6-5
「武?!」
報告書を部長にメールして、企画実行部の部屋から出る。
そしてエレベーターで降りたところで、武の姿を見て声を上げる。
すでに時間は九時。
受付嬢の野田さんもいなくて、ロビーはがらんとしている。
「どうしたの?」
ロビーを駆け抜け、武に走り寄る。
「話があるんだ。店に行こう」
武はにこりともせず、そう言うと私の腕を掴み、ビルを出て行った。
昼間のキスのことかなあ。
誰かから聞いたのかな?
木村さんのいる店に入り、いつものようにウォッカのロックを、私にはカンパリオレンジを注文した後も、武は難しい顔をしていた。
らしくないなあ。
やっぱりキスのこと?
「どうしたのよ。武!」
ばしっと彼の肩をたたく。すると彼は決心したように私の顔を見つめた。
「どうぞ」
木村さんから出されたグラスを煽り、武はぱんっとテーブルに置く。
その音が結構大きくと私はびくっとした。周囲の人も一瞬だけこちらを見たが、それだけだった。
「眞有。ごめん。俺たち、別れよう」
「?!」
別れよう?
今、武はそう言ったよね。
やっぱりそうか。
付き合ったのはやっぱり気の迷いだったのね。それか体目的? 寝ない私にがっかりして別れるとか……そういうこと?
「……お前のことは好きだ。だけど……」
しかし、武は搾り出すような声でそう言葉を続ける。
なんで、そんなこと。
そんなこというのよ!
別れるんでしょ?
「武!」
私が彼に言葉を返そうとすると、猫のような可愛い女性が現れた。その女性は、以前家の近くで見た、武とじゃれていた人で、大きな瞳にオレンジ色に近い茶色の髪のボブヘアの彼女だった。
「玲美」
武は目を大きく開くと彼女を見つめる。
「浮気はだめっていったでしょ?」
「浮気?」
そうつぶやいた私の声は震えていた。
「そう、武は私と付き合ってるの。そして来月にでも結婚するの」
「?!」
声を失い、ただ武を見つめる。
だって、武は私と付き合うっていったよね。
そんなこと知らなかった。
知ってたら、もっと早く教えてくれたら。
こんなに好きになる前に!
「武、なんか言ったら?」
彼女は彼の腕に手を絡めて、上目遣いで見つめる。
「……悪い。そういうことなんだ」
武らしくない歯切れの悪い言葉がその口から漏れる。その眉は寄せられ、唇がぎゅっと閉じられていた。
「わかったでしょ?武。話は終わったわよね?さ、帰りましょ」
彼女がそう言い、武が席から立つ。
吐き気と眩暈を覚えた。
しかし、武の、彼女のいる前では弱みをみせたくなかった。
私は強い女。
これぐらいで負けない。
「……武。私も本気だと思ってなかったから。結婚おめでとう!」
私の言葉に武が振り向く。そして何かを言いかけようとしたところで、彼女がその腕を引っ張った。
からんと扉が開く音がして、二人が出て行く。
私の我慢が聞いたのか、お客の興味は私ではなくそれぞれのパートナーや友達に戻ったようだ。
目の前にある、武の飲みかけのウォッカの入ったグラスを煽る。
苦い味とお腹に痛みが走る。
それでも私は再びグラスを煽る。
「大丈夫ですか?」
ふいにそうカウンター越しに声がかけられる。木村さんがそっとハンカチを差し出す。
「あ、私……」
いつの間にか泣いている自分に気がつく。
「これは飲まないほうがいいですよ。私がいいものを作ってあげましょう」
木村さんはにこりと笑うと私からグラスを取り上げる。そして色鮮やかなボトルを奥から取り出す。
「待っててくださいね」
そう言って笑った顔はとても優しく、私の瞳から一気に涙が溢れ出す。
人に見られたくなくて、借りたハンカチで両目を押さえた。
ハンカチからほのかなラベンダーの香りがして、私の傷ついた心を優しく包んだ。