派遣先
「今日から新規参入してくれる大空初くんです。大空くん自己紹介を」
田中SMが笑顔で、大空に自己紹介を求めた。
大空は、窓際の課長席の前に、田中SMと並んで立っている。大空の前には、同じ担当部署のメンバー約20名が課長席の前に集まり大空に目線を向ける。
あれから、大空は求人雑誌の連絡先に電話を掛け、面接を受けることになった。面接の中で派遣先で直接仕事の指揮を執るSEとして田中SMとも会っている。そして今日、晴れて求人欄の派遣先に勤務することとなった。
「大空初です。……よろしくお願いします……」
大空にはそれ以上、なにを言っていいか分からない。特技とか趣味とか何か話したほうがいいのかと考えていると、しばらく間が空いたあと、部署のメンバーが拍手を始めた。
「はい、大空くん、さっき説明した自分の席に戻ってください。みなさんも作業に戻ってください」
田中SMのその掛け声と共に、集まっていたメンバーは蜘蛛の子を散らすように無言で各々(おのおの)の席に戻る。大空もメンバーの後に続いて自分に割当てられた入り口通路に最も近い席へと歩いた。
二年前、大空は就職活動で中小企業の面接を数社受けたが、どの会社の人事担当者も、お世辞にも愛想が良いとは言えなかった。横柄な態度でずけずけとプライベートなことまで質問してくる人事担当者もいた。大空は、黙り込んで焦る癖がある。けして相手を無視したり不満を表している訳ではないのだが、焦ると、そのあとは質問に答えられなくなる。その癖は人事担当者を不愉快にさせた。しかし、今回は違った。人材派遣会社の人も、田中SMも、皆笑顔で対応してくれる。その上、不必要なことは聞かないし、大空が黙っていると気を利かせて話題を変えてくれた。
大空は今回失敗すれば後が無いと気負っていたが、無事に自己紹介が終わり、なんとかうまくやっていけそうだと安心できるまで気持ちが和らいだ。今まで、緊張のあまり周りに意識が向いていなかったことに気づき、改めてフロアを見渡すと大空には、新鮮さを感じるものばかりが目に映る。広いフロア、間近でみる業務机、通称、島と呼ばれる業務机の風変わりな並べ方。そして、百人、いや二百人、いや三百人はいようかというこの人数の多さ。スーツ姿の自分が少し成長したように感じられ、巨大プロジェクトの一員になれたことに自信とも興奮ともいえない感情が湧き上がってくる。
席に着いた大空は、デスクトップパソコンの電源を入れながら、事前に渡されていた『新規参入の心得』と『プログラミングレスアプリの使い方』という資料を読み始めた。ふと、気がつけば終業時刻の十八時を少し過ぎている。しかし、メンバーの誰一人として帰ろうとする気配がない。フロアの様子も勤務中と変わらない。自分だけが十八時終業なのか?田中SMに挨拶をして帰ったほうがいいのか?しばらく悩んでいたが、大空は、退社の準備を済ませ席を立つとその場で、不意に大きな声で、
「お先に失礼します」
そう挨拶をした。周りの人間が大空の方を向く、隣の島の人間まで大空に目をやる。田中SMも、ちらりと顔を上げたが、皆何事もなかったかのように自分の机に顔を戻した。
大空は赤面して、逃げるようにフロアから出て行った。
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あれから平日五日間、朝九時に出社し、十八時に退社するのが大空の日課となった。仕事内容は、渡された資料を読むのと、プログラミングレスアプリを独学することだけであり、なんとも拍子抜けがする一週間であった。
週に一度、会議室を使った進捗報告会がある。大空には初めての経験である。メンバーの一人一人が状況を田中SMに説明をする。大空も会議に加わってはいるが、話している内容がさっぱり分からない。
「みなさん、少し遅れているようですが、コーディング期間はあと一ヶ月。キツイでしょうが、もう少し頑張ってください」と締めの言葉で報告会は終了となった。
「あ、大空くんは残ってください」
メンバーと同様に会議室の席を立とうとした大空を田中SMは引き止め、大空は黙って頷き座り直した。
「今日から大空くんにも開発に加わってもらいます。これが、大空くんのスケジュールです」
A四用紙一枚のスケジュール表が渡された。その用紙には、大空が今後一ヶ月で作成することとなるプログラム名と作成期間が棒線で示されていた。
「合計十二画面です。普通一日で一、二画面は作れるのですが、大空くんは初めということもあって余裕を持たせたスケジュールを引いています。あと、分からないことがあれば、小林くんに聞いてください」
そう言って田中SMは会議室をあとにした。大空は一人会議室で呆気に取られた。「この紙一枚でなにをしろというんだ」
心の中に自分の声が響く。そもそも小林くんというのが誰なのか分からない。
会議室から出た大空は、恐る恐る田中SMの席に向かい、
「小林さんって誰でしょうか?」
と小さい声を発した。
「小林くん」
田中SMの呼び声に、そこから三つ席が離れた人が、こっちを向いた。
「次から彼に質問するように」
冷たく感じる口調で小林を紹介され、大空は、無表情にこっちを向いている小林の前に行った。
「あのー、何をしたらいいのでしょうか?」
「は?、何を?」
大空には次の言葉が出てこない。大空を睨むように見ていた小林は、何も言わない大空をよそに自分の仕事に戻った。五分たっても、十分たっても動こうとしない大空に
「他のやつら見てたら分かるだろ。あそこに詳細設計書あるからあそこから担当分見つけてプログラム作るんだよ。あと、迷惑だから後ろに立つのやめてくれないか?」
ずけずけ言う小林に返す言葉がない。背格好は同じくらい年齢も大差ないだろう。渋々言われた方に向かおうとすると、小林が「チッ」と舌を鳴らす。「ありがとうございました」と挨拶がないという意味なのだろうか?大空は何も言わずに詳細設計書の方に向かった。
向かった整理棚には八センチ幅のドッチファイルがずらりと並び、その中で背表紙に『詳細設計書』と書かれている物が二十冊ほどあった。この中から自分の担当分を見つけるのは大空には至難の業としか言いようがない。
その日から大空は他のメンバーと同じように、終電に間に合う時間まで残業をするようになった。
次の日も、大空は詳細設計書を眺める。けして見方が分かったわけではない、他にすることも出来ることも無いのだ。一日中、いろいろなドッチファイルを持ち出し一生懸命眺めた。夕方頃、大空はいくつかの規則性に気づいた。用紙の書式が三、四種類しか無いこと、プログラムIDとスケジュール表のプログラム名が対応していて、それを手がかりにすれば、大空が作らないといけない個所の詳細設計にたどりつけること。大空には、それに気づいたことが大発見のように嬉しく思える。このまま、眺めていたら詳細設計書の見方が分かってプログラムが作れるようになるかもしれないと。しかし、大空が気づいたそれは、説明を受ければ十五分とかからない知識だ。それに、そんなこと、ここにいるメンバーなら誰だって知っていることである。