6-3
「ここまででいいです。ありがとうございます」
会社近くの駅に着き、撫山さんが頭を下げる。
「いえいえ。ありがとうなんて、結局一緒に言っても何もお役に立せませんでした」
あの後、五分ほどして絹さんが、奥からワイングラスの入った箱を持ってきた。そして私達はお礼を言って店を出た。
とりあえず場を盛り上げようと適当な話をして、駅まで歩いた。駅近くまで来て撫山さんが元気を取り戻したのを見てほっとし、会社に戻るために電車に乗る。
電車の中でもこれといって特別な話をすることもなく、本当になんで私、連れてこられたんだろうと不思議でたまらなかった。
しかし、撫山さんは満足だったようで、嬉しそうに笑顔で別れた。
「眞有さん」
彼に背を向け、数分歩いたところ名を呼ばれた。
「ど、どうしたんですか?」
箱を持って息を切らしている撫山さんを見て、私はぎょっとする。
っていうかワイングラス、壊れたらどうするんですか!
用があるなら電話すればいいのに。
「これもっててください」
肩で息をしながら彼がふいに箱を渡す。
割れる!?
私は慌ててその箱を両手で掴む。すると彼の白い手が視界に入り、ぐいっと顎を上に向けさせられた。
「!?」
驚く私の唇は彼の唇でふさがれる。
「な、で」
何か話そうとするが、それは彼の舌で巻き取られる。
いやだ、こんなの!
私はがじっと、彼の唇に動物のように歯を立てた。
「っつ」
彼は眉を寄せると私を解放する。
「な、何するんですか!」
私はワイングラスの箱を落としそうになる自分に歯止めをかけると、彼を睨みつける。
不意打ちで、しかも卑怯だった。
「すみません。これしか方法がうかばなくて」
彼は私に噛まれて血が出た唇を、その真っ赤な舌でちろりと舐める。そして私から荷物を奪う。
「あなたのことが好きです。やはりあきらめるつもりはありません」
そんなこと。
光栄すぎるけど、私は武と付き合ってるし。
「池垣さんはそのうち本性を現すと思いますよ。その時にあなたが泣く姿は見たくありません。だから、私は絶対にあきらめませんから」
あきらめないって……。
私のどこが彼にとって魅力的なの?
やっぱり美形の好みは人と違うとか。
「うわあ。あの女、二股かよ。まじで?」
「あれであの外人と?!」
周囲の人の声がそう聞こえて始め、はっと我に返る。
こんな道の真ん中でメロドラマをしてる場合じゃないわ!
羞恥心いっぱいの私はぐいっと撫山さんの腕を引くとその場から離れた。
「眞有さん」
人々の好奇な視線から逃げたくて長く歩き続けていたのか、撫山さんの言葉で立ち止まり、周りを見渡す。
「ここって……」
見たこともない風景だった。ごちゃごちゃした古い家が立ち並び、方向感覚を失わせた。
「迷いました? 大丈夫です。私はわかりますから」
呆然と周りを見渡す私に対し、撫山さんはいつもの穏やかな笑顔だ。でもその唇が傷ついているのを見て、キスされたことを思い出す。
「撫山さん、どうして?」
木陰の目立たないところに彼を誘導して、そう聞く。
「どうしてって、好きだからです。あなたを池垣さんから奪うつもりです」
「そ、そんな」
そんな展開……
ありなんですか?ロマンス小説的な展開。
嬉しい…じゃなくて、
きっと撫山さん、おかしくなってるんだ。
「撫山さん……。大丈夫ですか? 私、安田眞有ですよ。背が低くなくて、ちょっと肉がつきすぎてる、可愛くない女ですよ?」
私は両手を撫山さんの前で振って見る。
前々から思っていたけど、撫山さんはフランスから帰ってきてからちょっとおかしい。
武と付き合う前は、本当に私のことを好きだと思ってたけど、ありえないでしょ?
超美形がこんな女を、好きになるなんて……
そうか、武もありえないよね。
あ、なんか落ち込んできた。
「安田さん。私は本気ですよ。神に誓って」
神に誓って??
その台詞どっかで聞いたような??
あ、武だ。
武も言ってた!
「だから、池垣さんには負けませんから」
「……えっと」
戸惑う私の腕を撫山さんが掴む。
「さあ、戻りましょう」
「はあ」
やっぱり、この人……
フランスで頭のネジ一本落としてきたんだ。
私みたいな平凡凡な女、好きだなんてどうかしてる。
あ、武もか。
がっくり。
なんだか力が抜ける思いをしながら、撫山さんと一緒に会社近くまで歩いて戻った。