(閑話)
街路樹が均等に配置された広い歩道。再開発された駅周辺では調和のとれた街並みに目が奪われる。
反面、駅近辺の狭い裏路地では、昔ながらの古びた木造飲食店が軒を並べ、昭和の佇まいに心が奪われる。
鈴木は仕事帰りに、よくこの裏路地に足を運ぶ。思いつくままに、今日は立ち飲み屋に入り、カウンターで一人、静かに酒を飲みだした。隣に見知らぬ男が一人で酒を飲んでいる。肩が当たったか、酒がこぼれたか。些細な言葉をかわす。
「あ、すみません」
「いえいえ、こちらこそ」
「大丈夫でしたか?」
酒が入っているのもあり、一期一会の飲み仲間ができた。
「一つどうですか?」
鈴木は、自分の徳利を持ち相手にお酌をする。
「あ、これはどうも。もし、よかったらこれ、つまんでください」
片手にお猪口を持った相手は、もう一方の手で自分の小鉢を鈴木の方に寄せる。
聞けば、相手もIT業界の人間ではないか。鈴木は嬉々として口を開く。相手も鬱憤が多いのか、鈴木に協調してIT業界の汚点を口にする。
酒がまわり上機嫌の鈴木は、大空に話しているときのように独りよがりの持論を持ち出す。さすがにそれは言い過ぎと感じ、相手は説教染みた話を語り始めた。
そんな雰囲気の一コマ。
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鈴木さんが言ってることは極端なんだよ。
いや、けして鈴木さんが間違ってるとは思っちゃいないんだけど、ただ、ボクの意見と少し違うんだよね。
鈴木さんは、単に、昔は良かった若い頃が懐かしい、そして、夢も希望もあった。昔のプログラマーは技術者として扱われた、ちょっとしたプログラムを書いただけですごく喜ばれた。魔法使い(ウィザード)と呼ばれ、もてはやされたんだよね。ホントそんな感じだったね。
ただ、それは、特別な才能があった訳じゃないんだよ。ただ、コンピュータが好きだっただけなんだよ、プログラミングが好きだっただけなんだよ。
当時は、そう言う時代だったんだよ。
コンピュータ技術者も、当時の子供もそうだったんだとボクは思うよ。
昔のコンピュータは掛け算、割り算なんて出来なかったから、技術者は自分で四則演算のプログラムも書いてたんだろうね。
何もかも自分で作らないといけない、逆に言えば自分が全てを知っているって世界だったんだよ。自分の世界で自分が考えたことが実現できる、これって、すばらしいことだったんだよ、まるで本当に魔法使い(ウィザード)になったんじゃないかと錯覚するくらいにね。
その媚薬は当時の子供たちを魅了し、コンピュータの世界に取り込むのに十分だったとボクは思うよ。
その子供たちは、大人になるんだよね。当然と言えば当然か(苦笑)、
若い子ってヤンチャだから、自分がやりたいようにやってたんだよ。社会通念なんてお構いなしに。また、それが許された訳なんだよ。だって、当時プログラミングできる人が少なかったから。
「我が世の春よ」とプログラマーは謳歌し、いろいろなプログラムを書いてたんじゃないかなぁ。しょぼいプログラムをビックリする金額で、また、ビックリするプログラムを無料でって感じに。
プログラマーとして自信があった、自分が書いたプログラムに自信があった、不具合なんてある訳がないって時代だったね。
鈴木さんはそういう世代なんだよ。かくいうボクもそういう世代だから、それは、一通りのプログラム言語に目を通したよ。不具合だって独自の潰し方を経験則で身につけてるけど、
ただ今は……、
……ただそれだけなんだよ。