大空 初
だだっ広いフロアー。ほとんど間仕切り壁のない、机が整然と並べられた空間。
多くのIT奴隷が整然と椅子に座りディスプレイを見つめている。
IT奴隷の指はキーボードの上にはあるが、その指はたまに動く程度で、画面を見ながら何か考え事をしているように見える。IT奴隷の一日は、週に二、三度は昼から出勤することがあるが、帰りは決まって最終電車に間に合う時間に退社する。土、日曜も出勤することが多い。こんなに長い時間働けば、さぞ成果をあげているだろうと思いきや、実質的な進捗は一週間前と何も変わっていない。IT奴隷は、壊れたレコードのように同じ個所を何度も何度も繰り返しなぞっているだけだった。そう、IT奴隷は自分が何をするべきなのか全く把握していないのだ。
そもそも、IT奴隷は、求人欄の
「明るい職場、大手金融系で働いてみませんか?」
「未経験者歓迎」
「働きながら技術を身につける」
「年収600万以上可」
などの甘いことばに騙されて連れてこられたのだ。
もしもだが、社会科見学でその職場を訪れたならば、学校の教室の十倍はあろうかと思える広く清潔なフロアー、明るい照明、大きな窓からみえる外観、どれをとっても圧倒されるだろう。
職場を案内してくれる紳士的なSEの笑顔と、整然と働くITエンジニア達。
学生は「なんて立派なところなんだろう」と憧れにも似た眼差しで興味深く職場環境を楽しむに違いない。
しかし、IT奴隷達は違う。同じ空間を醜い憎悪と薄汚い腸が蔓延る伏魔殿と恐れ一日も早く解放されたいと皆が願う。
「伏魔殿!?腸!?何をバカなことを!」
広々した清潔な職場、規律の行き届いた組織。何に不満があるのだ。と一般人はそう笑う。
しかし、そこでは、精神的に追い詰められ、異常を来した行動を取るIT奴隷はそう珍しくはない。現状が堪えられず不幸にも自らの命を絶つことさえある。そして、その事実が公にされることは、まず無い。
「自ら命を絶つくらいなら辞めればいいじゃないか」
と一般人は言う。
そこでは、まず、自分で考えるという行動をやめさせられる。次に、自分自身が悪いのだと叩き込まれる。そして、最後には、自らの命を絶つことしかできなくなる。
君の言っていることは常軌を逸している。ばかばかしい。
と一般人は怒る。
常軌を逸しているからそこを伏魔殿と言うんだよ。
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大空 初
専門学校卒業時、大空の引っ込み思案な性格が災いして新規採用を逃してしまった。彼の性格がいけなかったというより当時の風潮が新規採用を控え即戦力を求める傾向にあったためだろう。
その後、大空は二年自宅で引き篭もるようになった。自宅で対戦ゲームにのめり込んだ。好きだったLinuxOSのプログラムコードを心ゆくまで解析した。あっと言う間に感じられるほど、大空にとって快適な二年であった。しかし、学生時代は、あんなに意気投合した友人とも最近めっきり連絡を取らなくなった、たまに会っても話が咬み合わないことが多くなった。
「あんたも、もう、22歳なんだから、自立しないと」
ご飯をよそってくれた母が、愚痴を言う。
大空は、母が自分のことを真剣に心配してくれていることを知っている。
「……ん、うん」
母はそれ以上言わない。会話の無いまま、母との食事を終え、二階の自室へと足を運ぶ。ベットの上に寝転がると、枕元の求人雑誌を開けた。
「明るい職場、大手金融系で働いてみませんか?」
「未経験者歓迎」
「働きながら技術を身につける」
大空が、ここ数日気になっているフレーズの求人欄を今日も一字一句なぞるように見つめる。
2017/09/30 誤字修正