6-2
「安田さーん!」
一人の世界に入り込んでいたのか、間延びした加川さんの声が聞こえた。
「は、すみません!なんでしょうか?」
慌てて、顔を上げる。
加川さん、撫山さん、そして金髪碧眼の外国人の視線が私に注がれる。
「この部分ですが、音楽は流れるのでしょうか?」
「はい、そのつもりです」
彼女が指差した進行表の部分をみて、必死に頭を回転させて答える。
今私は、撫山さんの事務所にきていた。本番が3日前に迫り、私達は司会の加川さんを交えて、撫山さんとフランスから来た本社の方と打ち合わせをしていた。打ち合わせはフランス語で行われ、意味わかんないな~とその音を聞いていたらばかな事を考え始めてしまった。
でも今は武のことを考えてる場合じゃないの!
頭を横に振ると、理解できないが打ち合わせに神経を集中させた。
「ありがとうございました」
「眞有さん!」
打ち合わせが終わり、そう言って部屋を出ようとしたら撫山さんに声をかけられた。
「なんでしょうか?」
私は立ち止まる。
撫山さんの真摯な青い瞳が私を見ていた。
「これから、父のところにワイングラスを受け取りに行きます。一緒にきてもらってもいいですか?」
「……えっと」
今は武と付き合ってる。
でも、これは仕事だ。
断るわけにはいかないよね。
「安田さん、私のことは遠慮しなくてもいいのよ。私はこれから行くところがあるから」
私の後ろで話を聞いていた加川さんがにこりを笑う。その笑顔は何か悪巧みをしているような笑みだった。
「じゃ、決まりですね」
返答しない私にダメ押しとばかりそう言うと、撫山さんと彼のお父さんが経営しているガラス工芸店に行くことになった。
「警戒しないでくださいね。加川くんから聞いてます。眞有さんは池垣さんと付き合い始めたようですね」
「?!」
加川く~ん、なんでそうおしゃべりなのよ!
あまりにもしつこく撫山さんとの関係を聞くから、思わず武と付き合い始めたことを話してしまったことを後悔する。
あれだけ、他言しないでって言ったのに~~。
「でも、私はまだあきらめていませんから」
「え?」
「だって、まだ付き合い始めて3日目ですよね。池垣さんのこと、信じてますか?」
「ど、どういう意味ですか?」
「彼がどういう人が私は知ってます。だからあなたを余計にあきらめきれない。さ、つきました。降りましょう」
言葉の意味を聞こうとしたが、撫山さんに促され電車から降りる。降りたのか確認して、彼もプラットフォームに降り立った。
駅から見る光景はいつも見ている灰色の街並みではなかった。住宅地であったが、森や丘が見える美しい町並みだった。
「さ、行きましょう」
高いところにある駅から見える景色に心が奪われている私に、撫山さんが笑いかける。その笑顔はやはりきらきらしていて、景色だけでなくその微笑にも見惚れてしまう。
ええい、見惚れている場合じゃない。
私には武という彼氏がいるんだから。
ぶるん、ぶるんと首を横にふると撫山さんに続き、駅の階段を下りていった。
「父さん」
店は表向きは工芸店で、裏にガラス工芸品をつくるために工房があった。店の裏にまわり、工房の入り口で撫山さんは一人の大柄男に人の背中に呼びかける。
「!?」
振り向いた男の人は、白人さんだった。
いやそれは当然だ。
でも驚いたのはその容貌、綺麗という分野の顔とは程遠い顔だった。
えっと、親子?
確かに髪の色は同じだ。
目の色も同じ気がする。
でも顔の構造が違うんですけど?
私が驚く前で、撫山さんはすらすらとフランス語でお父さんに何か言っている。
何言ってるんだろう?
お父さんの鋭い目がこっちを見て、私の腰が引ける。
睨まれてる?
撫山さん、何言ったの?
まさか振られたとか?
ひいい。
「眞有さん、こっちです」
顔を蒼白にさせた私の腕を引くと撫山さんはお父さんに背を向け、お店のほうへ戻っていった。
「あらあ、港。どうしたの?」
あ、美形が。
美形好きな私は店番をしていた四十代くらいの美人さんを見て安堵する。
「絹叔母さん。父さんが作ったワイングラスどこにありますか?」
「ああ、あれね」
絹叔母さんといわれた女性はそう答えると、奥に入っていった。
叔母さんってことは、撫山さんのお母さんの妹さんとか?
私の疑問が通じたのか、彼は二コリを笑うと口を開く。
「絹叔母さんは私の母の妹です。亡くなった母の代わりにお店を手伝ってもらってるんです」
亡くなった……
そうなんだ。
「ああ、心配しないでください。母が亡くなったのはもう十年も前のことなので」
そう説明する撫山さんは笑顔だが、やはり少し元気がないように見える。
そうだよね。
十年前といえども、お母さんのことだもん。
私はなんと言葉をかけていいのか分からず黙ってしまった。