もう一人の大空と田中部長
「大空初です。……よろしくお願いします……」
『またか』と小林は心の中で呟いた。小林だけではない、ここに居る正社員皆がそう思ったはずだ。ただ、小林以外は実害がないので気に留めようとしないだけだ。
『おまえら迷惑しか掛けないんだからもう来るなよ』
よほど口に出したかっただろう。田中SMは、決まって小林に派遣社員の面倒をみさせる。
『ここ三ヶ月ロクに寝てもない。土日なんて関係ない。休みも二、三日取っただけだ。その上、まだ、仕事を増やすのかよ』心の中で叫ぶ。
皆が拍手を始めたことに気づき、小林も拍手をし、皆と同じように課長席の前から自分の席に戻る。
大空が来る四ヶ月前、これから忙しくなるということで、派遣社員が八人やって来た。最初、小林は派遣社員に仕事をやってもらえば楽になると思い派遣社員にいろいろと親切に教えていたが、派遣社員は真剣に話を聞こうとしない、教えてもすぐに辞めて、次の派遣社員が来る、また最初から教え直すことになる。中には教え方が悪いと小林に向かって文句をいうヤツまでいる。そのこともあって、小林は派遣社員に割りきった態度を取るようになった。
----
そもそも、派遣社員に仕事を教えても、教えるのに費やした時間がスケジュールに加えられる訳ではない、俺の仕事量は変わらない。田中SMからも親切に教えるようにとは言われていない。
進捗報告会が終わり、大空が田中SMの席に歩いて行くのが分かった。
「小林くん」
田中SMが俺の名前を呼ぶ、『ほらきた』心の中で囁き、何食わぬ顔で田中SMに顔を向けると、大空か俺の方に歩いてくる。
「あのー、何をしたらいいのでしょうか?」
『おまえに教えても何のメリットもないんだよ。頼むから仕事の邪魔をしないでくれ』
心の中で叫んだが、口に出たのは、
「は?、何を?」
だった。
----
「……十二分のゼロ、進捗率ゼロです」
「小林くん。悪いのですが大空くんのを少し見てくれませんか?」
『ほかの派遣社員見習えよ。誰一人としてまともにプログラム作れてないのに、適当に進捗しているだろ。なんでお前は俺に迷惑をかけるんだ』
----
『派遣社員は自分から覚えようとしない』、派遣社員はバカだと思っている。しかし、大空から質問を受けると、大空の的確な指摘に次の言葉が出てこない、そもそもなんで、大空の仕事まで俺が考えないといけないんだ?
「バカじゃないか。俺はお前の先生じゃないんだぞ」
と大声を上げてしまった。
もう、『我慢の限界だ!』自分の席に戻り、田中SMへ宛てた社内メールを書きだした。
『田中SMどうして、派遣社員を入れるんですか?あいつらが居ても無駄ですよ』
送信すると、すぐに返事が来る。
『人手が足りないのです。大変なのは分かりますが、もうしばらく面倒を見てください』
『大空は素直に進捗率ゼロって報告してますが、他の派遣社員も大空と大差ないはずです。調べた方がいいですよ』
『今はプログラム作成期間なので、実際にできているかどうかは、次の単体テスト期間で行います』
ソフトウェア開発は、
・要件定義
・基本設計
・詳細設計
・プログラム作成
・単体テスト
・結合テスト
・総合テストという工程を経て製品が完成する。
小林も十分理解しているが納得がいかない。しかし、
『お手数をお掛けして申し訳ありませんでした』
とメールを送信し自分の怒りの虚しさを実感した。
『私も今の状況が良くないのは分かっています。明日、自社への報告があるので、そのとき、社員の増員を頼んでみます。ただし、期待はしないでください』
社員の増員は以前からずっと言っていることで、最後のメールは俺に対する気配りだと、すぐに分かった。そもそも、プログラムが出来ていないのに単体テストが出来るわけがない。田中SMの説明に納得がいかないが考えても仕方がないと諦めて、自分に割り当てられたプログラム作成を片付けていく。怒りが冷めると急に眠気が襲う、布団が恋しい。ディスプレイに好きなアニメのキャラクターが映っているように感じる、キーボードが柔らかいクッションのように錯覚し頬を置きたくなる。が、今は就業時間中、同じ部署のメンバーは分かってくれても、他の島の人間の目があるし、そもそも、派遣社員にバカにされるような態度は見せたくないと自分に言い聞かせ仕事を進めた。
----
「田中部長お久しぶりです」
「あ、コーヒー入れてくれたの!?わるいね」
応接室にコーヒーを持ってきた総務の女の子が、田中と言葉を交わし、ソファーに座っている社長と田中の前にコーヒーを置いた。
「いや、たまにしか自社に戻らないから、会社に入った時、新人の子に『どの部署にご用向きでしょうか?』って言われましたよ。……でも、やはり自社はいいですね。あそこは息が詰まりそうになりますから。アハハ」
田中は社長に軽い世間話をして場の雰囲気をつなぐ。
「無理を言っているのは分かるが、今回のプロジェクトは社運がかかっている。失敗するのはマズイよ」
総務の女の子が外から応接室のドアを閉めると、社長がそう言って話を切り出した。
「分かっているのですが、なんとか増員をお願いできませんか?」
「ん〜、いろいろ当たったが、どこも人手不足でね。……派遣社員は使えそうかね?」
「いえ、派遣社員にはムリです。そもそも、実務経験もないのにいきなり開発しろという方が無茶なんですがね」
「元請け会社が気に入っているプログラミングレス開発ツールがあるんじゃないかね?あれを使えば素人でも開発ができると聞いているが?」
「たしかに、簡単なものは作れますが、少し難しいプログラムになると全く役に立ちません」
「……そうか」
と社長はため息をついた。
「むしろ派遣社員がいることで、無用なトラブルが起きることが多くて……、派遣社員を撤収させることは出来ませんか?」
「顧客の手前上なあー。……この業界、『プログラムは誰でもできる』が定着しているから、作業が遅れていて、その上、人員も増やさないとなると体裁が悪いんだよ」
「しかし、メンバの半分が派遣社員というのはあまりにもひどすぎます。それに、作業が遅れているのは、基礎にあたる基本設計が失敗しているせいです。いわば、基礎工事が失敗した土地の上に巨大なビルを建てようとしているのが現状なんです。派遣社員が増えたところでどうにかなる問題じゃーありません!」
珍しく、荒げ気味な語気で話す田中に、社長は冷静に、
「ああ。分かってる。……が、単体テストの直前になって基本設計が失敗しているとは言えないだろ。……基本設計が失敗しているのはうちだけじゃない。口には出さないが、ほかの下請けも状況は同じだよ。当たれる協力会社には当たって、なんとか改善を考えてみるからもう少しだけ頑張ってもらえないか」
社長と田中の対話は今回が初めてではない、何ヶ月も前から似たような話が繰り返され、見通しが立たないまま期日だけが迫ってくる。
話が終わり、田中は自社をあとにしようと総務部の前を横切ると、
「あ、田中部長。新しい名刺できてますよ」
総務の女の子が田中に声をかける。
「ありがとう」
新しい名刺の箱を開け、確認している田中に、
「あれ、田中部長。名刺の役職サブマネージャになってますけど、サブマネージャって係長のことですよね」
名刺の間違いを指摘する。
「これで合ってるよ。元請け会社と一緒に仕事をするときは役職を落とすんだ」
そう言って、大空、小林のいる出向先のビルへと向かった。