1-4
「安田さん」
来た!
昼食時間、皆が昼食に出かけたのを見計らって、加川くんがそう声をかけてきた。
朝から何か聞きたそうな顔をしているのは知っていた。
昨日のことだよね。
キスしてるの見られたし。
あーなんてタイミング悪い。
「安田さん。昨日の池垣さんって彼氏ですか?」
「違うわよ! キスしてたけど」
「そうなんですね。てっきり彼氏かと思いました」
少し驚いた様子の加川くんを見て、逆に彼氏と言ったほうがよかったかと後悔する。キスしてたけど、友達っていうのもあれだよね。
これで完璧失恋。
まあ、叶うと思っていなかったけど、なんかがっかり。
これも武のせいだわ。
しかし、そんな私に加川くんは思わぬ言葉を続けた。
「だったら大丈夫ですね。あの安田さん、お願いがあります。僕の最初の相手になってくれませんか? あの池垣さんとそういう仲ならきっとその道のエキスパートですよね。だから、僕に教えてください」
「はああ?」
最初、何を言われたのかわからなかった。
しかし言われた言葉を徐々に理解していき、その意味を知る。
え、っていうか、何で私?
「彼女ができたんですけど。やり方わかんなくて、ほら、そういうのって男がリードすべきじゃないですか」
可愛い後輩は真っ赤になりながら、しどろもどろにそう言葉を続ける。
「加川くん。勘違いしてるけど。私は武とはそういう関係ではないの! だから、詳しいとか、誤解だから。そういうのは他を探して!」
ばしっと机を叩くと加川くんに背中を向け、彼を一人残し事務所を出る。
失恋もいいところだ。
これも武のせいだ。
キスなんてするから。
唇をかむと、携帯を取り出し、諸悪の根源に電話をかける。
「あ、眞有?」
「今夜暇?ちょっと顔貸して!」
有無を言わせずそう言うと今夜の約束を取り付ける。
むしゃくしゃしていた。
奴に何か文句言わないと気がすまなかった。
「受けるわ。それ!」
「受けるじゃないわよ! あんたのせいでしょ!」
「俺のせい?」
「そう。あんたのせい。キスなんかするから!」
「でもうまかっただろう?」
そういって煌く瞳を向けられ、どきまぎする心臓を押さえる。
こいつ。
「うまかったわよ。さすがに池垣武様よね」
動揺する様子に気づかれないように、ふふんと笑う。
「様か、様」
「だって、加川くん、あの池垣さんって言ってたわよ。あんた、そんなに有名なの?」
「加川? あの子、加川っていうのか?」
「え? 言わなかったっけ?」
「加川永香っていう女性を知ってる。そういえば顔が似てる気がする。姉弟か…」
「げー、なんでつながってるの」
「ま、世界は狭いっていうからな」
「はああ。明日からどうしよう」
「どうしようって。困ってるのはあっちだと思うぞ。なんせ、僕、童貞です。やり方教えてくださいっていっちゃたらさあ」
「ど、童貞っては言ってなかったわよ」
「でも初めてだから童貞でだろ?」
「まあ、そうだけど」
本当、こいつの口は悪い。
顔が悪くて背が低ければ絶対にもてないだろうな。
世の中やっぱり顔よね。
「眞有。やっちまえばよかったのに。あれだけの可愛い顔だ。楽しめると思うけど」
「ふん。悪いけど、私はあんたと違って節操なしじゃないの。やっぱり愛がないと」
「ふーん。愛ね~」
武は口元をゆがめると、テーブルの上の小さなグラスを煽る。中身はウォッカの原液だ。
「あんた、そんなのよく飲めるわね」
「おいしいぞ。試す? 眞有はお酒だけは可愛い奴飲むよな」
「お酒だけは余計」
あからさまに嫌そうな顔をして、カクテルの入ったグラスを持つ。
ビールは飲むけど、お酒は甘いのしか飲めない。今日も頼んだお酒はカンパリオレンジだった。
「眞有の失恋に乾杯」
嫌な男はにこっと笑うと新たに頼んだグラスを掲げる。
私は苦笑しながら、そのグラスに自分のグラスを重ねた。
怒り狂っていたはずだが、飲んでるうちにこいつはそういう奴か、しょうがないとどうでもよくなった。
だからこそ、こいつと付き合ってられるんだなと妙に納得する。
「眞有。俺がお前のこと好きだって知ってた?」
「はあ?」
「だから今日はいいだろう?」
「冗談」
本当こいつの言葉は信じられない。
明日加川くんとどうやって接しようとかと思いながらも、私は武と飲み続けた。