5−3
「撫山さん?!」
ぐいぐいと彼の腕を引き歩いていたのだが、ふいに逆に引き寄せられる。
「眞有さん、やっぱりあきらめてください。お願いします」
強く抱きしめられ、耳元でそう囁かれる。
「撫山さん!」
「離しません。眞有さん、私にしてください。彼はあなたを不幸にする」
腕の中で抵抗する私に撫山さんはそう言葉を続ける。
なんで、この人こんなに。
こんな美しい人に想われていることが信じられなかった。
彼の言うとおり、武のことなんかあきらめてしまえばいい。
そんなのずっとわかっている。
でも私は彼の側にいたかった。
女友達という特別な椅子にずっと座っていたかった。
「撫山さん、すみません。離してください」
がんとした言葉に、彼は大きく息を吐くと私を解放する。
「眞有さん……」
「馬鹿な想いであることはわかってます。でもあきらめきれないんです」
「わかっています。でも、私は言わずにはいられなかった」
撫山さんはその青い瞳を苦しげに伏せ、つぶやく。
私って本当に馬鹿だ。
こんな理想的な人、一生見つからないのに。
あの男をあきらめきれない。
本当に馬鹿な私……
「それじゃ」
「眞有さん、気をつけて」
駅で私は撫山さんを見送ると、母に頼まれた買い物をするためにスーパーに向かった。そして買い物を済ませると帰宅する。
玄関で男物のスニーカーを見つける。
誰か来てる?
父はスニーカーを履くような人じゃなかった。
誰だろう?
「お母さん、ただいま。誰かきてるの?」
玄関をあがり、台所に向かう。
返事がないなと思いながら、台所のテーブルに野菜や肉が入った買い物袋を置く。そして、居間から聞こえてきた、母とは別の人の話し声に心臓が止まりそうになった。
「眞有~。お帰りなさい。池垣さん、来てるわよ。ほら、私が好きな竹部のシュークリーム覚えていてくれたみたいで、いただいたの」
ほほほと嬉しそうに母がいい、居間から台所に向かって歩いてくる。
私は心臓が掴まれたみたいに胸に痛みを覚えた。
視線の先で、居間にいた武がこちらを振り向く。
いつもと変わらない笑顔……
なんであんたがここにいるのよ!
叫びだしたい気持ちをどうにか抑える。
「眞有。どうして教えてくれなかったのよ。池垣さんとお付き合いしてるってこと。隠さなくてもいいのに」
「!?」
えええ?
どういうこと?
唖然として口をあける。
誰が誰と付き合ってるって?!
「眞有。水臭いよな。眞有のお母さんなら何度もあったことがあるから、話してもいいのに」
武は立ち上がると、こちらに歩いてきた。
状況がわからず、口をぱくぱくさせる。
「お母さん、嬉しくて、お父さんにも電話しちゃったわ。今日は池垣さんを囲んで夕飯にしましょうね」
ええええ?
まったく状況が見えないまま、事は進んでいるようだった。
武はそのハンサムな顔でにっこり笑うと、私の肩を引き寄せる。
「奴には渡さないから」
耳元で囁かれ、ぎょっとして武を見る。そのきらきらと輝く黒い瞳は私の戸惑った顔を映していた。
いや、どういうこと?
すごく嬉しいけど、でもこいつ、私と撫山さんがキスしても動じてなかったよね。
しかもさっき、可愛い女の子と歩いてなかったっけ?
「じゃ、あとは二人でゆっくりしてらっしゃい。ご飯の準備が整ったら呼ぶわ」
母にそう言われ、とりあえず私は武を連れて自分の部屋に行くことにした。
どうしてこういうことになったか、さっぱりわからなかった。
武が何を考え、こういう状況を作り出したか知る必要があった。
「どういうこと?」
部屋の扉を閉めると、武を睨みつけた。
「どういうって。俺は奴にお前のことをむざむざ渡すつもりはない」
「っていうか、なんで? あんたは私のことなんてどうでもいいでしょ? 私と撫山さんがキスして動じてなかったし、今日なんて女の子と歩いていたじゃないの!」
「……見てたのか?」
「ええ、ばっちりね。何を突然、思ったかわからないけど、私はあんたの遊び相手になる気はないのよ」
「遊びか、遊ぶつもりはない。本気だ」
「本気? だったらなんで、今日他の女の子といたのよ。かなり親しげだったけど」
「偶然会ったんだ。むげに扱うと後で余計に面倒だから」
信じられない。
「悪いけど、変な冗談やめてよね。あんたが私のことなんて、好きなわけないじゃないの!」
「なんでそう思うんだ?」
「だって、私はあんたの好みじゃないし、かわいくもない。第一、撫山さんとキスしてた私を見ても顔色一つ変えなかったじゃないの!」
「……そう思う?」
「思うわよ。だって私、見てたもん。あんた全然、私になんて構わなくて……」
「眞有」
泣き出しそうに言葉を続ける私を彼が呼ぶ。
その黒い瞳は食い入るように私を見ていた。
「眞有」
武は名を呼ぶと、手を掴んで引き寄せた。
「好きだ。これからもずっと俺の傍にいてくれ」
誰が!
そう言いかけようとしたが、その口は武によって塞がれる。
彼のキスが私の気持ちを揺らしていく。
信じられるわけなかった。
武が私のことを好きだなんて……
理性的な私は精一杯抵抗を試みる。
しかしそれは彼から与えられる快楽により、無くなっていく。
彼が私をベッドに押し倒す。
だめ、ここで流されたら。
理性がそう叫び、私を目覚めさせようとする。
しかし、首筋に落とされるキスは私に眩暈を覚えさせ、思考を止める。
もう、いいや。流されちゃえ。
そう理性があきらめかけたとき、武がベッドの上の私に、にこりと笑いかける。
「眞有。好きだ。今日こそ、お前の処女をもらう」
「!?」
今、何て言った?
……処女?どういう意味?
っていうか、もしかしてそれ狙い?
ふざけるな!
馬鹿、武!
バチーン!
「いて!何するんだ。眞有」
武ははたかれた頬をさすりながら、体を起こす。私はその体の下から逃げ出すと立ち上がる。そして乱れた服を整えながら呆然とする彼を睨みつけた。
「もう、あんたの遊びに付き合うのはうんざりよ。好きだなんて嘘ついて。私と寝るのが目的なんでしょ!でも残念ね。私は処女じゃないの!」
「え? そうなのか ?相手は誰なんだ? 撫山さん? いや、まだだよな。じゃ、友亜貴? いや、違う。じゃ誰だ? 大学のころの奴か? それとも一夜の間違い。それとも、うーん。誰なんだ?」
「う、うるさいわね!なんで、あんたにそんなこと話さないといけないのよ。関係ないでしょ」
「悪かったなあ。俺はてっきり眞有は処女だと思ってた。そうか、そうじゃないのか。残念だけど、まあ。初めてじゃないと遠慮しなくていいよな。眞有」
彼は頬をさすりながら、微笑む。
「いいだろう?」
「誰が!帰って!」
私は武に再度平手打ちを喰らわせる。
そうして武を家から追い出すと、両親に弁解をしながらやけに豪華な夕食を平らげた。




