8-2
「来てくださってありがとうございます」
加川姉こと加川永香さんはそう言うとペコリと頭を下げる。
時間は夜十時、電話口の加川さんの様子がおかしくて、目も醒めてるしと外で会うことにした。加川弟を送ったときに、家が私の家の隣町であることがわかっていた。
私達は周辺のファーストフード店で待ち合わせをした。
店内には珍しく人が少なく、ラッキーと思いながら加川姉の前に座った。
「何か飲みます?ココアとか?」
「あ、ごめんなさい。いただいてもいい?」
私の問いに意外にも申し訳なさそうな顔を加川さんがした。
「じゃ、買ってきますね。あったかい奴でいいですよね?」
加川さんは、こくんと大人しく頷く。
やっぱり様子がおかしい。
芋野さんと喧嘩してるって言ってたな。そういや。
「はい、どうぞ」
ホットココアの入ったコップを加川さんの前に置くと、腰掛ける。私は温かい紅茶にした。粉ミルクと砂糖を入れかき混ぜる。
加川姉はコップを両手が抱え、冴えない表情をしてる。
これはかなり重症だ。
やっぱり本当に芋野さんを好きなんだな。
過去のことなのになあ。
「加川さん、大丈夫ですか?私でよければ何でも話してください」
加川さんは弟と類似したその可愛い顔を、苦しげに歪めて私を見つめた。
「助けて」
加川姉は私の両手を握るとその瞳に涙を潤ませた。
それは怒るわ……芋野さん。
「とっさに言ってしまったの。もうどうしていいか」
加川さんは両手を合わせて、そうつぶやく。
話を聞き終わって最初に思ってことが当然だなという思いだった。
芋野さんではなくても、引くよ。それは
っていうかその前に武の話を弟から聞いてて、ショックを受けてるのに姉からも言われて、ダブルパンチですよ。
そりゃ。
加川姉は芋野さんにキスされ、ベッドに運ばれた瞬間、『セックスは下手なの。人にそう言われたことがあって。それでもいい?』
といったらしい。
弟から話を聞いていた芋野さんは武がそう言ったと知ってるから、その場で顔色を変え、出て行ったらしい。
残された加川姉はどうしていいかわからず、仕方ないから帰ったとか。
いや、っていうか芋野さんの家、強盗の入られないでよかったよね。
だいたい鍵をどうしたんだろう?
「安田さん、どうしたらいいと思う?友亜貴が余計なことを光輝さんに言ってるって知らなくて……」
こうき?
ああ、芋野さんか、こうきっていう名前なんだ。
真剣に悩んでる加川さんの前でそんなことを思う。
「ねえ。どうしたらいいかしら?」
「加川さん、話し合いしかないですね。今から芋野さんを呼び出しましょう。私が電話します」
「え?! そんな……」
加川姉はおろおろと挙動不審な動作をし始める。
「問題は早期解決がいいですから。電話番号なんですか?」
じっと私に見つめられ、可愛い姉は覚悟を決めたようだ。
「090-xxxx-xxxxです」
姉に言われた番号を押し、電話をかける。
「もしもし?」
「芋野さんですか?私、安田です。ちょっときてもらってもいいですか?今?ええ、そうです。山野町駅前のファーストフード店にきてください」
電話口で驚いた声を上げ、明日でいいかという芋野さんの説得を試みる。後輩思いの芋野さんは嫌々ながらだが、返事をしてくれた。
「じゃ、後で」
ぷちっと電話を切り、心配そうな顔をする姉に笑顔を見せた。
「永香!?」
ジーンズに、鼠色の長袖Vネック、冴えない眼鏡の先輩は、加川姉を見ると声をあげ、回り右をして戻ろうとした。
「芋野さん!」
それを無理やり引き止めると、永香さんの向かいの席に連れてくる。
「どういうことだ?」
「こういうことです。明後日は、うちの大事なMCさんに万全な仕事をしてもらいたいんです。だから芋野さん、よろしくお願いしますね。武のあほが言ったことなんで気にしないでください。過去の話なんです。今は私の彼氏なんで、邪魔はさせませんし」
私の彼氏か、嘘ばっかり。
自分の言葉に涙が出そうになったが、芋野さんを説得するにはこれしかないと笑顔を作る。
「じゃ、芋野さん。任せましたよ!」
「や、安田!」
ぽんと肩を叩いて席を離れようとする私に芋野さんは情けない声を出す。
しかし向かいの席の加川姉の泣きそうな顔をみて、覚悟を決めたようだった。
私は恋人達を尻目に、帰路に着いた。