2-1
「初めまして。安田さん。いつも弟が御世話になっています」
そう言って加川永香は微笑んだ。
弟と同じ栗色の髪にはウェーブがかかって、ふわりと肩に垂れていた。長い睫毛は綺麗に巻かれ、茶色がかった瞳は少女漫画のように大きく見えた。輪郭はバービー人形のような整った卵型、唇は艶やかな光沢を帯びており、色気を醸し出していた。
可愛い。これはすごい、かわいすぎる!
同性相手だというのに、思わず見惚れてしまった。
しかしそのピンクの唇から放たれた言葉で私は現実に引き戻された。
「ごめんなさいね。弟が変なことを頼んだみたいで。弟からあなたがとてもいい人だと聞いていて……。しかも池垣さんのセフレだと聞いたので、ぜひ弟の最初の相手になってもらおうと思ったの」
なんだって?
姉の横に座るその可愛い弟を睨みつける。
「弟を怒らないでください。弟は嘘をつけない、とても純粋な子なんですよ」
「純粋? 嘘? 加川さん、言っておきますが、私と武は単なる飲み友達なんです! セフレとかとんでもないんです!」
「あら? でも確かキスしてたとか」
そんなことまで!
私の殺気を感じてか、加川くんは真っ青になって、俯いている。
「あれは事故なんです! 私にとっては犬にかまれたようなものなんです!」
「あら、そうなの? 池垣さんにそんな純粋な女性のお友達がいるとは知らなかったわ」
ほほほと加川姉が笑う。
私はなんだか力がなくなり、げっそりとしてしまった。
そもそも、なんで、私が加川永香と会うことになったかと言うと、仕事上の理由だ。
先週進めていたフランスワインの紹介パーティー企画案が御客様に気に入られ、うちの会社でこの件を担当することになった。そこでパーティーの司会を担当するフランス語と日本語のバイリンガルを探すことになり、白羽の矢を立てたのが加川くんの姉だ。
なんでもフランスに留学し、しばらく現地で働いていたらしい。才色兼備で何度かMCの仕事もしたことあるとかで、とりあえず会うことにしたのだ。
まさか、こんな性格と思わず、私は頭を抱えてしまった。
しかし、仕事と私情は別だ。この容姿、使わないのはもったいない。
こほんと軽く咳をすると可愛い人形のような女性を見つめる。
「えっと、私のことは置いておいて、仕事のことなんですが……」
姿勢を正し、顔を引き締めるとそう話し始めた。
「永香に会ったんだ」
武は意外そうな顔をしてグラスを掴む。
あの後、加川姉と話し込んでしまい、横道にそれながらもなんとかバイリンガルMCを引き受けてもらうことになった。料金は加川弟のおかげでかなり安く引きうけてもらい、コストも削減、MCの経験も聞き、これなら安心と私は上司に報告した。
今回のこの件は私が全責任を持って進めていいと言われていたので、上司の部長はすんなり承諾。加川姉のキャラには驚いたが、とりあえず出だしは好調と気分良く会社を出ようとしたところで携帯が鳴った。
出ると武で、会社近くにいるということで飲むことになった。
最近、こいつとよく飲んでる気がする。
今月に入って三回……
飲み過ぎだなあと思いつつ、私は頼んだ甘いカクテルに口をつける。
「で、なんか言われた?」
「言われたわよ。あんたに純粋な女友達がいるのがめずらしいんだってさ」
「そうか。言われたなあ」
武は、はははと笑う。
まったく、そんなこと言われるって本当遊びまくってるってことよね。
ありえない。
こいつ、大学の時よりひどくなってる?
「そういえば、加川姉とどういう知り合いなの? 取引先か何か? ああ、そんなわけないわよね。さすがにあんたでも取引相手とは寝ないでしょ?」
「……よくわかってるな」
「仕事と私情は別にしてるでしょ。有能会社員」
私は、ばしっと武の肩を叩く。
調子のいい彼は仕事ができるようだった。住んでいるところは立地条件の良いマンション、着ている服はブランドもののスーツ。
彼の家が金持ちじゃないことを知っている私は、彼自身がかなり稼いでいると踏んでいた。
でも、仕事じゃなくて、貢がれている可能性もあるか。
こいつならそれもありかも。
私がそんなことを思っていると、武がにやっと笑った。
「今日はやりたくなった?」
「じょ、冗談!」
驚いた私は口に含んだ液体を気管にいれてしまい、むせてしまう。
武はくすくすと笑いながら、私の背中をさする。
「一回、くらいいいだろう。減るもんじゃないし」
さすりながら、彼はその端正な顔を私に近づける。
「だーれが、あんたなんかと。私は一生あんたとは純粋な友達のつもりよ」
彼の視線から避けるように顔を背けてそう言う。すると武はふと背中を摩る手を止めると小さくつぶやいた。
「純粋か」
背中に当てられた手から彼の体温を感じ、妙な緊張感を味わう。
「ああ、もう。武。やっぱり、あんたと飲むのはこれで最後にするわ」
私はするりと彼から逃げるように椅子から立ち上がった。
最近、彼と飲みすぎていた。
友達という関係から、体だけの関係になるのはごめんだった。
「眞有。俺が悪かった。もう変なこと言わないから」
「本当?」
彼の黒い瞳の煌きに捕らわれ、私の決心が鈍る。
彼と一緒にいるのは楽しかった。
「本当だ。約束する」
「じゃ、いいわ」
「よかった」
武は心底安堵したような表情を浮かべる。
「じゃ、乾杯しようぜ」
「何に?」
「俺達の友情に」
再び隣に座った私に彼がグラスを掲げる。
「そうね」
頷くとテーブルの上のオレンジ色のカクテルグラスを掴む。
「乾杯」
私達はそう言うとグラスを重ねる。
そうして結局、終電近くまで武と飲み続けた。