化されるようサクラニルに祈っておこう。妄想は竜をも蹴飛ばす、ではないが、サクラニルにもお断りされそうで、ちょっと怖いのだが。

「むーう、みーちゃんのおかげー? とゆーことは、みーちゃんやったのだー!」

 まったく意味はわかっていないだろうに、コウさんに褒められたみーは、体の全部で抱き付いて、彼女の魔法なのか、ぐるぐるですりすりのふわふわな二人は大喜び。宙に浮いた挙げ句、「飛翔」なのか空まで飛び始める。然ても然ても、滅茶苦茶だが、喜び捲りの二人には、もはや何でもいいのだろう。そして僕たちにも笑顔が伝染する。

 今は、みーと、みーが大好きなコウさんが僕たちの中心になっている。今のこの光景が、そのまま国の姿となってくれたらいい。

 あやふやだった僕の心象に、優しい色彩が重ねられる。

「魔法人形は、魔法に魔法を重ねる『(かさね)』という技法が使われている。リシェから要請があった小型の魔法人形。コウは発想の転換を図り、魔法の中に魔法を込める『(ひびき)』という技法をミニレムに採用。みーの力に反応したのか、これ以上はあたしの理解が及ばない。わかるのは、これで工期が大幅に短縮できるということ」「『響』は論外として、『重』は普通の魔法使い、という言い方は失礼ですね。魔力操作に長けた魔法使いなら使えるものなんですか?」「正しい方向に十周期研鑽(けんさん)すれば、四重くらいは使えるようになるかもしれない。コウのように十二を単位として『重』を行うのは、魔力的に不可能。『響』となると、現在の魔法使いが数百周期研究したとて、コウが手にする核は作り出せない」

 クーさんは、泰然としてコウさんの手にある水晶玉に視線を向けた。コウさんと長い付き合いだけあって、規格外と言える魔法技術に接しても心を乱していない。僕は、単純に知識と想像力が足りないので、凄過ぎる、ということしかわからず、呆れる他ない。

 竜にも角にも、僕なりの答えを出して思惟の湖から上がると、クーさんが甘やかな視線を投げ掛けてくる。どうやら、話が続くようだ。彼女の嫣然(えんぜん)と微笑む姿に、それが僕をからかう為の演技だとわかっていても。少しだけ胸が高鳴ってしまったのは秘密である。

「教会について話しておかなければならないことがある。主要な教会と、竜の民からの希望による追加分の敷地は用意してある。教会に関して、問題は別にある。この世界に通常以上の魔力があるという話をしたが、その所為なのか神聖力は存在しない」

「えっと、それでは、教会の人たちは癒やしの法をどうやって行使しているんですか?」

 神聖力が本当に存在しないのか。そこを疑っても始まらない。僕にはわからないのだし、こんなことでクーさんが嘘を言うはずもないし、コウさんやエンさんの表情からも看取する。然あれど、予想していた事柄の斜め上の事実に、心に芽生えた困惑を謙虚に変換して、一度真()(さら)にする。無知の知、などと嘯くつもりはない。失敗ばかりしてきた僕にとって、自身の正しさをいつでも徹底的に打ち砕くことが出来るのは、美徳なのかどうか。

「考えるまでもない。神聖力がないのなら、存在するものを使えば良い。彼らは、魔力を使っている。癒やしの法とは、治癒魔法のこと。つまり、この世界では信仰心の強い者ほど癒やしの法を使うことが出来ず、教会の末端で活動することになる。最も純粋な部分が人々と接する故、多くの信仰を集めている」「ということは、治癒魔法を使っている教会のお偉いさんたちは、泥沼の権力闘争に明け暮れているというわけですか」

 教会の上層部は神聖術ではなく治癒魔法を行使して、伸し上がった人々の集団。嘘や偽りを容認する彼らが、組織の中でどのように行動するか、考えるまでもない。

「彼らの利害は一致している。治癒魔法を使っていることを外部に漏らさない。末端に信仰心に篤い者がいることも利益になる。神々が人間に興味がないことも」

 そうかもしれない、と思ってはいた。実際に言葉にして突き付けられると、妙な感慨に浸ってしまう。魔力が多いこの世界を嫌ってのことなのか、やはり神々は人間に干渉(かんしょう)していなかった。自らを信仰する、最も純粋な末端の信者にさえ手を差し伸べることはない。

「教会のことは、あたしたちがどうこう出来るものでもなし、そも、する必要のないこと。考えるべきことは竜の教会……いや、教会とすると軋轢(あつれき)が生じるかもしれない。竜信仰とはまた別の施設として、竜の社、竜の家、竜の巣、竜の懐、ーーどれが良い?」

「竜の国だかんな。信仰ってより感謝ってとこか、狩場使わせてもらってんし、そーゆーん示すとこあっていーんじゃねぇか。ちみっ子んそこんいりゃ、そこそこ集まっかもなぁ」

 ()かし、留意(りゅうい)しておく必要がある。永く人が立ち入ることが出来なかった狩場に住もうというのだ。人々の心に(おそ)れを抱かせたとて不思議はない。その心情を軽減する為にも、竜の恩恵に(むく)いる何らかの方策は欠かせない。と、ここまで考えて、一度立ち返る。

 うーむ、これは不味いかも。というか、僕は凄く不信心なことを、いや、不遜(ふそん)と言うべきか、初めて会った竜がみーだった所為か、竜に対する畏れが吹き飛んでしまっているのかもしれない。神や竜を、自分たちの利益になるかどうかという、危うい思考に傾きそうになるのを戒めておかないと。いや、物事はきっと、もっと単純なのだ。みーに嫌われたくない、そう思って行動すれば踏み外さない気がする。……本当にそうか、いまいち自信がないけど。こんなに身近に居るのに、友好さえ築けない、僕とみーのとほほな関係。

「順調、と言ったところ。リシェの指示書を熟し、師匠から送られてきた施設の設計にも手を付けている。人造湖に水を入れる準備も整っている」「馬車ですね。竜の都や竜地への、乗合馬車を無料にするとして、雇い入れるとするなら移住前から算段を。あとは、常備軍に警備兵。貴族制度はなく、騎士は領地なし。ここら辺はやってみないと実際のところはわかりませんね」「枢要はコウの為の国造り。特権階級など邪魔なだけ、領地を所有させる必要はない。そも、狩場はみーのもの。また利益の収奪は最低限にし、子供や希望する大人にも教育を施す。養護(ようご)救護(きゅうご)教護(きょうご)、ここらにも人がいる」「畑はすでに耕しているし、竜地の近くには村落を幾つか見繕っておくかな。風竜の遊牧、酪農の狩場への移動方法はコウさんに頼らないといけないかも。初期人口を五~六万人として、国としての形が成れば、維持は難しくないはず」「採掘の街道は伸ばしたほうが良いが、後々無用のものになるとすると、どうしたものか。王宮を竜の心臓、竜書庫を竜の頭脳、住居は竜の首筋から背骨、腹から足先、あとは大路の付近か。職人や商人の組合は、心臓近くに。大広場は竜の都の中心」「先ず、目標は自給自足ですか。国を造ったあと、周辺国と軋轢を生まないよう骨を折ってはいるものの、こちらの理屈に付き合ってくれるわけじゃないですしね。実際に動き出したら、面倒が発生するのはわかり切っていますから、これ……」「ぎゃーう! わけわからんちんなのだー‼」

 みーが大噴火(どっかん)した。我関せずと聞き流していたエンさんが、何事かとみーを見遣る。

「暗号みたいな会話は止めるのです! みーちゃんを苦しめるのは駄目なのです!」

 教育係をお願いした反面、過保護気味になってしまったコウさんがみーを(かば)う。

「摺り合わせ、というより、あたしからの報告。竜の国の全体像を把握しているのは、リシェ。あたしに出来るのは、現状の報告と提案。コウは、あたしが重要な役割を果たしていると思っているようだが、それは勘違い。あたしがいなくても国は成るが、コウがいないと、リシェがいないと、あと、みーがいないと国は成らない」

 大事な姉が僕を褒めたのが不満なのか、コウさんの眉間に皺が寄りそうだった。初めて言葉を交わした頃からすると、感情豊かな面をたくさん見せてくれるようになったのだけど。どうも嫌われているとしか思えない方向に充実するのはどうにかならないものか。

「よーもまー、んないっぺぇ覚えてられんなぁ」

 聞いていないようで、実はそれなりに理解しているエンさんが会話に加わってくる。無意識の領分を鍛えたのだろうか、老師の指導方針なのだろうが、少々羨ましくもある。

「えっと、必要なところには言葉を置いておくんです。遣り方は人それぞれでしょうが、僕はそうしてます。その言葉に触れれば、それに関連する事柄を思い出す。多過ぎるものを分類分けして、忘れないよう印象に残る言葉としておく。精々二、三十の言葉なら、僕でも何とかなりますから」

「ふふっ、三つの言葉で頭が(よじ)れる男に向かって、酷なことを言ってやるな」

 クーさんの親しみの籠もった言葉に、うるへー、と(へそ)を曲げるエンさん。エンさんに割り振っている作業は単純なものばかりなので、拗ねてしまったのかもしれない。

「エンさんも、外回りしてみますか?」

 エンさんを元気付けるつもりで言ってみたが。

「止めてなのです⁉」「寝言は寝て言え‼」「さーう、てきざいてきしょー?」

 二人の猛反対とみーの問題提起で、僕の提案は即刻却下されてしまった。エンさんは呵呵大笑。う~む、自分の弱点を笑い飛ばせる彼は、やっぱり大人物なのかもしれない。

 空を見上げるまでもなく、日が高いことを心地良い陽気が教えてくれる。まだ時間は掛かるが、竜の国完成に至るあらましが見えてきた。少しだけ、休んでもいいだろうか。思い返してみれば、働き詰めの毎日だった。根を詰めると、どこかでクーさんのように転んだり、ぶつかったり、壊れたり、思わぬ過誤に繋がるかもしれない。いや、別に彼女を貶める意図はないのだが。何だかんだで最も感情が豊富なのはクーさんかもしれない。などと、ぼんやり考えていると。

 さらさらと肌と心を撫ぜる日差しと風は、竜でも敵わないんじゃないだろうか。況して人間である僕なら抗うことなど不可能ーー、はふぅ……。

 卓に置いた腕に頭を乗せて、瞼を閉じる。コウさんの、みーを想う優しい声に、みーの楽しげな声が重なって。エンさんとクーさんの笑い声が聞こえてくる。

 芽吹きの季節の軟風より穏やかな心地で、僕は夢の世界へと旅立った。



「おっ、こぞーん目ぇ覚ましたみてーだぞ」「はーう、みーちゃんでばんなのだー」

 目を開けたら、そこはみーちゃんでした。いや、そうではなく、

「かふっ……」

いくらみーが軽いといっても、起きしなにお腹に飛び乗られると辛い。ふわふわとした、穏やかな夢を見ていた気がするのだが、思い出す間も与えられず、危機に(ひん)する。

「みーちゃんの、のめーっ‼」

 みーは、手に持ったコップを傾けながら、僕の口に近付けてきた。コップには緑掛かった淡い黄金色の液体が入っていた。訳が分からず、口を大きく開けて受け止める。口を付けての飲み方では失敗していただろうから、そこは成功だったのだけど。みーは、僕の戸惑いなど竜の笑顔(さいきょうのぶき)で蹴散らして、構うことなくコップを傾けてゆく。

「のめーのめー、みーちゃんの、ぜんぶのめーなのだーっ!」「っ、ーーっ、……っ!」

 斯かる状況で、一滴も零すことなく飲み干した僕を、どうか褒めてやってください。然もありなん、願いは聞き届けられず、みーは用は済んだとばかりに席に戻っていった。

 背中や(ふく)(はぎ)に硬い感触。ぺったりとくっ付く感じは平らな場所ということで、それは見上げる平らな天井からも類推できる。どうやら、眠っている間に誰かが僕を運んでくれたらしい。エンさんだろうか、でも、僕が目を覚まさなかったということは、コウさんが魔法で運んでくれたのかもしれない。体を起こして見回すと、僕の仮の家である単身者用の住宅の、卓の椅子にエンさんとクーさん、あと、みーが一人で座っていた。一度も使ったことのない調理場から好い匂いが漂ってくる。釣られて視線を向けると、コウさんが鍋で何かを煮込んでいた。背がちょっと足りないので、台の上に乗っているのが微笑ましい。恐らく、コウさんたちが住む家族用の住居から持ってきたのだろう、椅子が五脚あった。

 調理場を使ったことがない理由は、魔力がない僕では火が点けられないからである。

 すでに魔法使いの一部では使われてるので、あと竜の狩場は炎竜の地なので、魔石を使って火を()くのです。というコウさんの熱意に絆されて採用したのだが、よくよく考えてみれば、僕だけが使えない仕様になってしまったと。この不具合、もとい利便性の向上について、改善してくれる気はさらさらないようである。コウさんが蒐集(しゅうしゅう)してきた魔石は純度が高いので、繰り返し使用が可能。魔石の魔力が枯渇(こかつ)した場合は、街灯に設置する予定の装置にくっ付けて魔力を補充するという仕組みにするらしい。僕が予測していたよりも高性能で、弱火、中火、強火、竜火、と魔力を込めることで四段階の調節が可能で、通常の使用なら一度の補充で一巡りは持つらしい。ああ、因みに、竜火はエンさんの発案である。庭で肉丸焼きんすんのに必要じゃねぇか、という彼らしい理由なのだが。一般家庭では必要なさそうなこの機能、実装したら火事が多発しそうなので、コウさんにお願いして二種類用意してもらった。竜火付きの魔石は許可制にしておこう。

 肉を丸焼きにしても大丈夫なくらいの庭が単身者用にも付いている。土地は十二分にあるので、竜の都の中心地や主要路から離れた場所では、より広い敷地を、居住地ごとに特色をーーと欲張りたいところだが。魔法人形の命令が多岐に(わた)ってしまい、コウさんの負担になってしまう。彼女にこれ以上の無理を強いるわけにはいかない。住居は何種類かに絞って用意して、竜の民に選んでもらうのが妥当だろうか。竜の都や竜地の外は、居住者の意見を取り入れてからのほうがいいだろう。

「竜の狩場の北西にある湖で泳いでいた魚。毒がないことはコウが確認している。そういうわけで試食会。あとは食べながら、ちょっとした勉強会」「出来たのです。みーちゃん、皆が食べるものに手を入れては駄目ですよ~、取り分けるまで待ってくださいね~」

 ぐつぐつ煮え滾る鍋の中から、素手で魚を取ろうとしたみーがおずおずと手を引っ込める。コウさんに委ねた、みーの教育係の成果(?)が出ているようだ。

「北の洞窟の近くに三種類の植物が自生している。一つ目が、今リシェが飲んだ『竜茶』の木。採取できる量は少なく、重要な客人や他国への贈答に用いる予定だが、使い道はコウに一任してある。二つ目が、『竜の実』。周期を通して採取できるが、こちらも量は少ないので、みーに毎朝採ってきてもらおうと思っている。三つ目の『竜樹』はふんだんにあって、この樹から採れる樹液を竜の民に無料で配布しようと考えている」

 コウさんが鍋から魚を取り分けている間、クーさんが卓に置かれた品の説明をしてくれる。大き目のグラスに入った水に、これが話にあった樹液なのだろう、小さな容器から二滴垂らすと、僕に差し出してくる。みーの竜茶で多少は潤ったが、寝起きでまだ喉が渇いているので、さっそく頂くとしよう。

「狩場の水は安全だと、コウのお墨付(すみつ)き。生水に抵抗がある者は多いだろうが、これなら飲料として十分堪えられる」

「ほんのり甘くて、飲み易いですね。あと、この清々しい香り、悪くありませんね」

 樹液というので、心象から苦かったりくどかったりするのかと思ったが、そんなことはなく。竜の魔力を浴びていた恩恵なのか、水が軟らかくなって、するりと喉を通ってゆく。樹液の量を調整すれば、大人から子供まで幅広く受け入れられるだろう。

「んーう? みーちゃんのりゅーちゃ、みーちゃんあじー?」

 目の前の魚に気も(そぞ)ろ。それでも気になったのか、聞いてくるみー。ふむ、みーちゃんの、と言っていたが、竜茶はみーが手ずから淹れてくれたものだったようだ。みーに無理やり飲まされた竜茶だったが、深い味わいとーー飲み終えたとき、懐かしい記憶が蘇った。三寒国にある故郷から離れるとき、狩場の山脈ではなく、連峰を見上げたときの感覚ーー。

「みー様というより、ヴァレイスナの味がしました」

 僕が感想を言うと、何故だろうか、コウさんが悪戯がばれた子供のような、ちょっと突けば逃げ出しそうな、引き攣り気味のあわあわな顔を向けてきた。周章狼狽というより挙動不審。何事かと目を合わせると、彼女は不自然極まりない動作で、つっと目を逸らした。

みーの魚の身を解したり骨を取ったりしながら、それで誤魔化しているつもりなのだろうか。まぁ、怪しの魔法使い全開なわけだが、御飯時であるし今回は見逃してあげよう。

「そのヴァレイスナ連峰と竜の狩場の山脈に挟まれた三寒国から始める。コウ、頼む」

 クーさんが先に言った、ちょっとした勉強会、の始まりのようだ。

 クーさんの頼みに、はいなの、とコウさんが了解すると、僕の私物の、大陸の絵地図が川面で揺られる葉っぱのように漂ってきて、……僕の頭の上で広がった。竜の傲慢さで僕の荷物から失敬(しっけい)、ではなく、無断借用した挙げ句、地図の位置に悪意しか感じないが、コウさんは知らぬ存ぜぬ、空飛ぶ風竜とばかりに、みーの世話を焼き続けていた。

「はーう、べんきょーするのだー? みーちゃんおぼえるんだぞー」

 今回は、食欲よりも好奇心のほうが勝ったようだ。はてさて、初々しいみーの炎眼に世界はどのように映っているのやら。人が席巻(せっけん)した大陸は、純粋さで輝くみーの瞳に影を落とすことになりはしないかと、杞憂(きゆう)を抱いてしまう。竜はそんなに(やわ)ではないだろうが、仔竜であるみーがそうであるとは限らない。竜の心魂の安寧(あんねい)までコウさんに委ねてしまうのは、何だろう、これまでの彼女の言行に鑑みて……うん、僕のほうでも注視しておくことにしよう。然て置きて竜の狩場の周辺国から、概ねみーの為の、地理のお勉強である。

 クーさんが説明、と思いきや、みーの教育係としての矜持なのか、コウさんが先んじて解説を始めた。みーの、わくわくの炎眼の直視に、コウさん、やる気満々である。空回りしなければいいのだけど。などと老婆心(ろうばしん)めいたことを考えてしまう。それくらい彼女が危なっかしく見えてしまっているわけなのだが。ふむ、これは不味いかもしれない。保護者的な視線や、上から目線で接すると、コウさんの性格上、今以上に嫌われ兼ねない。まぁ、そこは今後の課題ということで、今はみーよろしく彼女の教示に耳を傾けるとしよう。

「先ずは、竜の狩場の西側にある三つの国なのです。狩場の山脈とヴァレイスナ連峰に挟まれていて、寒期には雪に埋まってしまう寒さの厳しい場所なので、三つの寒い国、で三寒国と呼ばれてるのです」「ゆーう、ゆきはくちがひゃっこくて、いーかんじだったのだー」「三寒国の人たちは、古語時代の大乱があったときに逃げ延びてきた人たちで、心根が穏やかで仲間意識が強いと言われてるのです。リシェさんを見てると、とてもそんな風には思えないですけど、皆良い人みたいなので、竜の国とも仲良くしてくれるはずなのです」「ふーう、だいじょーぶだけどー、だいじょーぶじゃないかもー?」

 全員の視線が僕に向けられる。様々な感情が含まれた八つの目が僕を怖じ気させる。僕としては、自分は典型的な三寒国の人間だと思っているのだが、何故なのか、周囲から誤解を受けることが多々ある。まぁ、僕の特性以外にも、多少の原因があることを認めないわけにはいかないが。然し、異性との関係のほうが上手くいかないのは、まぁ、その、ね?

「問題は、東側の三つの国なのです。東側の一帯は、『ストリチナ地方』と呼ばれていて、この三国は『ストリチナ同盟国』として密接に結び付いてるのです。五周期くらい前なのです。ストリチナ地方は、十二の国が(ひし)めき合っていて、戦乱の絶えない場所だったのです。ストリチナ地方の中央に位置していた三国が同盟を結ぶと、瞬く間にストリチナ地方を平定したのです。詳しくは、リシェさんに説明してもらうのです」

「わーう、まんなかのあかいみっつ、まわりのくろくろたべまくりなのだー」

 僕の頭上で、十二国が三国に併合される様子が展開されているらしい。コウさんの応用力には舌を巻く。以前は対象に触れなければ、描かれた地図や絵を改変できなかったが、今では遠隔での操作が可能なようだ。尚又(なおまた)、黒以外の色まで着色できるようになっている。

「同盟を締結(ていけつ)させたのは〝サイカ〟です。三国にはそれぞれ〝サイカ〟が(ほう)じていて、この三人は兄弟らしいのですが、強力な結び付きを得ました。三国は、周囲の九国が手を拱いている内に(くさび)ともいうべき二国を屈服させ、分断させます。残り七国は、同盟を結ぶ間も与えられず、一つずつ併呑(へいどん)されていきます。そうしてストリチナ地方を三分割した後、統治します。以後、争いはなく、豊かになりましたが、大きな懸念がありました」

 コウさんに求められたので、みーにもわかるように、概略(がいりゃく)だけを話した。

「ここに、大陸の中央を分断するように流れる、『ユミファナトラ大河』があるのです。ストリチア地方は大河の西側に、そして東側には『ラカールラカ平原』が広がっていて、平原の先に『草の海』があるのです」「くさのうみー? くさがうみうみしてるのだー?」

 恐らく、絵地図の、草の海の場所が緑色に着色されたのだろう、みーは竜の狩場より大きな草原を見て、目と口を真ん丸にしていた。

「緩衝地帯なのです。草の海の向こうには、中央の人々が『エタルキア』と呼ぶ地域があるのです。ラカールラカ平原とエタルキアの交流は少なく、またお互いの利害が絡み合うことで、草の海が保たれることになるのです」

 知らないことを知るのが楽しいのは、人も竜も同じようだ。地図が見えないので、みーのころころ変わる豊かな表情を観察して楽しんでいるが、それだけで嬉しくなってくる。

「これが大まかな勢力図なのです。それでは、話をラカールラカ平原に戻すのです。これが現在の平原の、六つの国なのです」「おーう、なんかいっこだけ、でっかいのだー」

 ユミファナトラ大河に付いた大きな(こぶ)、そんな風にも見える、大陸で最も大きな国を見て、みーが素直に感心する。大陸の中央に位置する大国は地図の上でも異彩を放っている。

「はっはっはっ、今じゃそん国ん周りん五国ぁ『周辺五国』とか呼ばれて、弱小国扱いされてんだよなぁ。んで、これん俺たちん生まれたとこだな」「むむむーうっ、なんかよめそーなきがするのだー! んーんーんー、んっんっんっ、ん~ん~ん~、す……、すお、すとぶ、……『すとふぐれぶー』?」「おー、惜しーぞ、ちみっ子ー」

 ちょっと(つたな)いが、みーは文字が読めるらしい。ミースガルタンシェアリから教わったのだろうか、若しくは竜に具わっている能力なのかもしれない。すとふぐれぶー、ではなく、正しくは『ストーフグレフ』。地図の真ん中を指しているらしいエンさんの人差し指が、ゆっくりと上に動いて、周辺五国の北よりの国で止まった。

「はーう、とーいぞー。とーいのに、ちずでちかくてほんとはちかくない、のでのでやっぱりとーい?」「まー、遠いっちゃ遠いーんだが、歩いてりゃ、そんうち着く近さではあるなぁ」「ほーう、こーはここからきたのかー。でもー、みーちゃんならひとっとびー!」

 椅子から飛び出そうとしたみーが、強制的に席に戻される。魔法を使ったらしいコウさんは、食事中は駄目ですよ~、と笑顔で叱っていた。

 ん? ん~、これはーー。一抹の不安を抱かせる場面だった。何が悪いのか、はっきりとわからないのが、より不安を増進させる。(しか)はあれど、わからないものは仕方がない。まだみーのお勉強の最中であるし、とりあえず留意しておくとして、いずれ問題が生じるようなら対処しよう。

「ストーフグレフは、元々は普通よりも小さな国だったのです。ストリチナ同盟が結ばれたのと同じ頃、自国を攻めてきた南北の四つの国を破り、今の広大な領土になったのです」

「んー、そーいやぁ、じじーん戦いんこと話してなかったなぁ」

「『これは参考にしないほうが良い』と、そう言って、師匠は嘆息していた。だが、今なら聞いても問題あるまい。リシェ、あらましだけで良い、解説を頼む」

 エンさんやクーさんだけでなく、コウさんも詳しいことは知らないようだ。僕は、里で習ったストーフグレフ国と、英邁(えいまい)だが正体の見えない、王の物語を語ることにした。

「老師が話さなかったのは、王の行いが真似できない、参考にならない、模倣(もほう)などしようものなら、弊害を齎すかもしれないと危惧したからだと思います。

 ストーフグレフ国は、あまりに都合よく、一方的に勝利し続けました。それは、優れた戦略に依るものなのですが、余人には到底成し得ないものである為、その(まばゆ)さが人の目を曇らせることになります。危うくも魅力的なそれは、常道を(ないがし)ろにし兼ねない厄介なものであると同時に、その常道を突き詰めたが故の一切の無駄を切り捨てたもののようにも見えます。と、こんな感じで、人心を惑わすこと(しき)り。そのような前置きをした上で話しますが。心構えとしては、物語の英雄の活躍を聞くような感じでお願いします」

 (よわい)わずか十五にして王に即位することになった、寡黙(かもく)な少年の物語。

「彼は第二王子でした。前王は、戦乱の絶えぬ地で国を守り抜いた賢王として名を馳せましたが、三十半ばで病没します。死の間際、第二王子である彼に王位を継がせることを宣言します。前王は、王位を押し付けられる彼の嫌そうな顔を見て、笑みを浮かべて身罷ったそうです。彼は、前王の死を確認すると、主だった者を集め、直ちに戦支度を始めさせます。敵対していた南の二国が攻めてくることを予見して、先手を打ちました。またそれだけでなく、第一王子に組する貴族への牽制、住民への避難指示など、竜の叡智(えいち)を彷彿とさせる磐石(ばんじゃく)な才腕は、十全という言葉に相応しい対応でした。更に、前王が病没する前から、兵権の一部を委ねられていた彼は、兵に城攻めの訓練を課していました。

 そこから先は、すでに決定した勝利から垂らされた糸を辿るように、彼の物語が進行します。戦いとなれば、常に相手より数で勝る状況を作り出し、牽制や見せ掛けには最良の配分。無駄を見付けるほうが苦労するような、最善を()り続ける行軍や戦闘。

 南の二国の王城を陥落させ、同盟を結んでいた北の二国が援軍と称して、ストーフグレフの空の城を占拠したときも、一瞥もくれず北の二国の王城を陥落させました。常に先陣に立ち、敵の首領を一薙ぎにし、最小の被害で終結させる。ーー彼の王の前に敵はなく、障害物は自ら道を譲る。そう言わしめるほどに、完全なる勝利でした。

 彼の名声を決定付けたのが、二つの言葉だと言われています。『統治するには、この大きさが適当である』と、以後は他国を侵さないことを宣言し、有力商人を集めた場にて、二つ目の言葉が発せられます。『富とは()き止めるものではなく、行き渡らせるものだ』と、自由な(あきな)いを確約したことで、人と金を巡らせ富を生み、栄えさせることで反発する者たちを抑え込みました。柔軟な治世で、統治者としても類い稀なる才を発揮します」

 十五歳だった少年は、現在二十一歳の青年となって、世間の耳目(じもく)を集め続けている。

「細かいところはだいぶ省きましたが、こんなところです」

 この王の物語に、僕なりの解釈が付け加えられたのは、つい最近である。言うかどうか迷ったが、コウさんの耳には入れておいたほうがいい、とそう判断して皆に問い掛ける。

「以前なら気付けませんでしたが、今なら推測できることがあります。例えばですが、周辺五国のいずれかの国に、コウさんが味方をしたらーー、ラカールラカ平原を征服できると思いませんか?」「…………」「「っ!」」「ぬーう? ぬぬぬー?」

 僕が発した疑問に、エンさんとクーさんが息を飲んだが、首を傾げるみーの可愛らしい姿に、気の抜けた雰囲気が漂ってしまう。

「なるへそなー。まー、ちび助ほどじゃねぇとしても、つえー魔法使いか、魔法部隊みたいなんがいるんかもなぁ」「優位性の為に隠匿(いんとく)している、か。有り得る話だが、それだけではないーーいや、それだけではない……?」「ん? どーした相棒?」

 どうやらクーさんは、ストーフグレフ王の深慮(しんりょ)に心付いたようで、動揺からか二度同じ言葉を漏らした。これ以上、不用意な言葉を零すまいと、手で口を塞いで押し黙る。

「むーう、どーゆーことなのだー?」

 ぐ~るぐる、ぐるぐ~ると首を回しながら、真剣に、一生懸命に考えるみー。余りにも頑張って考えているので、実は何も考えていないんじゃないかと疑ってしまいそうに、って、いやいや、さすがにそんなことはないだろう。ただ、人間の社会とか世間とか、そういういものに触れたことのないみーには、水面に映った月を捕まえるような、楽しいけれど答えに辿り着けない、漠然としたもののように感じているのかもしれない。そうなると、ここで話してしまうのは正しいことなのか。逆に混乱させることになるような気がして、二の足を踏んでしまう。僕が逡巡していると、みーの教育係であるところのコウさんが、不必要なやる気を発揮して、躊躇いなくみーに答えを差し出す。

「ストーフグレフの王様、アラン・クール・ストーフグレフ、という少し美味しそうな名前の王様ですが、一言で言うなら、王様はこの大陸の要石(かなめいし)になっているのです~。王様が動くだけで、皆が喜んだり悲しんだり、怒ったり楽しんだりするのですよ~」

「まーう、みーちゃんりかいしたぞー。おーさま、へんなやつなのだー」

 いや、美味しそうな名前って。コウさんの感性に文句を言うつもりは毛頭ないが、ストーフグレフ王の脅威が薄れてしまったような……。そして、みー。王の中の王である彼を変な奴とは、どうしてそんな感想が出てきたのやら。

「みーの言うことが、或いは正鵠(せいこく)を射ているのかもしれない。大陸を席巻しようと思えば出来るだろうに、それをしない。軍事を用いずとも、金銭的に屈服させることも出来よう。自国が栄え、周辺国にも利を配分、三国同盟のような危険因子を掣肘(せいちゅう)。正しき道を説く王かと思いきや、冷徹で容赦のない王だと噂されている。大陸で一番の不安定要素でありながら、大陸を最も安寧に導いている。確かに『へんなやつ』という評価がしっくりくる」

 うぐっ、クーさんがみーの言葉に納得してしまった。だがここであっさり変節(へんせつ)するのは節操がないというか……。

「みーちゃんの言う通りかも~」「おー、ちみっ子ー、ど真ん中だー」「みーは優れた感性の持ち主。真実はみーに在り」「みー様、さすがです!」「えっへんっ!」

 両手を腰に当てて、ぐっと胸を逸らして顔をやや上に、炎も華やぐ喜色満面、竜が笑えば明日は天晴れ。……とまぁ、ちょっと盛った表現になったのは、心疚しいものを誤魔化したかった、というか、受け容れ難かった、というか。はぁ、付和雷同してしまった僕は、何て情けない奴なんだろう。これ以上、竜の巣穴に迷い込まない内に、さっさと次に行ってしまおう。ストーフグレフ王の真意について有耶無耶になってしまったが、確証がない内はそれでいいのかもしれない。今の僕らに、何が出来るわけでもない。

「えっと、だいぶ遠回りしましたが、竜の国の東にあるストリチナ同盟国にとって、ストーフグレフ国は目の上のたんこぶ、油断のならない相手です。三国を合わせた国土なら勝っていますが、国力では負けています。戦えば、恐らく負ける。侵攻して来ないだろうが、そう断言できる相手ではない。ーーそんなところに、同盟国からすれば背後に、竜の国が突如現れるわけです。竜の国として、積極的に係わっていかなくてはならないので、同盟国とは仲良くしたいのですが、一筋縄ではいかないかもしれません」

敵ではない、と言って信じてもらえるなら、これほど楽なことはない。敵になる可能性がほんの少しでもあると相手が懸念を抱くなら、言葉と行動を尽くさなくてはならない。

「とゆーんが、こん国ん周りん情勢ってやつだなー。つまり、国造んのはてーへんだが、造ったあとぁもっとてーへんってわけさなぁ」「大変は大変だが、大変さの意味が違う。国、というのは、詮ずるところ、人、に行き着く。国が成れば、人との……、そう、少し恥ずかしい言い様になるが、絆を()わえていかなくてはならない」

 大変と言いつつ、二人の顔に険しさはない。

「ってーことで、国出来りゃあ、もっと楽しくなんってこった。ちみっ子ー、楽しーんは大好きかー?」「あーう、こーといるのたのしーぞー。うれしくて、しわわーなのだー!」

 どうやら、幸せ、という言葉が出てこなかったようだ。でも、確認するまでもない、みーの顔を見れば一目瞭然なので、僕らも、しわわーである。一段落ついたところで、食事再開。魔法で保温しておいたのか、料理はまったく冷めていなかった。

「こぞーん、また外回りか?」「そうですね。職人組合に話を通して、様々な職種に応じた、必要な道具や器具など、数を揃えておかないと。工房などのことを考えると……」

 専門知識となると、僕一人では覚束ない。ファタさんか、組合のそこそこの地位の人と通じて抱き込む、もとい巻き込む、……あれ、同じ意味か? ん~、やっぱり今後の円滑な国造りの為には、後々の地位や利権を確約するなどして、積極的に協力させるべきか。

「職人さんが使うものなら、見本があれば私が作れるのです。節約は必要なのです」

 悩んでいると、若干得意げなので腹案(ふくあん)だろうか、コウさんが提案してくれる。彼女は善意で言ってくれているのだろうが、ここは窘めておかなくてはならない。明確な線引きは必要である。また嫌われるかな、と内心で苦笑しつつ、僕が演技してもあまり醸せるとは思えないが、厳しさを装って彼女の申し出を断る。

「それは駄目です。必要なものは、すべて外で買い付けます。竜の国が落ち着いたら、自国で職人たちによる発案、またはこちらから製作する道を模索することを検討します」

 これは、ちょっと持って回った言い方をしてしまっただろうか。コウさんは、僕の言い回しか、にべもなく拒絶されたのがーーいや、両方なのだろう、断然気に入らなかったようで、普段からでは想像できないような激しい形相で反駁(はんばく)した。

「何でなの! 余計なお金を使わなくて済むのに、竜の国を造るのに必要なお金なんだから、大切にするの!」「コウさん、落ち着いてください。あなたならわかるでしょう?」

 あっ、不味い。言い終えてから、失策だったと気付いた。コウさんの癇癪(かんしゃく)()てられたのか、僕の内で炎竜と氷竜が鉢合わせしたかのようなのっぴきならない事態が発生して、とてもではないが平静ではいられず、反発を招く言い様になってしまった。

「それにそのお金はーーっ⁉」

 ぱんっ。

 それ以上言わせてはならない。僕は、エンさんを模倣して、手を叩いた。彼ほど上手く音は鳴らなかったが、コウさんの言葉を止めることは出来たので、良しとしよう。

「コウさん。老師に『遠観』を繋げてください」「……何で師匠に繋げないといけないの?」「どうして、老師に繋げないんですか?」「ーーっ!」

 ここは態と揶揄するように聞き返して、誘導する。僕が不思議そうに首を傾げる演技を見て、コウさんが気色(けしき)ばむ。

 ここで仲違いして間を置くと、自分の意見が間違っていないという自己正当化の為に時間を消費させてしまう。それではいけない。自分が間違っていたということを受け容れる為の時間にしなくては。埒が明かない、と思ったのか、無言でコウさんが「遠観」を行使。見易い位置に長方形の枠が現れて、老師の姿が映る。今回は「遠見」ではなく「遠観」なので、老師の姿を見ることが出来た、のだが……。あ、いや、老師の容姿に仰天したわけなのだが、竜にも角にも、それは後回しにして、僕はこれまでの経緯を老師に語った。

「コウ。リシェ君の要請の通り、今回は外で買い揃えなさい。そこに掛かる費用は、必要なものだよ」

 教え諭すように老師が言うが、コウさんは納得しなかった。

「……なんでリシェさんの味方をするの! 師匠の、馬鹿‼」「おー?」

 コウさんは大声で老師に、憎まれ口、というより、愛され口、とでも言えそうな言葉を投げ付けると、事態を把握していないみーを抱えて、家を飛び出していった。

 開け放たれた扉の外を見ると、彼女にぶつかられた魔法人形が弾き飛ばされていた。感情が溢れると同時に、魔力も溢れているのかもしれない。

 一応、僕の予想通りの展開にはなった。そして、兄と姉と保護者の方々に、恐々(きょうきょう)と向き直る。またぞろ魔法剣で攻撃されるかと思いきや、意外にも穏やかな空気が漂っていた。

「コウは、私たちに対して負い目があるからね。一歩引いてしまうので、喧嘩などしたことはないのだよ。精々、エンが馬鹿をして吹き飛ばされるくらい」

 老師が含み笑いをする。そのあまりに様になっている仕草に、先程呑み込んだ老師の、容姿に関する感想を述べた。

「僕はてっきり、老師は老賢者のような風格を醸す青年かと思っていました。なのに、残念です。何ですか、その美男子っぷりは。アニカラングルに謝れ」

 眉目秀麗などという言葉ではまったく足りない、名工が作り上げた作品でもここまで美しくならないと思わせる、同じ人間かと思うほど整った容姿の青年が佇んでいた。あのカレンですら、ここまでの異質ともいえる美を具えてはいなかった。

「そうやって私の容姿に目が行くので、色々困ることが多いのだよ。私としては、リシェ君のような十人並みの容姿が良かったのだがね」

 老師に悪気はないのだろうが、何気に傷付く言葉である。ときに事実は人を苛む。

「そーさなぁ、こぞーんもっと筋肉つけんといかんなぁ」

 エンさんからも駄目出しが飛んでくる。全身に力を巡らせて、ほどよくついた筋肉を誇示してみせる。少しだけ、羨ましいと思ってしまう。確かに、もうちょっと筋肉は欲しい。

「あの、師匠、よろしいでしょうか」

 会話に加わらず、考え込んでいたクーさんが、怖ず怖ずと許可を求めた。

「ああ、構わないよ。何だね?」「師匠は、即座にリシェの意向に賛同していましたが、あたしはコウが言ったことに一理あると思っています。コウの態度に問題はあったものの、あそこまでしなくても良かったのでは……?」

 顔をやや(うつむ)けて、上目遣いに老師を見るクーさん。これは、尊敬する師匠にだけ見せる、彼女の素の姿なのだろうか。僕は、エンさんを見た。なぜ彼を見たのか、まったく理由はわからなかったが。ーーどう判断すればいいのか、普段通りの彼に違和感を覚えた。

「私は、コウが魔法や魔工技術を使うのを、幾許(いくばく)か制限を課しているが、基本的には無制限に認めている。それは、魔法や魔工をコウが自身で開拓したから。だが、職人の道具となると話は別。それらは、彼らが工夫や失敗を積み重ねて、形作られていったもの。彼らが積み重ねた労苦の上澄(うわず)みだけを一方的に得る行為は、情理に背いている。他者の創ったものを勝手に用いるのは、言うなれば、良心を売り渡すようなもの。私は、誰かから後ろ指をさされるような、そんな行いをして欲しくない」「……はい。そうかもしれません」

 納得していないわけではない。ただ、認めたくないだけ。そんな風に見えるが、クーさんの中では、もっと複雑な感情が渦巻いているようだ。女性の心理に疎い自覚のある僕には、それ以上のことは推察できないがーー。ふと彼女が、か弱い女性に見えてしまった。直後、見直してみると、そこに居たのは普段通りのクーさんだった。

「リシェ君には仲直りをしてもらわないといけない。コウは、何故自分の意見が受け容れられないのか、理由を聞くことなく反発した。それは、普段なら有り得ないことだ。さて、何故そうなってしまったのか、わかるかな?」

 場の雰囲気を和ませるように、師範然として老師が話を振ってきた。

 先程のコウさんの、怒りと焦燥を綯い交ぜにしたような姿を思い出して、ほんのりと熱が籠もりそうになる頭を、呼吸一つで落ち着かせる。自己暗示は上手くいったようで、雑念が消えて、暫しすべてを忘れる。そして、必要な欠片を拾い上げてゆく。

「ーーーー」

 反発したということは、気持ちに余裕がないということ。心を煩わせるような何かがあるのか。僕が嫌いだから、などという理由なら、老師はわざわざこのようなことは聞かないだろう。今、この時点に至ったからこそ、生じたものなのかもしれない。

 居回りでは、変わらず魔法人形たちが、大きな音を立てながら働いてくれている。ありがたいことだが、考え事をするには向かない環境だ。とはいえ、文句を言うのは筋違い。彼らのお陰で、すでに竜の国の心象が固まって、景観を成しつつある。その様を見て、

「ああ、そうかーー」

 答えの一端に触れたような気がした。

「一から説明する必要はないようだね。君は、ミースガルタンシェアリとの交渉を予測し、緊張していただろう。コウは、君ほど緊張していなかった。それは何故か。コウの得意分野、最後には魔法でどうにかすれば良いものだったからだ。然し、竜の国は違う。国の運営、王としての責務、これらは魔法でどうにかなるものだけではない」

 老師が示唆(しさ)を与えてくれたので、大凡(おおよそ)の答えに辿り着くことが出来た。

 これまでは霧の向こうの、夢のような朧気なものだった。それが、実際に心象が及ぶほどに竜の国が形を成して、現実のものとして捉えられるようになった。

 わかっているつもりだったが、わかっていなかった。

 強い魔法が使えるだけの女の子。

 魔法で何でも出来る、ただの魔法使いの少女。

 然う、ただの女の子が、王様になろうというのだ。不安にならないわけがなく、(あまつさ)え彼女は人と接してきた経験が少ない。特殊な生い立ちはどれだけの(しこ)りとなっているのか。

 乗り越えなければならない壁は、僕が思っている以上に高くて、厚いものなのかもしれない。僕は、おうさま、を、やる、と言った女の子の、本当の願いを知らない。知らぬまま、ここまで来てしまった。だから彼女の重荷を知らない。一緒に背負ってあげられない。

「駄目だな。僕は……」「はっはっはっ、駄目だかんいーんじゃねぇか。駄目じゃねぇ奴なんて、つまんねぇだけだぞ。そん点、こぞーは面白過ぎていー感じだなぁ」「リシェ。妬ましくて堪らない。あたしもコウと喧嘩したい。仲直りして、前よりもっと親密になりたい。……最近、コウはみーに首っ丈。あたしの相手をあまりしてくれない」

 クーさんは、まだ本調子ではないようだ。彼女の吐露に、ならエンさんに相手してもらえばいいじゃないですか、と言おうとして、口を開く前にその際どさに気付けたのは僥倖(ぎょうこう)だった。余計なことに気を回してしまわない内に、僕はそそくさと家を出た。



 今日は月が頑張っている。などと失礼なことを考えつつ、地上を薄光で揺らしてくれる満月に感謝した。目が慣れれば、この薄暗闇は不思議なほど心地良い。

 コウさんを見つけ出すのは、難しいことではなかった。いや、正しく言えば、簡単だった。彼女が逃げる際に巻き込まれた、魔法人形が残した損壊の(あと)を辿っていけばいいだけだった。さっそく補修に取り掛かってくれている魔法人形の健気さに、感謝の念で涙が出そうだ。まぁ、実際には、斯かる命令をコウさんが下したのだろうが。となると、彼女も少しは落ち着きを取り戻したのだろう。適度に時間を空けたのは正解だったかもしれない。

 音を立てて近付いてゆく。魔力で気配を捉えられないので、遣って来たのが僕だと気付くだろう。小さな、丸まった背中。みーがすっぽりとコウさんの腕の中に収まっている。

 草地に座っていた彼女に、断りもなく背中合わせに腰を下ろす。触れ合った背中から、微かな動揺が伝わってくる。でも、それでは足りない。僕は、腕を持ち上げて、体を反らせながら小さな肩を掴む。丸まった背中を引き寄せて、背中をぴたりと合わせる。

「ふぁっ……」

 ぽふっと、少しだけ魔力が放出された。彼女に触れているので、淡金の魔力を知覚できる。風に馴染むように、いやさ、風の影響を受けていないようだったので、月の薄光に溶けるように、とでも表現するのが適当だろうか。

「肩に触れていい、と許可をもらっているので。駄目でしたか?」

「……駄目、じゃないのです」

 背中を合わせるという不躾(ぶしつけ)なことを不問(ふもん)にしてもらう為に、ちょっと企んでみたが上手くいったようだ。ただ謝るだけでは、きっと凝りを残してしまう。なので、僕はコウさんに、もう一歩、今よりも近付いてみようと思う。

「提案があります。今の魔力放出ですけど、ただ消えてしまうだけではもったいないので、空に向かって打ち上がるようにして、空で爆発したあと、魔力が地上に降り注ぐようにしませんか? 魔力は、ある程度であれば、浴びても体にいいんでしたよね」「……?」

 コウさんの戸惑いが、背中から伝わってくるようだった。いきなりこんなことを言われて、どう反応していいか迷っているのだろうか。

「出来ませんか?」「出来ないことはないのです。そんなことする必要がないのです」

 怪訝(けげん)そうに二重否定ーー肯定のあとに否定をするコウさん。僕は、懐から人差し指くらいの長さの、厚みのある木の板を取り出して、後ろに向かってぐっと手を伸ばす。

「これを、どうぞ」「これは、何なのです?」

 知らなくても無理はない。三寒国の風習で、声高に語るべきものではなく、どちらかといえば秘するものなので、意外と知られていない。差し出したまま待っていると、すっと木の板が引き抜かれる。コウさんの心臓の鼓動が、七回脈打ったあとだった。

「それは、コウさんの言うことを一度だけ何でも聞く、その証しともいうべきものです」

 小さな木の板の表には、僕の名前が刻まれている。そして、裏には真名が刻まれている。と言っても、真名のほうは形骸化(けいがいか)していて、子に託す願いや信仰する神の名が刻まれることもある。「誓いの木」という捻りのない名称だが、そのただの木片に込められた重みに気付いてもらえたようで、コウさんの背中が小さく揺れる。

「手配した器具や道具類が必要ないのなら、今すぐ竜の狩場を出発して、取り止めにしてきます。でも、折角手にした、何でも言う事を聞かせられる権利です。そんなことに使ってしまうのは、もったいないと思いますよ?」

 言葉の最後に、茶化すように軽く揺さぶる。

「ぬーう、みーちゃんのはー?」「みー様、何をお望みですか?」「あーう、またおいしーものみーちゃんにみつぐのだー!」「承りました。お土産たんまり(みつ)がせてもらいます」

 今ならいいだろうか。悲願、などと大げさなものではないが、みーの頭を撫でるという願望を叶える絶好の機会である。僕は身を捩って、コウさんの肩越しに手を伸ばす。みーのほよほよした柔らかそうな髪に手を伸ばしてーー、

「あう」

 噛まれた。噛まれました。噛まれてしまいました。三度確認したので、間違いない。

 ちょっと舌足らずな可愛い声とは違って、実際には、がぶっ、とがっつり食い込んでいた。あまり目立っていなかったが、犬歯に位置する箇所にある、しっかりとした牙が手に突き立てられていた。それと、みーの炎眼にとろんとした愉悦(ゆえつ)めいたものが揺蕩っていた。

「……っ⁉」

 痛い⁉ 痛い! 痛いっ、痛いがっ、我慢の子である! 未だに、みーに壁を作られているらしい僕としては、これ以上厚みや高さを増して欲しくない。遠くない内に、壁を破らせてもらうつもりなので、無理やり引き剥がすようなことはしたくない。更に体を捩って、噛まれた手を見ると、みーの喉がこくこくと動いていた。え? あれ? もしかして、血を吸われちゃったりしてますか? 噛まれた手の痛みは、鈍痛へと至って、血が失われている感覚はない。どうしようか迷っていると、弾けるような眩い光筋が目を焼いた。

「ぽぎゃっ‼」

 鋭利な厚みのある光に取り巻かれたみーが、雷に打たれたように、などという比喩ではなく、コウさんが放った「雷撃」の魔法に打たれて、命の危険があるんじゃないかと思うくらい、びくんびくんっと体を跳ねさせた。

「みーちゃんっ! そんなばっちいの吸っちゃ駄目です!」

 みーを叱りつつ、コウさんは未だびくっびくっとしているみーをひしと抱き締めた。

 いや、コウさん、ばっちい、って、そんな。咄嗟(とっさ)に出た言葉なので、それは彼女の本心なのだろう。血を飲むのはいいことではないけど、僕は汚らわしい存在なのだろうか。あれ、何だろう、心が折れそうだ……。ああ、あと、目が焼けたかと思ったが。僕は反射的に目を閉じたが、「浸透」の効果だろう、コウさんを通して、或いは魔法を知覚して、鮮明に「電撃」を見ていた、というか、捉えていた。然ても然ても、見る、という行為に伴う、その周辺の感覚をあやふやにさせる。のだが、それも、世界の一幕。コウさんが馴染んできた、紛う方なき、うつし世。それらは、色々と心を乱れさせるものだが、今はコウさんに触れたことを、世界に近付けたことを、僥倖に感謝して、喜ぶに留めておこう。

「みゃーふ、こーおいうこおきうのらー、みーしゃんあんできうのらー」

 まだ体が痺れているようで、上手く口が回らないらしい。この程度で済んだみーが凄いのか、仔竜とはいえ、竜にここまで損傷を与えられたコウさんが凄いのか。まぁ、両方なのだろう。然て置きて僕の血は美味しかった(?)ようだが、これは朗報(ろうほう)なのだろうか。

 僕は、常備するようになった軟膏を手に塗った。痛みは然程ではないが、みーは遠慮呵責(かしゃく)なく噛んでくれたので、治るまでそれなりに掛かるかもしれない。これまでと、そしてこれからのことを惟て、僕にも効く治癒魔法の研究をコウさんにお願いしてみようかと、本気で考えてしまう。いや、コウさんのことだから、もう研究はしてくれている、かも?

 妙なことになったが、僕は体の位置を元に戻して、再びコウさんと背中を合わせる。

「それで、どうしますか? 何かお願いがあるなら、何でも言ってください」

「……いいの、わかったの。あとで後悔するといいの」

 どうやら動揺は収まっていないらしい。「あと」と「後悔」が重言(じゅうげん)になっている。疼痛が痛い、とか言って揶揄したい衝動に駆られるが、仲直りの機会を逸すると、口をしっかりと手で塞いで、想念というか邪念というか、余計なものが消えるまで只管我慢する。

「ーーーー」

 ふぅ、誓いの木は、現在ではなく未来に使われることに決まったようだ。

 これで、僕とコウさんの間の蟠りは解けただろうか。異性の扱い方や対応は、一応里で習ったが、どうも身になっている自覚はない。なので、今回は心の赴くままに行動してみたが、どうだろう。墓穴を掘ったような気がするが、きっと勘違いのはずである。

 沈黙に堪え兼ねたのか、()れたコウさんが尋ねてくる。

「何も聞かないのです?」「そうですね。今、気付きました。大きなことじゃなくて、小さなことを少しずつ、積み重ねていけたらいいな、と。これは、たぶん、僕の勘違いだと思います。今は言葉を交わすより、こうして背中を合わせているほうが、コウさんのことをたくさん知っていける、そんな気がするんです。ここで同じ夜空を見上げていることが、半分ずつ世界を眺めていることが、嬉しいと思える。ーー今日は、本当に、月が綺麗です」「……前からそうじゃないかと思ってたのです。リシェさんは、恥ずかしい人なのです」

 僕の頭に、こつりとコウさんの頭が当たった。彼女も夜空を見上げている。

 触れているところの、熱が心地良い。熱くて、痺れているような、不可思議な暖かさ。

「子供の体温は高いって聞きますが、本当だったんですね」

 優しい熱に絆されながら、思ったことが素直に口から流れ出た。こうして触れ合っていると、ここが世界の中心なのではないかと幻想を抱いてしまいそうになる。風に吹かれることが、こんなにも優しい。などと浸っていると、後ろから言葉の振りをした闇が漂ってきた。それはそれは、氷竜もかくやと思わせるくらい冷たくて、凍えてしまいそうだった。

「……『星降』『星降』『星降』……『星降』『星降』」「…………」

 背中を合わせていたので、コウさんの魔法を知覚できた。コウさんは、みーを連れて、「転移」の魔法でエンさんとクーさんの許に戻っていった。支えを失った僕は、後ろにぱたりと倒れる。空のお星様は、見上げるもので、体で受けるものではないと思います。

切なる願いが悠久なる天の星々に届くことはなくーー。

 あ、因みに、「星降」は僕の意識や感覚が追い付かなかったのか、精神が引っ掻かれるような衝撃を残しただけだった。どうも、星を降らすだけの、単純な魔法ではないらしい。

 今日は、星の光が、五回瞬いた。ああ、どうしたものか、コウさんは魔法人形に撤退を、いや、撤収のほうがいいだろうか、まぁ、どちらでもいいか、指示していかなかったようで、今も懸命に働いてくれている。然ても、コウさんやみー、エンさんやクーさん、皆も一緒に夜空を見上げているのだろうか。あれ、おかしいな、あんまり嬉しくなぁびっ……。

 ……ぐはっ。ごばっ。ぐげっ。……ぶげっ。べもっ。



「それでは、みー様、お願いします」「おーう、まかされたんだぞー!」

 ここは「竜の心臓」に位置する「翠緑宮(すいりょくきゅう)」の入り口である。巨大な二階建ての王宮の壁には、コウさんが造った綺麗で壊れ難い、吸い込まれそうになるくらい深く鮮やかな緑色の硝子(ガラス)が嵌め込まれている。と単純な表現になってしまったのは、その嵌め込まれた硝子の一枚一枚が、僕の身長よりも大きくて……、然ても、魔法使いの発明、と言って納得して貰えるだろうか。人の領分を守る、という指針というか警句が、僕の良心を蹴飛ばしてくる。また、然かと思えば、これだけではないのだから、人生諦めが肝心か(りゅうにはかなわない)。竜の国を代表する施設の一つであるので、大路の先からでも目に映じるよう小高い丘の上に配置してある。そんな世界の片隅というには豪奢(ごうしゃ)な場所で、みーが有りっ丈の竜声を張り上げた。

「わーうっ、りゅーのくに、できたーなのだー‼」「「「「「っ!」」」」」「「「「「‼」」」」」

 世界に轟いたみーの宣言に、僕とコウさん、エンさんとクーさん、それと「遠観」の老師と、近くに居た五体のミニレムが拍手喝采竜の息吹である。

「って、誰んいねぇーじゃん⁉ 竜の民ゃーどこいったぁー⁇」

 人っ子一人いない竜の都を見て、エンさんが本気で驚いていた。

 然てこそ空へ届けと発せられたみーの咆哮を聞いたのは五人だけである。ああ、あと今もせっせと働いてくれている、たくさんのミニレムたちも。

 人のいない真新しい都は、綺麗な分だけ寂しさが(つの)っていくようだ。

「今頃何を言ってるんですか。ファタさんへの要望に書いてあったでしょう。竜の国の完成を急いだのは、時勢を逃さない為。そうでなければ、もっとゆっくりじっくり国造りを楽しめたんですが。それと、人は居ませんがミニレムは三千体ほど活動してますよ」

 ミニレム以外の魔法人形は役目を終えて、世界に還っていった。彼らへの感謝は、教会の一群がある「竜の腰」の公園に、英雄の碑として遺してある。

「要望? あー、ありゃ見ただけで、読んじゃいねぇよ。はっはっはっ、こぞーんまだ俺って人間(やつ)がわかってねぇなぁ」

 単純なようで奥深さのあるエンさんの本性を知るのは、かなり難しいのではないかと、最近思うようになった。正反対、とまでは言わないが、僕が持っていないものをたくさん持っている彼は、僕にとって得難い人だ。そして、唯一無二とも言える珍重(ちんちょう)な女の子は。

「…………」「…………」

 外回りを何度も繰り返して、()らずとも和解というか妥結(だけつ)というか歩み寄りというか、()こそ言え、まぁ、その、何ですか、あれからコウさんとは、ぎくしゃくしたままである、というか侭成らぬ。って、いやいや、ちょっと待て、立ち返れ、僕。頭が煮詰まっている。早急に、炎竜ならぬ氷竜が、いやさ、もう両竜一緒のほうが……。ーーふぅ、僕が悪いのだが、何故こんなことになってしまったのだろう。(つくづく)と女の子の心の複雑さや、付き合いの難しさを思い知らされるが、就中(なかんずく)コウさんは、カレン並みに厄介な気がする。

「先ずは、竜の国のことを周辺国に親書で知らせます」

 そう、先ずは一歩目。大事な最初の一歩である。そして、僕は一歩目から躓いた。

「そりゃ、時間掛かんなぁ。どーせやんなら、もっとぐばーんっていかねぇか?」「えっと、ぐばーん、というと、具体的には?」「はっはっはっ、そりゃ決まってんだろ。ちみっ子ん乗って、俺らでぐどーんって挨拶回りってこった」「…………」

 はい? いや、そんなこと言われましても……。だが、思考停止していたのは僕だけで、皆の間でどんどん話が進んで、とんとん拍子に決まってゆく。

「みーに全員乗るとなると、今のままではいけない。コウ、どうにかなる?」「それは問題ないと思うの。でも、それだと、色々対策を考えないといけないの」「そちらは、あたしとコウで詰める。エンには、みーの役作りを」「おっし、任されっ! ちみっ子ん今日ぁ特訓だぁ!」「ひゃーう! みーちゃんみーちゃんじゃなくなるのだー⁉」

 気付けば、竜が居なくなった巣穴状態。慌ててコウさんに尋ねる。

「対策って、どんなものなんですか?」「大きなみーちゃんが突然現れたら、皆吃驚するのです。心臓止まるかもなのです。なので、それを緩和する処置や、転んだり余所見して怪我をしたりしないようにしておくのです。あと、大きくなったみーちゃんは、竜の力を制御できないと思うので、皆に悪い影響が出ないように波状結界を工夫しておかないとなのです」「悪い影響って、どんなものなんですか?」

 聞いてばかりだが、仕方がない。というか、大きなみーちゃん、とか、大きくなったみーちゃん、とか、それらの不穏な言葉はいったい何なのでしょうか? あー、ん~、まさかみーが巨大化すると? いやいや、エンさんやクーさんの言い様から、「人化」を解いた竜の姿のみーを、仔竜を成竜にする、と。そこら辺のことを誰も気にしていないということは、既定事項で僕だけ仲間外れ……? あいや、待たれたし、こんなことで挫けている場合ではない。魔力や魔法については聞かないとわからないので、疑問はすぐに質しておかないといけない。と僕の内で一応の決着を見ると、今度はクーさんが答えてくれる。

「魔力酔いに近い症状。竜の魔力は人には過ぎたもので、死に至る場合もある。今回のような異例な状況でもなければ、気にする必要はない。竜に干渉できる者がコウ以外にいるとは思えない」「ーーということは、コウさん以外に居るとしたら、もう一人のコウさん、ということですね。実は、コウさんは双子だったと。なればいずれもう一人のコウさんが現れるかもしれませんね」「っ⁉ コウが二人……だと」

 (よだれ)を垂らさんばかりの勢いで食い付くクーさん。僕は、更に味付けをする。

「クーさん一人に、両手にコウさん。おんぶに抱っこなコウさん。でも、一人しか選べないとしたら。さぁ、クーさん、どちらのコウさんをご所望ですか?」

「馬鹿な⁉ どちらかを選ぶなど、そのようなこと出来得るはずがない‼」

 クーさんは頭を抱えて苦悩していた。興に乗ってふざけてみたが、コウさんの癇癪(かんしゃく)、ではなく、コウさんとの確執(かくしつ)のあと、しばらくクーさんの痴態、もとい弾けた(ほがらかな)姿を見ていなかったので、ちょっと安心。エンさんのほうは変わらず、いつも通りなのだが。

「こりゃやべーかもなぁ。こぞーん奴、ちび助だけじゃなぁて俺や相棒まで手玉ん取り始めやがったぞ」「エン兄、遅いの。今頃、リシェさんの本性に気付いても、手遅れなの」

 しみじみと兄を諭すコウさん。微妙に酷いことを言われているような気がするのだが、心外である。僕は、本来、心根の優しい人間です。……ですよね?

「おっきーちみっ子ぁ、見た奴から勘違ぇされそーだなぁ。そーなっと、嘘ってことになっちまう。そこらん、どーにかならんかなぁ」「それでは、『ミースガルタンシェアリ』は個竜の名というだけでなく、役職ってことにしたらどうですか?」

 世界に与える衝撃が大きい故、ミースガルタンシェアリは存命である、ということにしてある。彼の竜が身罷れたことを知らせない。聞かれなければ、話さない。言わないだけで、嘘を吐いているわけではない、という立場を取っているのだが、どうやらもう一つ塗り重ねる必要があるようだ。一応は、嘘を吐いていない、ということになる……のかな?

「なるほど。それなら、みーが『ミースガルタンシェアリ』を名乗ることが出来る。さすが、悪知恵を働かせたらリシェの右に出る者はいない」「…………」「悪知恵は、リシェに止めを刺す」「……えっと、クーさん、お願いします、哀しくなってくるので、繰り返さないでください」「ーーときに事実は、人を傷付けるものなのです」「なのだー!」

 先程の仕返しだろうか、正気に戻ったクーさんが頻りに頷いてみせる。いや、クーさん、それ、まったく褒めていませんから。しみじみと感心するのは止めてください。

 それと、コウさんとみー。何やら色々と事実確認をしたいところだが、まぁ、コウさんの言葉尻の、みーの同意が可愛かったので、今回は不問に付してあげます。

「こぞーは、おっちゃんとこ行くんだったか?」「はい。オルエルさんに、エルネアの剣に協力を要請しに行くつもりです」「んじゃー、そこで合流ーってことんなっかぁ」「みー様に乗って遣って来るんですよね。楽しみというか、ちょっと怖いというか」

 みーを見ると、これから何をするのかまったくわかっていないような、無邪気な笑顔でコウさんと戯れている。竜の国には竜がいる。それが当たり前だとしても、竜の民が受け入れてくれるかどうか、不安は常に僕の中にあった。人は弱い生き物で、竜は強い生き物。人の歴史を振り返るまでもなく、人の振る舞いがどのようなものであったか言を俟たない。最善を尽くす覚悟はあるが、天秤は容易く傾くのだと、忘れてはならない。

「さて。大凡決まったということで、あたしから幾つか注意事項。先ず、コウ」

 手を叩いて皆の耳目を集めると、クーさんはぴしっとコウさんに指を突き付けた。

「コウは魔法を使うとき、魔法を使ったという演技をすること。それとわからず魔法を使われると、大抵の人間は恐怖を抱く。面倒でも、周囲に魔法を使ったことがわかるように、幾つか手順を考えておくこと」

 コウさんの返事を待たず、指先の狙いが僕に移る。注意事項という名の命令が下る。

「リシェは魔力がないことを人に言わないこと。どうも自覚がないようだが、リシェの能力は、希少で危険。他人に知られると厄介なことになるかもしれない。あたしたち以外に既知(きち)であるのは?」「えっと、はっきりとわかるのは、兄さんと〝サイカ〟の里長。あとはエルネアの剣のオルエルさんが知っているかもしれません。父さんやカレン、友人たちは知らないはずです」「そうか。これからは、リシェの能力は特殊な魔法ということにする。『結界』の変種、とでもしておくか。あと、危険の度合いについてはーー」

 クーさんが促すと、コウさんは口惜(くちお)しそうに僕を睨め付けた。いや、それ、明らかに八つ当たりのような気がするのですが。魔力がないのは、僕の所為ではないはずなので、魅力的な翠緑の瞳で射竦めようとするのは、止めないで……、もとい止めてください。

「わからないのです。わけわからんちんなのです。魔力を失い続けることの、核心に迫ろうとすると、嫌がらせのように振り回してくるのです。魔力で調べないといけないのに、魔力を打ち消してくるのです。まるでリシェさんの性格そのままなのです」

「子憎たらしいことを言う口は、この口ですか? いけない口は閉じてしまいましょう」

 コウさんの唇を親指と人差し指で、むにっ、と摘んで、口を開けられなくする。驚いたのか、何か文句でも言おうとしたのか、彼女の口の端っこから、くぐもった声が漏れ出る。間抜けな音だが、女の子のそんな様子を、少しだけ可愛いと思ってしまう僕は、どこかおかしくなっているのだろうか。これは困った、止められない、自然と笑みが零れてしまう。

「……ぶぅ」

 ぼひゅ。

 通常より少な目ではあるが魔力が放出される。これまでと違い、放出された魔力は消えることなく空へと昇って、爆発音が響く。そして、弾けて散った金色の粒子が雪のように地上へと舞い落ちる。誓いの木と引き換えに受け入れてくれた魔力の降雪。やはり、これまで見てきた魔力の中でも、コウさんの魔力の純粋さと美しさは群を抜いている。

「ふぉーっ! 放すのです!」「がーう、みーちゃんたべるかー! やいちゃうかー‼」

 怒っているコウさんと、彼女に同調して口から炎が漏れているみーには悪いが、仔猫や仔犬が必死で敵を威嚇(いかく)しているような、いじらしい姿に和んでしまう。彼女が僕から離れたので、唇から指が放れてしまう。コウさんに触れていないので、美しい金雪の光景は風に攫われてしまい、世界が色彩を失う。然あればあからさまに落胆してみせる。

 ーーここのところ、コウさんに気安く接するようにしていた。彼女の機嫌が直らない内は、「やわらかいところ」対策であるところの、魔力放出に都合がいいのだが、長い目で見ると、いずれ軌道修正したほうがいいのは明らか。って、「ところ」という言葉を三回も使ってしまった。異性に触れることに慣れていない僕の心の動揺が原因のような気がしないでもないが、然もありなんと頷けるほど達観していようはずもなく……。

 まぁ、冗談の風を装った軽薄な過剰接触は、避難的というか一時凌(いちじしの)ぎというか。嫌われるのはいい、と半ば諦めたが、憎まれるのは勘弁して欲しいので。

「よーもまー、ちび助んやらせっことできたなぁ」

「コウは恥ずかしがって嫌がるかと思っていたが、まったくどうやって仕込んだのやら」

 二人は淡雪を体で浴びながら、感心半分、呆れ半分といった風情である。詳しい事情に言及すれば、またぞろコウさんの機嫌を損ねてしまうので、苦笑で誤魔化す。

「僕は『祝福の淡雪』と呼んでいます。滅多に得られない祝福として、竜の国の『七祝福』の一つになればいいなと」「七祝福って、七つもあるんか?」「七つなくてもいいです。七祝福の一つは、みー様ですし。あとは、勝手に誰かが作ってくれると思います。ーーあれ、みー様、今日はリボンを反対の角に結わえているんですね」「まーう? このひも、こーかくーがつけてくれるのだー。てくびにまいてもいーかんじらしーぞー」

 まだまだ自分から着飾るというところまではいっていないようである。って、そういえば、みーはまだ三歳だった。竜の好みが人間相応なのかはわからないが、この周期で服や装飾品に目敏(めざと)くなるというのも変な話だ。そういう意味では、コウさんも洒落(しゃれ)()のない服装で、僕の贈り物である幸運の(エル)も所在なさげである、などということはないが。これは、子供を着飾らせたいという親の心境みたいなものなのだろうか。何を着ても似合いそうな、クーさんのように垢抜(あかぬ)けなくてもいいし、みーの服ほど爽やかでなくてもいいので、こう、もうちょっと、コウさんの魅力が引き立つような、ややもすると、その野暮ったさから魔法使いにさえ見えなくなってしまうので、ーーふぅ、僕も人の事を言えた義理ではないので、ここら辺にしておこう。因みに、僕が野暮ったいのは、お金がないからーーのはずである。服装の見立てや着こなしなどは兄さんに習ったので、あと当然里でも仕込まれたし、たぶん、きっと、お金と条件が揃いさえすれば、やれば出来る子ーーのはず。

「ちび助ぁ王さん。てぇと、俺ぁ竜騎士団の団長でもやっかなぁ」

 エンさんは、コウさんを眺め遣ると、軽く首を傾げながら竜の国での役職を気軽に決めてしまうが。これはクーさんとの競合(きょうごう)にならないかと、恐々と彼女に視線を向けて、

「あたしは、宰相(さいしょう)が良い。言葉の響きが好ましい。ふふっ、自分が名乗ることになるとは思っていなかったが、宰相か、宰相、悪くない」

 杞憂だったことに安堵する。エンさんに先手を打たれて気分を害するどころか、クーさんは上機嫌。言葉の響きで役職を決めるとは、感情が豊かで多芸で、それ故に多情多感でもありそうな彼女らしい、のかな。地位や権力に拘泥(こうでい)する人たちでないことはわかっているが、そういうところを気遣ってしまうのは人の(さが)だろうか。

「こぞーは、侍従長(じじゅうちょう)とかんすっか」「リシェは、侍従長にでもするか」

 ……ということになりました。相変わらず、二人は息ぴったりである。

 コウさんが、むっとして僕を睨む。はぁ、僕の所為じゃないのに。いや、否定というか拒否しなかったのが、お気に召さなかったのかもしれない。彼女の世話を焼くのが仕事、とか思われたのだろうか、魔法使いの、女の子の心は複雑なようでもあり単純なようでもあり、未だに僕を翻弄する。いっその事、お菓子なみー、のようにわかり易い面があってくれればと思うが、いや、魔法なコウさん、を活かし切れていない僕に落ち度があるような。あ~、さて、反省はこれくらいにして、現実と向き合おう。侍従長という役職は、魔力の放出係、として都合が良く、あと、雑用係も兼務(けんむ)していると思われる。

「みーは、隠れ役職が『ミースガルタンシェアリ』で、表の役職は、竜の狩場の借用を認めてもらう為の、盟約の証しとして使わされた大使、というところ。あとは、竜の国の守護竜、フィア王の友竜、クーの愛竜」「ふーう、たいしはたいしたやつなのだー?」

 クーさん、どさくさに紛れて最後に変なものを付け足さないでください。それと、みー。それは意図した発言なのだろうか。ただの偶然なのか、まさかコウさんの教育の賜物ということも? だとしたら、それとなく吹き出した演技をしたほうがいいのだろうか。

「あとは、『竜の休憩所』の管理竜というのもありますね」

 念入りに見澄まして、みーの真意が那辺にあるのか慎重に吟味(ぎんみ)した結果、……いやまあ、単に皆の雰囲気に合わせて迎合(げいごう)しただけなのだが、危機(?)は乗り切った。

 以前、竜に感謝する施設があったほうがいい、と話に上ったが。その役割から、教会群から少し離れた位置にーーみーが気に入った場所に建設することと相成った。まぁ、問題は、いや、問題など何もないのだが、面倒はあったかもしれない。完成後の多数決で、僕の提案した名称、竜の休憩所、が採用されたわけなのだが。クーさんが()した、或いは執着した「愛の巣」は却下である。アイノス、という言葉の響きが麗しい、と彼女は力説したが、その心情に同感する者はなく、竜心要のみーにまでそっぽを向かれてしまったとあっては、泣く泣く諦めるほかない。いったい何がクーさんをここまで駆り立てるのか、変に欲望を混ぜなければ、かなり有益な人なのでもったいないにもほどがある。

「あとは、これだね」

 クーさんが指を鳴らすと、箱を抱えた三体のミニレムが幼子のように、とたとたと歩いてくる。相変わらず、愛嬌のある歩き方で、微笑ましい気分にさせてくれる。これからはこのミニレムが、お手伝い魔法人形として活躍してくれる。ただ、実際にどこまでの働きをしてくれるのか、コウさんが教えてくれないのでまだよくわかっていない。

「持ってきてくれたんだね。ありがとう」

 額に、一九三と数字を刻んだミニレムが僕に箱を差し出してきたので、受け取ってお礼を言う。あと、労いに肩をぽんぽんと叩くと、ミニレムはわっしゃわっしゃと手を広げる。それから顔を手で隠して左右に体を振ると、とたたーと走って行ってしまった。……これは多分、褒めてもらったのが嬉しかった、ということなのだろう。最初に(まみ)えたときよりも感情の表現が豊かになっているような。言うなれば、人間臭くなった、というところか。

「箱は王宮で使うものだから、ミニレムに渡しておくこと」

 道理で、作りはしっかりとしたものだった。わざわざこの箱を使ったということは、ミニレムの性能試験を兼ねているのかもしれない。長距離移動や、貴重品を扱えるかどうか、などだろうか。重要な調度品でも入っていそうな箱を開けると、礼装一式が入っていた。

「あたしとエンは、元々持っていた礼服に、竜と炎の意匠を施すことで完成。あとは竜の国の王の服と、みーにはこれを」

 箱を開けると、クーさんはみーの前に差し出した。みーは炎のように好奇心満杯(ほやほや)な顔で、さっそく取り出して矯めつ眇めつ、ぺたぺたと手や腕、頬まで使って感触を確かめていた。

「みゃーう、しっとりとりとりふやふやーんなのだー」

 気に入ったようで、ぼふっぼふっと顔を何度も(うず)めている。みーの顔の幅くらいある、淵に金色の細工が施された炎色の長い布。クーさんは、その長布の真ん中辺りをみー首にくるくるっと二周巻いて、残りをお腹辺りまで垂らした。

「公式の場では、これを首に巻いて、前か後ろに垂らす」「おー、ちみっ子、なんかかっちょくなったなぁ」「おーう、みーちゃんいーかんじー?」

 教会の司教が権威を示す為に着用していそうな装飾だが、みーが着ると可愛さ倍増、は言い過ぎか。周囲に影響を与えないように炎の属性を解放できるようになれば、みーの肢体の、炎色の文様と相俟って、神秘性を醸せるかもしれない。

 見せびらかすように跳ね回るみーを見ながら、僕も取り出した服に着替える。これまで着たことのない上等な素材の感触に、擽ったいような、気恥ずかしいような感情が芽生える。僕では、この礼服には役不足だろうが、長い目で見てくれるとありがたい。服に触れながら、そんなことを思っていると、二人と一竜の視線が集まっていることに気付く。

「……悪くねぇ、駄目じゃねぇのん、なんだこの、しこたま溢れてくん、これじゃない感は?」「おかしい。心象の通り、想定通りなのに、……貧相(ひんそう)なリシェにも似合うよう苦心したはず。ーー仕方がない、リシェ、ちょっとばかり顔と体を取り替えてきてくれないか」

 ちょっとクーさん、僕の存在を丸ごと否定しないでください。顔と体って、合格したのは髪の毛だけですか? 僕の本体は髪の毛ですか? あ~、そんな頑是無い反発は止めるとして。今更取り替えるとか出来ませんから。十六周期使ってきたので、愛着はあります。

「むーう、ふくがふくふくしてないかんじー?」

 みーは、僕を見上げて感想を述べる。ふくがふくふくって、何か縁起がよさそうだが、意味がわからない。と思っていたのはどうやら僕だけで。

「おー、ちみっ子、そんとーりだ。的確ん意見ってやつだな」「なるほど、リシェの無神経で不躾な要素を考慮しなかったのが敗因というわけか」「…………」

 エンさんとクーさんは、深く感じ入っていた。さすがに否定だらけなので反論しようかと思ったが、「転移」でやや離れた場所に現れたコウさんを見て、言葉を失ってしまった。

「……あの、着てきたの」

 縮こまるようにして、コウさんがちょこなんと立っていた。

「ふゃ……」

 コウさんは全員に一斉に見られて、後退りしそうになるが、どれほどの勇気を振り絞っているのか、「転移」や「隠蔽」などの魔法を行使することなく、顔を俯けて堪えていた。

 暗色であることに変わりはないが、これまでのような黒や茶色を主としたものではなく、紫や赤といった高貴さを表すような配色になっていた。あっ、と気付く。そして、嬉しくなる。新しい三角帽子に、僕があげた幸運の鳥の細工物が取り付けられていた。

 繊細というか華奢(きゃしゃ)というか、見た目が可愛いらしいだけに、王としての威厳を醸すことは難しいかもしれないが、実によくコウさんに似合っていた。さすがクーさんが、煮詰まってどろどろになるくらい愛を注ぎ込んだ一品である。だが、どうしたことだろう、当のコウさんは、その場に立ち尽くしてもじもじしていた。

「おーし、ちみっ子ー、手伝えー。ばさぁー」「さーう、おひろめーなのだー。ぱひぁー」

 コウさんに駆け寄った二人は、羞恥と動揺抜けやらぬ彼女の前で交差して、(くるり)、と回転しながら、息ぴったりの二人の効果音に合わせて、彼女の外套を捲り上げた。

「ふぃっ⁉ ……ぅっ」

 コウさんは、わたわたして外套で隠そうとするが、すでに遅し。然てしも今の二人の的確な動きは、偶然の産物なのか、はたまた鍛錬の成果なのか。みーと仲が好くて、妬けてしまいそうになる。僕の嫉妬をまったく意に介していないエンさんは、逃げようとしたコウさんの首根っこをがっちりと掴まえた。そして、そのままコウさんを持ち上げると、小動物よろしくぷらんぷらんさせながら、観念した彼女を僕たちの許まで連れてくる。

「短かったですね。あまりあけっぴろげに趣味を持ち込むのもどうかと思いますが」

 一応、或いは建前として、コウさんを援護してみる。外套の下の、服の意匠は凝っていた。落ち着いた雰囲気で、コウさんの控えめな性格にも合っているだろう。まぁ、問題は何かというと、あれである。あれ、というのは、クーさんの邪念(あれ)、というか、もはや理念(アレ)。クーさんの、あれレン(よくぼう)が結実して現出したものが、僕の想像を超えないかと言えば然に非ず。ああ、いや、それなりに心臓の鼓動が煩いので、大袈裟な言い方をしてしまったが、そこまでのことが起こっているわけではない。ただ、ちょっと意表を()かれたというか竜に(つつ)かれたというか、前に親心で着飾らせたいとの願望が実現したというか、ああ、いや、それは竜にも角にも、何が問題かとーー、ふぅ、落ち着け、僕、要は、現実を見据えればいいというだけだ。そう、みーなんか全開だ、丸見えだ。それに比べれば、比べれば……。

 自然とコウさんに視線が向いてしまう。時機良く(?)、仲良し竜焔(コンビ)の二人が、ばさぁ。

「っ!」「ぶごっ⁉」「ぱひゃー?」

 二度目の蛮行(ばんこう)に、さすがに怒ったコウさん。風の魔法だろうか、小高い丘の上にある翠緑宮から坂を転がり落ちていく悪戯竜焔(いかしたやつら)。みーの外套に施されたコウさんの魔法の効果なのだろうか、包まって若草色の塊になったみーに損傷はないようである。

 さて、再びの開帳(かいちょう)、もといお目見え、って、どっちも適切でないような、いや、もう、何のことかというと。コウさんの王様の衣装の、スカートの丈が短くて、細くて柔らかそうな素足が、膝上まで見えてしまっていることだ。コウさんは、いそいそと外套で体を覆って、恥ずかしいのか、更に体を隠すように、ぎゅっ、と自らの体を抱くように縮こまる。

 これ以上凝視するのは不味いと、顔を逸らすが、向いた方向が最悪だった。クーさんが、にやにやしながら僕を見ていた。まるで僕の心の深奥まで覗き込んで、嫌いじゃないくせに(訳、ランル・リシェ)、とでも言わんばかりに。いや、僕も思春期とかの最中にある男の子なので、そういう方面に関する審美眼的(しんびがんてき)な要素がなきにしもあらずとはいえないまでもうんぬんうんぬん……。はぁ、自分で自分を誤魔化すというのは、案外難しいものである。と結論付けて、強制的に誤魔化し完竜。

「ほーれ、ちみっ子ん見ろー。見え捲りだぞー、それん比べりゃ増しだー」

 いつの間に戻って来たのやら、怪我を治癒魔法で治したらしいエンさんは、みーを後ろから持ち上げて、左右に振ってぷらんぷらんさせた。服の若草色より肌色が眩しいみーの健康的な肢体が露わになる。

「みゃーう、もっとふれー、もっとまわせーなのだー」

 みーの要望に応えて、エンさんは小石や木の棒でも扱うように、軽々とみーを振ったり投げたり回したり。みーは楽しそうにしているが、見ているこちらは冷や冷やものである。

「似合っているのですから、恥ずかしがらずに堂々としていたほうが、映えると思いますよ。ーー公式のものだけあって、杖は持っているんですね」「……リシェさんは、こういう服が好みなのです? 破廉恥(はれんち)なのです。(けだもの)なのです。竜に喰われろ、なのです」

 微妙に会話が噛み合っていない。杖は、いかにも魔法使いが持っていそうな木製のものだが、コウさんが使うものである、きっととんでもない性能を秘めているに相違ない。

 外套でしっかりと体を隠して、そっぽを向いている。恥ずかしさに耐えられないのか、左右にちょこちょこ揺れている。これ以上旋毛(つむじ)を曲げてしまわない内に、尋ねておこう。

「頼んでおいた『遠観』の進捗具合はどうですか?」

「……事前に対象を補足しておけば、問題ないのです」

 コウさんが手を振ると、空中に数え切れないくらいの「遠観」の、魔法で作られた四角い枠ーー言い難いので「窓」と呼んでしまおうーー「窓」が現れた。一つ一つが異なる場所を、竜の国の至るところを映している。翠緑に輝く王宮、南の竜道の入り口、人造湖の運搬装置である湖竜、各竜地に竜区まで。ーーこれが竜の国の完成した姿。ゆくりなく実感が湧いてきて、今更ながら、胸に込み上げてくるものがあった。

「コウさん、ありがとうございます」

 僕の中にあった、透明で侵し難いところから、風の優しさで転び出る。これは感謝なのだろうか、それとも共感なのだろうか、零れた言葉の行方を追い掛けたくなる。

 国造りの最中にはわからなかった、一つのものを作り上げる喜び。何より、皆で形作ったことが嬉しくて堪らない。

 心に灯った、この優しい熱を、忘れてはならない。

「そ、そんな顔を向けるの、反則なの……」

 僕の声に振り返ったコウさんは、三角帽子で顔を隠して、再びあらぬ方向に体を向けてしまう。そして、はしゃぐみーに心付いて、小走りで炎竜の許に駆けてゆく。

 これは、失敗した。あまり評判のよろしくない、無防備な表情を見せてしまった。これ以上嫌われるのは勘弁して欲しいのだが、上手くいかないものだ。

 さて、少し早いが出発しよう。もっと皆と喜びを分かち合いたいが、これからが本当の始まりである。エルネアの剣を訪ねる前に、調整しておかなければならないことが幾つかある。ーー僕はもう一度、まだ消えていない「窓」を見回して、思いを新たにした。



 エルネアの剣の本拠地である、小ぢんまりとした建物を見上げる。まだここを出てから然程時間が経っていないというのに、ずいぶん昔のように感じてしまう。それだけ濃密な時間だったということだろう。感慨に(ふけ)っていると、待ち合わせの相手が遣って来た。

「あれ? ザーツネルさん。団長はどうしたんですか?」「団長は、リシェ殿が怖いらしくてな、代わりに俺が来た。俺にとって、リシェ殿は命の恩人だからな」

 二十半ばの好青年は、屈託のない笑顔を浮かべている。気さくに話し掛けてくれるのは嬉しいのだが、周期が上の、それも大人から「殿」などと付けられるとこそばゆくなる。

 命の恩人、というのは、遺跡で溺れそうになったところを裏返して助けたときのことを言っているのだろう。あれから彼らは、コウさんの魔法で丸一日動くことが出来なかったらしい。僕への感謝と裏腹に、彼らが必要以上に魔法使いを、王様を怖がるようなことがなければいいのだけど。

「殿、は恥ずかしいので勘弁してください。リシェ、と呼び捨てでいいですよ」「そういうことなら、リシェ様、と呼んでもいいぞ。これから色んな呼び方をされるだろうから、今の内から慣れておくことだな、リシェ様? 服は……似合ってるぞ、リシェ様?」

 冗談めかして、子供っぽく笑う。初めて会った時は、副団長としての厳しさや、諦観や苦悩といった苦いものが目に付いたが、今は毒が抜けたようにさっぱりとしている。

 僕は、竜の国が完成するまで秘密にしておいたことや、施設や役職など必要なことを伝える。「ミースガルタンシェアリ」など、重要機密はまだ言えないのだけど。あと、服のことはちゃんと自覚があるので、おべんちゃらを言わなくても大丈夫です。

「これまでありがとうございます。竜の国が完成したので、僕たちが挨拶回りに出発したあと、竜の狩場に向かってください。以前お話しした通り、竜騎士団の隊の一つとして着任をお願いします。ーーとはいえ、騎士と言っても、仕事は案内や護衛、巡回や警備になりますけど」「ははっ。人生、わからんものだな。こんなこと、夢にも思っていなかった。竜の国か、楽しみだな。先ずは、竜の都の案内が出来るように地理に明るくなればいいんだろう?」「目隠ししても歩けるように、なんてことは言いませんが、竜の国を護る剣として、振り下ろす先を過たないくらいには、お願いします。コウさんーー、フィア様の力は絶大ですが、すべてに行き渡るわけではありません。また、それをさせない為の竜の国であり、竜の民です」「竜の国であり、竜の民、ーーそして竜の国の侍従長であるのかな? リシェ殿は、ずいぶんフィア様にぞっこんなようだ」「いい意味ではそうですね。深入りしたことを後悔したことはありません。と格好良いことが言えたらいいんですけど。あとは、みー様ともうちょっと仲良くなれたらいいな、と切実に思っています」

 建物の前で会話を交わしていたが、誰の出入りもなかった。見回すと、商店はもう店を開けている。空に雲は多いが、見上げることを考慮したなら、良好な天気(りゅうびより)、と言っていいだろう。誰か居たら取り次いでもらおうかと思っていたのだが、仕方がない。

「それでは、行きましょうか」

 ザーツネルさんを伴って建物の中に入るが、受付と通路、近くの部屋にも、視認(しにん)できる範囲には誰も居なかった。団員の姿がないということは、依頼か何かで大半は出払っているのだろうか。事務室に行くと、目的の、交渉の相手であるオルエルさんがいた。今日は、すべての席が埋まっている。忙しそうに、五人の男たちがせっせと手を動かしていた。

 僕が部屋に入っても気付かれなかったが、ザーツネルさんが入ると皆が手を止めた。これは、僕の特性というだけでなく、元々の存在感の違いなのだろうか。竜の国仕様の、服の効果さえ打ち消しているとするならーー。ん~、若しや僕の特性が強化されているなんてことが……、いやいや、考察は後である。竜の国完成後の、初仕事からしくじるわけにはいかない。奇異なる視線にも揺るがず、ザールネルさんを従えて真っ直ぐに歩いてゆく。

 ここからの僕は、竜の国の侍従長である。

「お久し振りです、オルエルさん。お変わりありませんか?」

 僕の姿を見て、口篭(くちご)もるオルエルさん。クーさん手製の竜をあしらった侍従長の制服は、僕のなけなしの威厳を引き上げる……いや、自分で言っていて情けない上に恥ずかしくなってくるのだが、まぁ、そういった相手に与える影響やら何やらは、しっかりと発揮されているようである。怪訝そうに、僕をじっくりと観察したあと、オルエルさんは口を開く。

「氷焔の噂は耳にしているが、エルネアの剣に戻ってきてくれたーーわけではないか。後ろの彼は、三周期くらい前か、一度だけ会ったことがある。(たし)か黄金の秤の副団長、だったか。それにその服となると。厄介ごとでも持ってきてくれたのかな?」

 険しい目付きである。有能な彼も、今の団の状況では余裕を醸すことが出来ないらしい。氷焔の噂、と彼は言ったが、ザーツネルさんに向けた眼差しに、特段の変化はなかった。どうやら、ファタさんはちゃんと仕事をしてくれたらしい。この分では、遺跡の一件にディスニアが係わっていることも知らないのだろう。

「ディスニアを追い出したあとの、エルネアの剣の苦境は組合を通して存じております。運悪く連続して依頼を達成できず、他の団と小さいとはいえ、(いさか)いを起こしてしまった」

 オルエルさんの渋面に、苦味が混じる。そして、僕の後ろで身動ぐ気配がした。古傷、いやさ、瘡蓋(かさぶた)になった、未だ癒えない傷が痛んだのだろう。

 黄金の秤の窮地は、他の団との軋轢(あつれき)から齎された。小さないざこざではなく、大きな騒動を起こしてしまったことを思い出して、居心地が悪いのかもしれない。

 新興の団であった黄金の秤は、活動していた地域の古株(ふるかぶ)の団に目を付けられて、敵対関係になる。先に手を出したのは、相手のほうだった。団長や副団長を始め、周期が若い者が多かった黄金の秤は遣り過ぎてしまった。実力主義で集められた団員は、若さと義憤に()かせて、敵対する団を壊滅させてしまう。その行いにより、組合に所属できなくなった彼らは、自分たちで仕事を得られるよう名声を上げる為、ディスニアの姦計(かんけい)に乗ってしまうことになる。遺跡での一件のあと、ファタさんに要望したものの一つが、黄金の秤との接触である。そうして、途方に暮れる彼らを、僕が雇うことになる。正確には竜の国が、ということになるのだが、その頃はまだ狩場やみーのことを明かすことは出来なかった。

「今日は、依頼に来ました。エルネアの剣を持ち直せるくらいの報酬は約束できます」

「君を信頼してはいるが、聞かせてもらいたい。エルネアの(わたしたち)に何をさせたいんだ?」

 オルエルさんの予想以上の警戒に、詳しい説明を省くことにした。動揺しているのなら、もっと情報を与えて混乱させることで、真意を引き出せるところまでいければいいのだが。

「荷運びや護衛などです。それとは別に、オルエルさんに要請したいことがあります」

 無言で聞き入るだけになった六人の男たちの前で、エルネアの剣を訪れた要諦(ようてい)を告げる。

「竜の国の竜官(りゅうかん)になって頂きたい。ああ、竜官というのは、他の国での大臣に相当する役職です。竜官として、通商や物流を担当してくださることを期待しています」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、竜の国とは何だ? いったい何の話をしているんだ⁉」

 苛立ちより驚きのほうが勝ったらしい、オルエルさんは身を乗り出して質してくる。それに答えようとしたところで、ザーツネルさんが僕の肩に触れる。横目で確認すると、彼は後ろを指差していた。舞台が調(ととの)ったことを知って、小さく頷く。 

「すでに噂は耳にしていると思いますが。氷焔は襲撃を受け、『火焔』と『薄氷』が手傷を負いますが、魔法使いが本来の力を発揮して、事態を収めました」

 この場に居るすべての者が聞き逃すことのないよう、大きな声で続ける。

「強過ぎる力は、忌避(きひ)の対象になります。危険視され、排斥(はいせき)され、目の(かたき)にされるかもしれない。そうならない為にはどうすればいいのか。その一つの処方が、為政者に、王となること。個人ではなく、国が相手となる。危険とわかっていても容易には手が出せない。況してその王が危険どころか、優し過ぎる王だとしたならどうでしょう。民が護る王に、民が望む王に、剣も魔法も言葉も、王を傷付ける何物も、届くことはない」

 理解が行き届くだけの時間を置いてから、結論を差し出した。

「僕らは『ミースガルタンシェアリ』と盟約を交わし、竜の狩場に国を造りました」

 ゆるりと両手を広げて穏やかに言い切ると、オルエルさんを始め、部下たちが息を呑んだ。そんな彼らの様子に、内心で少し笑ってしまった。僕も、彼らの(がわ)にいれば、似たような姿を晒していたのだろう。ほんの些細な選択の結果で、こうも立ち位置が変化するとは。だが、今は人生の(みょう)を味わっている場合ではない。

「……(にわか)には信じられないが、とりあえず君の依頼は受けよう。あと、申し出はありがたいが、竜官とやらは断らせてもらう」「って、あいやしばらくやらいでかー! 団長さんは、見たっ、聞いたっ、ちょっと待ったーー‼」「その話、詳しく聞こうかーー‼」

 部屋の扉から二人の男が叫びながら駆け込んでくる。また、()かと思えば、他の隠れていた団員たちが雪崩れ込んでくる。ザーツネルさんが知らせてくれた通り、盗み聞きしていたようだ。然あれど、後から後から入ってくる。これはもしかして、エルネアの剣の全員がいるのではないだろうか。竜にも角にも、人の流入が止まると、団長らが喚き立てる。

「くおらっ、オルエル! 大臣だぞっ、大臣! 断る奴があるか!」「俺たちのことなら気にすんな! どうにかなるって、がはははっ!」「そーゆーわけだっ! うはははっ!」

 オルエルさんと共にエルネアの剣を立ち上げた団長と第二隊隊長が捲くし立てる。

「言わせるな。大臣なんぞより、エルネアの剣の、副団長のほうが大事だ」

 有無を言わせない、静かだが重みのある言葉に、全員が押し黙るが、

「……あ、あ~、ん? あーう? あーっ! あぁーー⁉」

 痩身だが、隙のなさそうな強面(こわもて)の団長が奇声を発した。彼は何かを思い付いたようで、僕の前に遣って来ると、両肩をがっしりと掴んで、大声で詰め寄ってきた。

「竜の国ってのは出来たばっかりなんだよな⁉ ってことは騎士はいないんだろ⁇」

「えっと、今のところ竜騎士団は、団長のエンさんと黄金の秤隊の一隊があるだけですが」

 団長の突然の奇行(きこう)に気後れして、うっかり素で反応してしまった。

「そうかっ、まだ空きがあるんだろ! あるに決まってる! 決まり捲りだ‼」

「……竜騎士と言っても、騎乗する竜がいるわけではありませんし、領地も与えられません。それで良ければ、枠はーーあるかな? 『城街地(じょうがいち)』から採る予定があるけど」

 竜騎士団の団長はエンさんなので、彼に聞いてからでないと確約は出来ないのだが。あと、まだ秘密にしておかなければならない城街地のことを……。いや、これはもう言っても構わないか。などと僕が悩んでいるのを尻目に、団長の怪気炎(かいきえん)は続く。

「ふっふっふっ、よし、決定だ! 団長の俺が決めたっ、今決めた‼ てめぇらは、今日から竜騎士だっ、文句がある奴ぁ、叩っ斬ってやるから前に出やがれぶごぁっ⁈」

 机を飛び越えて肉薄するオルエルさんが、謎炎を上げる(みーもたべない)団長を問答無用で殴り付ける。素早く横に移動すると、団長は一瞬前まで僕が居た場所を通り越して、密集していた団員たちに激突。見ると、ザーツネルさんはしっかりと難を逃れていた。そして団長だが、ぴくりともしなかった。まぁ、彼も冒険者であるし、きっとたぶん、大丈夫だといいな。

「相変わらず、乗りだけで決めようとするんじゃない。リシェ君、馬鹿ん(だんちょう)はこう言っていたが、受け入れる用意は、本当にあるのかね」

 嘘や偽りを許さない、責任をその身に背負った者の威圧が放たれる。

「了解しました。身命を賭して、竜騎士に取り立てられるよう、僕が請け負います」

 これは覚悟を決めないといけないようだ。お腹に手を当て、軽く頭を下げる。

「そうか。では最後に、証しを示してくれ。竜の狩場に、竜の国があるという証しをーー」

 外が俄に騒がしくなって、オルエルさんが言葉を切る。彼が視線を向けると、釣られて皆の意識が窓の外に、聞こえてくる街の人々の言葉にざわつき始める。しだいに恐慌(きょうこう)を来した悲鳴や喚声(かんせい)罵声(ばせい)が外から届き始めて、室内に響き渡る。

 この時機で来てくれるとは、僕は運がいいのかもしれない。いや、もしかして、コウさん、覗き見していたとかありませんよね。どこかに小さな「遠観」の「窓」があるのではないかと探してしまいそうになるが、今は喫緊の問題からである。僕は、団員たちの不安や恐怖が(せき)を切らない内に、ゆっくりと、だが強い声で行動を促した。

「来たようです。皆さん、外に出て、その証しを確認してください」

 わずかな沈黙のあと、がやがやと祭りの最後のような囂然(ごうぜん)たる様でごった返して、扉に近い団員たちから駆け出してゆく。外からは、一つの単語が、この世界で神と並び称される存在が、幾度も繰り返し叫ばれているが、実際に自分の目で見ないと信じられないのだろう。わかっていても、頭が、心が受け付けず、想像力が追い付かない。現実のものとして認めながらも、永い断裂と幻想に取り巻かれた根深い部分が否定しようとする。

「では、僕たちも行きましょうか」

 大方の団員たちが姿を消したので、オルエルさんに声を掛ける。ほったらかしにされていた団長がちょうど意識を取り戻したので、ザーツネルさんを含めた四人で部屋を出る。

「あいたた……、だ~れも介抱(かいほう)してくれないとか、団長さん、いじけちゃうぞー。治癒魔法使えるからって、手加減しないのは、おーぼーだー」

 歩きながら治癒魔法を使っているらしい団長が愚痴(ぐち)っていた。外の喧騒はいや増しているが、彼に慌てた様子は見られない。奇矯(ききょう)な振る舞いが目に付いたが、そこはさすがに肝が据わっているというか、団を率いるだけの器があるということだろう。

「やっぱり、衰えているか。骨を砕けないとは、冒険者復帰は絶望的だな」

 自然と先頭を歩くことになった僕の後ろから、オルエルさんの落胆した声が聞こえてくる。彼が絶望的なら、僕は破滅的だろうか。侍従長を首になったら冒険者に復帰できるだろうかと考えて、暗澹(あんたん)たる気持ちになった。然あらば今は侍従長に邁進しよう。

「ーーくぅっ」「「「っ!」」」

 エルネアの剣の建物から出ると、熱を孕んだ塵風(じんぷう)が吹き抜けた。

 半瞬だけ揺れた炎と影に追い付かせようとするが、空へと放った視線は遥かに届かない。体の芯を穿つような風の(いなな)きが、憧憬(しょうけい)と畏怖に(おぼ)れる人々の只中に紛れて遠ざかってゆく。転びそうになった年嵩(としかさ)の女性が、軟風に抱き留められたかのように、ふわりと地面に降ろされる。どうやら、コウさんが言っていた、魔法による配慮、が機能しているようだ。

「竜だ! あっちにいるぞ⁉」「ねぇ! あれって、炎竜じゃないの‼」「ミースガルタンシェアリか⁉ でかいぞ‼」「今どこにいるんだ⁉ まだちゃんと見てないのにっ!」

 当然といえば当然だけど、凄い騒ぎである。こういうとき、危機感よりも好奇心のほうが勝つのか、多くの者が屋根に上って望んでいる。いや、人々は見失っているのだ、天秤に載せるべきものの重さを。天秤の片方に幻想を載せたとして、誰が正しく量れよう。

 みーを追い掛ける、屋根の上の彼らの、見開いたまま釘付けになる視線から、街をゆったりと周回していることが窺える。僕は居回りを確認してから、団員に声を掛ける。

「皆さん、僕の前方を空けてください。ーー来ますよ」

 人々の感情を焼き尽くし、焦がし、撒き散らして迫ってくる。団員たちが泡を食って、僕の後ろに下がる。ーー冷静であろうと心掛けていたが、どうやら無駄な足掻きのようだ。先程から煩い心臓の鼓動が、みーの登場を待ち侘びて、今にも壊れてしまいそうだ。

「「「「「ーーーー」」」」」

 一瞬の空白が、人々の言葉を奪い去った存在(もの)の到来を知らせてくれる。

 口から這い出た空気が熱い。炎熱で逆上(のぼ)せたのか、勝手に言葉を浮かび上がらせる。

 ーー理解できないものは存在しないも同じ。

 昔に聞いた言葉だが、頭の奥が痺れて誰の箴言だったか思い出せない。竜が居る、そこに在るのに、認識できない、いや、認識はしているのか、理解が追い付かないのか、心が追い付かないのか、圧倒的な、比ぶべくもない存在に、奪われてしまう。

 意識も感覚も抜け落ちて、ただただ見詰めてしまう。

 有り得ない大きさの生物が空に現れて、空を隠した影に埋もれる僕たちは、百の炎風を散々に掻き混ぜつつ顕現(けんげん)した炎竜を、見上げているだけだった。気付けば、いや、目覚めれば、のほうが正しいだろうか、みーは目の前に降り立っていた。

「「「「「…………」」」」」

 誰も声を発しない。いや、遠くの、みーを見ることが出来ない人々のざわめきは届いているが、それは現実感を削いでいくだけで、静寂よりも静かな圧迫感に苛まれる。

 竜の睥睨(へいげい)に、永いようで短い、幻想と(うつつ)の名残が絡まりあって。遥かな高みで仰いだ炎竜が、空の彼方まで奏でるように名乗りを上げる。

「われは『みーすがるたんしぇあり』である」

 重厚だが、甘い痛みを伴うような響きが、頭の天辺から足の爪先まで揺り動かす。

 魂を奪われる、そんな瞬間があるとするなら、今がそうではないのか。

 今更ながら、呼吸を止めていたことに気付いて、ゆっくりと空気を吸い込む。鈍っていた頭を覚醒させる。みーのことを知っている僕には、その声質が意外に子供っぽいものだと感受することが出来たが、竜の威容に晒されている人々には、そのような余裕はない。殆どの者が、ただ立ち尽くすのみである。伝説の竜である、もはや幻想の存在と言ってもいい、希代(きたい)の炎竜が現れたのだ。彼らの様は、しごく当然の反応だろう。

 見上げた先に、みーの頭の上に乗っているエンさんの姿があった。「人化」のときと同じく、反り返った二本の角の片方に寄り掛かっているようだ。コウさんの三角帽子の先っぽが少しだけ覗いたが、クーさんの姿はない。大きくなったみー、と気軽に話していたが、先達(せんだっ)ての僕を殴り付けてやりたい気分だ。種の違いをまざまざと見せ付ける体躯に、言葉を失ってしまう。あまりの途方のなさに、みーの面影を見出すのは困難を極める。

 然てしもみーが竜になっている姿を見るのは初めてだった。というか、どうもみーは、僕の前で竜に戻るのを嫌がっていた節がある。クーさんから聞いたところによると、通常のみーは、人一人乗るのがやっとの大きさの仔竜らしいが。

 右手で胸を押さえて、鼓動を落ち着かせようと試みる。猛々しい炎色の双眸に、みーのやんちゃな感じが少し浮かんでいるだろうか。みーの心象をわずかでも感じて、強張っていた体が、筋肉が弛緩したのがわかる。不思議なことに、それは安堵というより納得といったもので。良くわからない衝動に胸を、魂を掻き毟りたくなった。

 今は畳まれている蝙蝠(こうもり)のような翼、体を覆う燃えるような紅い鱗、前に戦った巨鬼の鉤爪が玩具としか思えなくなるような長大な爪。蛇や蜥蜴に似ていると言われるが、実際に目にすればわかる、これは明らかに別種の生き物である。

 巨大で強大で極大で、天と地を統べる優美な……いや、止めよう、竜の威風を語るにはあまりに言葉が足りない。どれほど連ねようと、陳腐(ちんぷ)なものに成り下がるだけ。

 雄々しく圧倒的な存在感が、そこに居るだけで(おごそ)かな心地を抱かせる。

「オルエルさん。証しとして不足していますか?」「……い、いや、あるはずがない……」

みーから視線を逸らすことなく、オルエルさんは呻くように言葉を搾り出す。

「……あ」

 失敗した。これは僕の見当違い。みーが降り立ったエルネアの剣の本拠地に面する空き地は、竜が(くつろ)げるほどには広くないので、窮屈そうに頭を降ろしてきた。

「あっ……」

 いや、口癖じゃないんだから二度も、って、そんな場合ではなく。みーの尻尾が近くの家を直撃しそうになって声が漏れたが、続く言葉を、みーの尻尾の成り行きに意識を集中することで我慢する。もし声を上げたりなんかしたら、対策を施してあると言ったコウさんを信用していないことの証左になってしまう。それだけは絶対に避けなければ。

 ーーふぅ、竜にも角にも、竜心を心掛けよう。みーの威容に、まだ心が吃驚しているのだろうか、頭の中が冗漫(じょうまん)になっている気がする。コウさんの魔法はいみじくも行使されて、ほんの少しだけ(?)心配した僕の不安など炎竜に焼かれて消し炭に、触れたら火傷しそうな赫赫(かっかく)たる、それでいて艶かしいみーの尻尾が、不自然な方向に曲がって、ぺたりっ、とゆっくり地面に落ちる。尻尾の位置が気に入らないのか、陸に上がった魚が跳ねるように何度か躍動して、満足したようだ、尻尾が大人しくなる。あれ? この表現は何か違うような……。いや、今は目の前にある、僕よりも大きな、みーの頭部とご対面。って、いやいや、ほんと、何なんだろう、この僕の内側の妙などよめきは。

「よー、おっちゃん、久し振りだなぁ」「……あ、ああ」

 みーの頭の上に乗っているエンさんが暢気(のんき)に挨拶をするが、オルエルさんはまともに対応できないようだ。それも無理はない。僕も同じ気分を味わっている。

「ほーれ、行くぞー、こぞー。さっさと乗りやがれー」「……はい」

 みーの口先から登っていくのだが、こうも間近に居られると、ぱくりと食べられそうな予感がしてしまう。目といい牙といい、何もかもが巨大で、自らの矮小さに尻込みしそうになる。う~む、どこに足を掛けて登ればいいのか。迷っていると、早くしろ、とばかりにみーにじろりと炎眼で見られたので、然もあれ、意を決して頭の上まで駆け上がった。

「それではザーツネルさん、あとの手筈(てはず)は、よろしくお願いします」

「……っ、ああ、わかった、あ、いえ、……その命、承りました。侍従長様」

 ザーツネルさんは、(かしこ)まって頭を下げる。いや、みーを前に動揺しているのはわかるが、侍従長に「様」を付けるのはどうなのだろう。そこまで(へりくだ)られると、こちらのほうが困ってしまう。コウさんが合図をすると、みーの頭が一気に持ち上がってゆく。

 体が重くなったかと思うと、ふわっとした浮遊感。慌ててみーの一抱えもある角に掴まる。自分の意思とは無関係に体ごと移動させられるのは、慣れていない所為なのか、感覚に齟齬が生じる。遺跡でコウさんに掴まって振り回されたが、あのときは必死で「飛翔」を味わっている余裕なんてなかった。角に沿うように移動して、喧騒が戻ってきた街を見下ろす。それから、ゆっくりと視線を動かして、空を見上げる。

 何故だろう、実際の距離以上に、空が近くなったような気がする。

「こぞー、落っこちたくなけりゃあ、角んがっちり掴まってたほーがいいぞー」

 僕とは反対の角に寄り掛かっている、緊張感の欠片もないエンさんの警告で悟らされる。

 命の危機が迫っていることを。僕と彼らでは、状況に対する危険の度合いが異なる。エンさんたちにとっての注意は、僕にとって命に直結する重大事なのである。

「ーーっ!」

 みーが前屈みになった、その刹那、角にしがみ付いた僕の上に空が落ちてきた。いや、そう感じただけで、僕のほうが空に近付いたのだ。途轍もない速度でみーが舞い上がって、全力で踏ん張っていないと、みーの頭に叩き付けられそうになる。

 重圧が消えて、恐々と目を開けると、そこは見渡す限り空の世界だった。上昇が止まったあと、みーの翼が広がって、尽きることなき雲の波間に飛び立ってゆく。

「地上で羽ばたくと、迷惑になってしまうのです。なので、問題のない高さまで移動できるように工夫したのです。みーちゃんの特訓の成果なのです」「えっへんっ!」

 みーは得意げに胸を反らして、子供っぽい口調で、体の奥まで響く深みのある声を発する。僕は、慌てて角に掴まり直す。みーにとっては、少し体を動かしただけなのかもしれないが、僕にとっては大地が揺動するような発災(はっさい)である。

 然ても、コウさん、魔法やら魔力やらが係わると、大胆になるというか、遠慮がなくなるというか。それは正しい気の使い方だと思うのだけど、やっていることが大掛かり過ぎて、本当に正しいのかわからなくなってくる。とりあえずわかったのは、地上にいた人たちは仰天しただろうな、ということだけ。振り返ると、豆粒以下の大きさになった人々。ちょこちょこと動き回っている彼らに、都合のいいお願いをする。

 ーー街の皆さま、お騒がせして申し訳ございません。就きましては竜の拝観料(はいかんりょう)として、僕らの為に南の国々へ存分に「ミースガルタンシェアリ」の降臨を流布(るふ)してくださいませ。

 さて、もう後戻りは出来ないし、するつもりはない。

 竜はここに居る。(つまび)らかにせよ、竜が何たるかを想起せよ、世界に遍く打ち鳴らせ、幻想と神秘に裏打ちされた紛う方なき万象を司りし悠久の覇者……ん? ここは覇者ではなく覇竜のほうがいいだろうか。と内面で盛り上がっていたところに、みーの頭にどっかりと座り込んだエンさんが、地竜が住まう大地のように落ち着いた声で尋ねてくる。

「んで、どっから行くんだ? こっからなら、どっちでも行けそーだが」

「そうですね。問題が少なそうな、三寒国から行きましょう。何かしら問題や懸念、軋轢が生じるなら、それを同盟国との挨拶回りに活かすということで」

 僕は、狩場の位置から故郷のある場所を把握して、ヴァレイスナ連峰を眺め遣った。()だっていた頭を、楽しげに戯れる氷竜と風竜の心象で、穏やかに冷ましてゆく。みーに乗って空を飛んでいるので気が大きくなっているのだろうか、想像力まで空の彼方に羽ばたいていってしまう勢いだ。

「それじゃあ、みーちゃん、あっちなのです!」

 コウさんは、びしっと空の果てを指し示すが、曖昧な物言いに何ともしまらない空気が漂う。でも、これが僕たちらしいかな、としっくりくるような気もしてしまう。

「ばやぁーう‼」

 コウさんに応えて、みーがごきげんな咆哮を轟かせた。




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