10-6
それからの数日はあっという間に過ぎた。
殺人的な忙しさに襲われ、会社と家をへとへとになって往復する。
加川くんに、聞こうかと迷ったけど、ちょっと図々しい気がして、聞けなかった。
そんなある日、明るい声で武が電話をかけてきた。
そして私達はいつもの木村さんのバーで飲むことし、仕事をどうにか切上げて待ち合わせの場所にむかった。
「あれ?加川さん?港も?」
バーに着くと、そこには、かなり不機嫌そうな武と飲んでる加川さんと港がいた。
「その態度はいただけないと思いますけど?」
「そうそう。恩人に対して」
近づくとそんな会話が聞こえてきた。
「あ、眞有」
私の顔を見ると港がまずにこりと笑いかける。それを見た武がイラついた表情を見せた。
「池垣さん、子供みたいよ。ほほほ」
加川さんは嬉しそうに、笑う。
「えっと、今日はみんなで飲むの?」
「いや、ちがっつ」
「そうですよ。宮元グループがホテル建設を中止したお祝いです~」
「撫山!」
「あれ、池垣さん。私達に抜け駆けで祝賀会を開こうとしていたのかしら?」
「そんなこと、永香と撫山には今週末に地元で開く祝賀会にお礼も兼ねて参加してもらおうと思ってたんだ」
「そうなんですね。じゃあ、今日は前祝いですね」
港は無邪気な笑顔を浮かべてそう答える。
いや、武。
完全におちょくられてる。
こんな武見たことないかも。
加川さんと港が組んだら最強チームになるんだ。
あれ?でもなんでこんなことに。
「安田さん、ここに座ってちょうだい。私が今回いかに努力したか聞かせてあげるわ」
「はあ……」
バービー人形のような可愛い笑顔を向けられ、言葉に詰まりながらも勧められた席、港と加川さんの間に座る。
ちらっと武を見ると、明らかにすねている様子が見える。
武って案外可愛いんだ。
こういう武も意外でもおもしろいかも。
「眞有は甘いお酒がいいですよね。木村さん、何か甘いカクテルを眞有に作ってください」
港の言葉に木村さんが苦笑いしながら、カクテルを作るために背を向ける。
「さあ、何から話しましょうかしら」
加川さんはピンクの液体の入ったグラスに口をつけると、ここ数日のことを話し始めた。
「ね、がんばったでしょ?」
いや、これは武……、何も言えないよね。
一生、多分加川さんには逆らえないかも。
加川さんは武の弱みを握ったようで、ふふんと笑ってる。
加川さんは大企業の社長であるお父さんの名前を借りて、宮元社長にアプローチし、武が用意した報告書を読ませたらしい。
普段はそんなことをしない娘の再度の頼みに、お父さんは仕方ないと自分の名を語ることを許したらしいが、条件を突きつけた。それは現恋人である芋野さんを家に連れてくることで、加川さんは嫌々ながらその条件を飲んだらしい。
加川さんだけじゃなくて、芋野さんにも頭が上がらないかも……
「ありがとうございます」
「安田さんがお礼をいうことじゃないわ。ね?池垣さん」
「……そうだ。俺のためだから。永香、本当にありがとう」
「理解してくれて嬉しいわ。池垣さん」
加川さんはにこりと妖艶に笑う。
それを見て武は複雑な顔を浮かべ、私はなんだかおかしくなってしまった。
本当、これは一生ものの貸しかもしれない。
でも、宮元さんと結婚するよりましだし、実家の方も喜んでるはずだから、いいよね?
しかも、加川さんに過去にとんでもない発言してるんだし。
これはきっと神様が武に与えた試練に違いない。
「安田さん、どうぞ」
そんなことを考えていると、ことんとテーブルに透明の液体の入ったグラスが置かれる。
「パイナップル・フィズです。たまにはこういうのもいかがですか?」
カラフルなカクテルしか飲んだことがないので、辛いんじゃないかと私はじっとグラスを見つめる。
「じゃ、私が試してみましょうか?」
私が飲むのを躊躇していると、港がグラスを掴んだ。
「?!」
しかし、港が口をつける前に、それは武の手によって阻まれる。
「俺が試す」
「……いいですよ」
いや……武。ちょっと怖いかも。
武の視線は鋭く、港は苦笑するとグラスを武に渡す。
っていうか、そこまでして試してもらわなくて……
戸惑っている私に構わず、武はグラスに口づけた。
「うわあ。甘っつ」
液体を口に含んだ武は顔をゆがめる。
辛党の武にはだめでしょ。
そりゃ。
でも甘いんだ。
よかった。
「ほら、眞有。きっとお前が好きな味だ」
武はぐいっと港を押すと私にグラスを返した。
「あ、ありがとう」
笑いかけながら、グラスを受け取る。
いやあ、なんか武って可愛い。
新たな一面が発見できてうれしい。
面白く思いながら、やっと手元に戻ってきたカクテルを煽ろうとする。しかしそれは港の言葉で遮られた。
「あ、眞有。ちょっと待って。その前に乾杯しましょう」
「乾杯?」
えっと、確かに前祝いだけど……
なんか港って武みたいだな。
「おお、そうだな」
武が何も疑問を持たず、同意して頷く。
「そうね。大事なこと忘れていたわ」
加川さんもほほほと笑うとグラスを持った。
なんか、この人達、乾杯、好きなんだ。
「じゃあ、池垣さん。一言どうぞ」
そんな私の思いに構うことなく、港は宴会の司会者のように武に声をかける。
武は、ノリよくそうだなとこほんと咳払いをすると、口を開いた。
「まず、みんなにお礼を言いたい。永香、本当に今回はいろいろありがとう。おかげで助かった。撫山。お前にも感謝してる。眞有のことは絶対に渡すつもりはないけど、お前のことはいい奴だと思ってるから」
港は肩を竦めて見せたが、何も言わずグラスを持つ。
「最後に眞有」
そう言われ顔を上げると、彼が瞳を輝かせ私を見つめていた。
「色々ごめん。心配かけて悪かった。お前のことはこれから、もっと大切にしようと思ってる」
「武……」
私は鼻がつんと詰まったような感覚に襲われ、泣きそうになる。
ここ一カ月、辛い想いをたくさんした。
だけどこうやって武に言ってもらって、辛さが全部洗い流されるようだった。
「こほん。しょうがないですね」
港が泣きそうな私に笑いかける。
「池垣さん。とりあえず私はあきらめることにしました。でも眞有の友人であることには変わりませんので、もし泣かせることがあったら覚悟しててくださいね」
「……港」
優しい彼の言葉に堪えていた涙が一気に溢れる。そんな私に加川さんがハンカチを貸してくれた。
「……わかってるよ。そんなこと」
武はむっとした口調でそう答え、加川さんが口をはさむ。
「池垣さん。その調子じゃわかっていない感じよね。撫山さん、あきらめちゃ駄目よ。私は撫山さんを応援するから」
「永香!」
「あら。恩人を怒鳴りつけるとはどういうことかしら?」
じろりと加川さんが武を見る。すると彼は悔しそうに口を噤んだ。
武が……
武が完全に負けてる!
普段ではありえない彼の様子に涙が止まり、笑いがこみ上げる。
するとカウンターの向こうにいた木村さんも朗らかな笑い声を上げ始め、店内は笑いに包まれる。
そうして私達は乾杯するのを忘れて、お腹が痛くなるほど笑い続けた。