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体質

 大空が、ここに来てから五週間が過ぎた。広くて無機質なフロア、自分の役割を黙々とこなす社員、今日もいつもと変わらない、もう見慣れた光景だ。時計が十五時をまわると席から立ち上がった田中SMサブマネージャは部署のメンバーに聞こえるように声を発する。

「今から進捗報告会を行いますので、会議室に集まって下さい」

 返事を返す者は無く、無表情のままメンバーは作業を切りの良い形で切り上げて、めいめいばらばらに黙々と会議室に向かい歩く。メンバーに合わせて大空は席を立ったが、会議室に向かう足取りは重く、浮かない顔が鮮明に表れていた。

 二週間前、誇らしげに大空は進捗率五十%と報告した。あれから何もはかどっていない。この二週間、椅子に座り、ディスプレイを眺め、資料を眺め、悩んだ。何度も小林に聞きに行こうかと考えたが、小林が毛嫌いする顔が浮かぶと聞きに行けなかった。この二週間で大空が生産したものといえば苦痛だけだった。

 大空の意思に反して、足は無自覚に会議室に進み、空いている席に座った。大空の頭の中では、先々週、先週、そして今日も同じ進捗率を報告しなければいけない、どうにかして進捗率を上げようと努力したが無理だった。ここ数日は、この二週間何も出来なかった理由をどう言い訳しようか考えるようになっていた、今、席についた大空は、田中SMサブマネージャが自分を指名できなくなるような出来事が何か起きないかと、想いを膨らませていた。

「では、次、大空くん」

 とうとう来た、体が強張こわばったが、

「十二分の六、進捗率五十%です」

 するりと口から出た、言い慣れたフレーズだった。

 田中SMサブマネージャはその進捗率を黙々と記入する。

 何事もなく報告会は続けられる。

 大空はキョトンとした。

 はかどらなかった理由を聞かれたらこう答えよう、小林に質問しなかった理由を聞かれたらこう答えようと、くりかえし言い訳を考えていたが、何事もなく大空の報告は終わった。呆気あっけ無かった。

「皆さんも承知のとおり、今日でプログラム作成期間は終了です」

 大空がほうけているあいだも報告会は進み、話題は次の工程の話になっている、急いで大空は田中SMサブマネージャの言葉の続きに耳をかたむけた。

「ですが、まだ、プログラム作成が終わっていません」

 田中SMサブマネージャは、浮かない顔でしばらく間を置いてから話を続ける。

「ですので、今日から二班に分けます。一班は、引き続きプログラム作成を続けるチーム。もう一班は単体テストを行うチームとします。単体テストは小林くんをリーダーにして、派遣社員の皆さんで進めてもらいます」

 小林が露骨に嫌な顔をする。いつの間にか大空は、視界の端で小林を観察する癖が身についていた。そして、温厚に話す田中SMサブマネージャへの不快感むき出しの態度に、小林は威圧的な嫌なヤツ、田中SMサブマネージャおだやかでい人と感じていた。

 進捗報告会が終わり、会議室からメンバーが退出するなか、田中SMサブマネージャは、小林と派遣社員七人を会議室に残し、単体テスト工程の進め方を説明し始める。最初に数枚の資料を全員に渡し、それぞれの担当個所とスケジュールを説明した。時間にして三十分強、田中SMサブマネージャだけが話し続ける、小林は要点をメモっているようだが、大空を含む派遣社員は何もせずにひたすら話を聞いているだけだった。

「分かりましたか?」

 最後に田中SMサブマネージャが発した言葉に、無機質に「はい」と答える小林の小声だけが静まり返った会議室に響く、

「あとは頼みましたよ」

 小林にそう言い残し、田中SMサブマネージャはテーブルに広げた自分の資料を束ねて会議室をあとにした。

 大空にはさっぱりな説明だった。製品ソフトウェアの完成に向けて検査をする必要があり、その検査基準(テスト項目)を設計書から選び出し、表計算ソフトに入力するという作業だということは分かった。でも、設計書のどれがテスト項目になるのかさっぱり分からない。

 小林は自分の資料を持って立ち上がった。大空は慌てて、小林に話しかける。

「あのー」

 無言で冷たい小林の視線が、大空に突き刺さるが、続けて、

「分からないところがあるんですが」

 無言の小林は突っ立たまま動かない、目線が合ったまま、大空も次の言葉が出ず動けない。

「他の奴らは分かってるだろ」

 小林のその一言で、大空が周りに意識を向けると、もう、既に派遣社員の一人は会議室のドアから出ようとしている。他の派遣社員もそれぞれの持ち物を手にして席を立っている。席に着いてるの大空だけだった。

「俺も忙しいんだよ。お前らより長時間働いてるだろ。頼むから派遣仲間に聞いてくれよ」

 そう言い残し、会議室のドアの向こうへと小林が去っていく。


 小林の、さげすむような目線と、鼻先であしらうような返事。大空は途方に暮れ椅子から立ち上がる気力もない。

『自分はダメ人間なのか!?、社会人として何か欠けているのか?』

 小林に対する腹立はらだたしさより、自分に対する惨めさに腹が立った。

 大空には分からなかった、どうして田中SMサブマネージャのあの説明で作業内容が理解できるのか?正社員の小林はともかく、派遣社員は誰一人としてメモも取らないし、質問もしない、あれで今後の作業内容が理解できたのだろうか?いや、理解できたから誰も質問しないのだろうけど、どうしたら理解できるのだろうか?自分が何か劣っているのだろうか?

 誰も居なくなった会議室の中に置物のようにポツリと大空が座っている。コピー機の動作音、電話の音。開けっ放しのドアの向こうから声と物音が入り乱れかすかに伝わってくる。

 惨めな思いを抱えて項垂うなだれていると、会議室のドアの閉まる音に気づいた。

「大空くん、君、派遣初めてなの?」

 大空が顔を上げた先には、さっき、外に出たばかりの派遣社員の一人が戻ってきてドアの前に立っている。初めて話しかけられたが面識はある、同じ部署で大空と二つ席が離れた場所に席があり、田中SMサブマネージャが「鈴木さん」と唯一『さん』付けで呼ぶのが印象に残っている、見た目からも田中SMサブマネージャより年上に見える。

「鈴木さん、どうして皆さん、あの説明で仕事内容が分かるんですか?」

 大空は今にも泣きそうな顔になる。鈴木のニヤついた顔の、やさしい声が大空を一層悲しくさせる。

「バカだなぁ、考え過ぎなんだよ」

「じゃぁー、どう考えたらいいんですか!」

 反射的に感情のこもった強い語尾が口から出てしまったが、真顔になった鈴木を見て、

「すみません。……分からないんです」

 ぽつりとつぶやき、また、項垂うなだれ、口をつぐんだ。

「正社員はだれも派遣には期待してないよ。黙って適当に仕事してるふりをすればいいだけ、契約期間が過ぎて去ってしまえば、もう関係ないんだから」

 予想外のアドバイスに大空は、鈴木を無遠慮に見上げ、

「適当ぉって」

 冷たく切って捨てるかのような口調に、また、真顔になった鈴木はしばらく大空を見たあと、ニヤついた顔に戻り、話しだす、

「俺、派遣長いけど、ここはハズレだね。周りを見てて分かるんだ、まともに仕事してるのはごく一部だけだって。こういう仕事なんて言うか知ってる?こういう仕事はデスマーチって言うんだよ」

『デスマーチ(死の行進)』

 言葉は知っているが、デスマーチがどういうものか分からないし、今は、作業のやり方が知りたいのであって、鈴木の漠然とした話に興味は無い。

 つかみどころのない鈴木の話に、大空は腹立はらだたしささえ感じだした。

「ただでさえ、長時間、椅子に座りっぱなしで大変なんだから、変に気に病んでると体壊すよ。俺らは、ゲームの雑魚キャラで正社員にもてあそばれる玩具おもちゃってくらいに考えてた方が気が楽だし、実際、派遣社員なんてそんなもんだよ」

 安直な物言いや、ニヤけた顔、大空には鈴木の考えていることが理解できないまま、鈴木を凝視する。沈黙が続くごとに気まずさが増すような雰囲気が漂う。

「それから、ここで話したことは内緒だから」

 ニヤついた顔のまま鈴木はそう言い残し、ドアの向こうへと出て行った。

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