7.魔法喰いは平和主義
青狼はモフかわいい。
エントランスのドアを開けると、街の人々がナナヤの住む館の前に集まってきていた。おそらく避難してきたのだろう。ここが一番安全だと、この街に住む人間は全員が知っている。魔王を討った勇者シンドウの館なのだから。
「シンドウ様!」
「おお、勇者シンドウ様!」
「お助けください!」
「親方、空から巨大な魔物が――」
「中央区噴水広場にいます!」
ナナヤは適当にうなずきながら歩く。
「わかった。わかったから……」
勝手に館の周りを開拓して居着いたくせに、何かあるたびに頼りにされる。身勝手且つ、面倒なことこの上ない話だ。
ナナヤが進むと、街の人々は彼を通すべく左右に避けて道を作った。
エルディノーラが感心したように呟く。
「まあ! ナナヤ様はずいぶんとみなさまから慕われているのですね! 素晴らしいことだわ!」
「ああ~……どうだろ。うまく利用されてるだけだよ、きっと」
それでも、農作物や狩りの収穫物なんかを時折民が分けに来てくれるのはありがたい話だ。おかげで余計な仕事を請け負わずとも、難なく食べていける。
領主のように税金を取っているわけでもないというのに。
「……いや、持ちつ持たれつか」
食の提供と安全の提供は等価だ。どちらも命にかかわるのだから。
『殊勝な心がけよのう、ナナヤ』
「……マオさんのドッグフードの調達が一番大変なんだけど?」
『ふははっ、王都産でなければ食えたものではないからなっ』
「うふふ」
エルディノーラが楽しそうに口もとに手をあてて微笑む。
小さな違和感に、ナナヤはエルディノーラに視線を向けた。だが今はそれどころではないと考え直す。
避難者の規模は数百人といったところか。今も館へと向かって多くの人々が走っているが、混乱はなさそうだ。先月のグリフィン襲来時は、大パニックになっていたけれど。
見回しても、街の南方入口のあたりに土煙が立っているだけだ。最初に感じた大きな震動はもう止んでいるし、悲鳴も聞こえてこなくなった。
無差別じゃないのか……。あまり被害も出ていなさそうだな……。
「魔物ではないのかもしれませんね」
エルディノーラが呟く。
やはりこの子は妙なところで鋭いと感心した。
「マオさんが言うには竜族らしい。ちゃんと知性がある。だからこそ厄介だ」
「知性なく無差別に大暴れする魔物よりもですか?」
「知性と力を併せ持つ種族ほど怖いものはないよ」
竜族はもちろんのこと、人間にしても、魔族にしても、神族にしてもだ。
ナナヤの前をゆく青狼マオが、歩きながら振り返った。
『その通り。やつは少々手強いぞ』
「どんなやつだった?」
『くくっ、何度も何度も、散々転がして遊んだ挙げ句、袖にしてやったが、変わらずにしつこく挑んできおる。仕方がないので、やつの居城を急襲して殲滅してやったわ』
避難する人々の流れに逆らって、日暮れどきの街並を歩きながら、ナナヤが唇を尖らせた。
「な~んでそういうことするんだよ。可哀想じゃないか」
『阿呆。最後まで聞け。身の程知らずにも、やつは私に求婚してきよったのだ』
「ななぬっ!?」
なんて物好きだ! とは口が裂けても言えない。寝てる間に股間か頸動脈あたりを食い千切られる恐れがある。
『何度断ってもしつこいゆえ、少々遊んでやったのだ。私に勝つことができれば、貴様を受け容れてやると言うてな。殺す気で何度もやり合うたが、竜族というのは存外にしぶとい。すんでのところで毎回うまく逃げおる』
くっくっ、と青狼は冷笑する。
『で、傷が癒えた頃にまた襲いにくる。懲りずに何度もな。私はそのたびに殺そうとしたが、やはりうまく逃げ果せる。数十年が経過した頃、いい加減腹が立っての。やつの居城を配下ごと殲滅してやったというわけよ』
こっちはもう苦笑いを浮かべるしかない。
魔王ヴァルフィナであった頃の青狼マオは、たしかに妖しく美しい容姿をしていた。エルディノーラのような清楚さとは正反対の、躍動する肉体と自由な奔放さが彼女にはあった。
長く真っ白な髪に、気の強さを如実に表す切れ長の瞳は赤く、肉体は筋肉質でありながらも細く引き締まっていた。プロポーションを隠し切れない服装は実に扇情的で、初遭遇時は本当にこの女性が魔王なのかと疑ったほどだ。
ただただ、美しく、そして強かった。まあ、中身はご覧の有様だけれど。
今でこそ【魔王の魔力】を奪って屈服させた己に服従してはいるが、気が変わればいつ寝首を掻かれてもおかしくはない。
そういう関係なのだ。現勇者であり当代魔王でもあるナナヤ・シンドウと、先代勇者であり先代魔王でもある青狼マオ、すなわちヴァルフィナは。
「そりゃ、お気の毒だ。同情するね」
『ま、恨まれておるとするなら、私よりはおまえだろうな』
「なんでおれ!? 遭ったこともないのに!」
『私を斃したのは勇者シンドウであろうが。思い人を奪われれば恨むは必定であろ』
「ああ、なるほど……」
これはまた面倒な。
先代魔王を殺したと思われているなら復讐、籠絡したと思われているならば嫉妬か。しつこくつきまとわれるのは勘弁願いたい。
『くくっ、おまえとの喧嘩は思い出しても血肉湧き躍るわ。まったく、おまえときたら敗北した私の肉体を散々弄びおって』
マオのぼやきに、ナナヤが苦い笑みを浮かべた。
「人聞きの悪い。召喚獣に封印でもしなきゃ、肉体と一緒に魂まで消滅してただろ。強引に契約したのは悪かったと思ってるよ」
『まあのう。しかし、あの肉体はそこそこ気に入っておったのに。このような姿では、私を屈服させたおまえを悦ばせてやることもできん』
同時に笑う。豪快に。
「そりゃ残念だ!」
『くく、ふははははっ! 肉体を取り戻したその暁には楽しみにしておるがいい!』
「あっはっはっ!!」
会話に混ざれないエルディノーラが、ぷっと膨れて文句を垂れる。
「何? なんですの? ああん、わたくしにも教えてくださいませ!」
死と生と転生と性の話だ。あらゆる意味でアダルト。
エルディノーラに彼女の声が聞こえていなくてよかった、などと考えながら。
「なんでもないよ、エルディノーラ。昔話をしていただけだから」
「むう~」
『さて、見えてきおったぞ』
ナナヤが視線を向けると、水の止まった噴水の上に、一人の男が立っていた。
男。ただし、背中には大きな翼が生えている。よく見るならば気づく。胸で組まれた腕には鱗が貼り付いており、額の左右からは角が生えていることに。
『半竜形態じゃ。人の姿をとってはおるが、力はほぼ竜そのもの。あやつをあまり甘く見るなよ、ナナヤ。私とじゃれ合った頃より、どれほど力をつけたかはわからんぞ』
「わかった」
「ナナヤ様、気をつけてくださいましね?」
「うん。たぶん大丈夫」
ナナヤは青狼とエルディノーラに、その場に留まるように告げると、噴水前へとゆっくりと歩み出た。
噴水広場の奥は、敷き詰められた石畳が砕けて抉れ、クレーター状になっている。先ほどの震動は、この男が竜体であそこに着地したときに起こされたものか。
半竜の男の視線がナナヤへと下げられた。
「やあ、キミがやってきたおかげで、街はパニックだ。みんな怖がってる」
「……」
応えない。
ナナヤは気まずさに指先で頬を掻いて、ため息交じりに尋ねた。
「目的は何かな? おれたちに協力できるものなら協力してあげたいけど」
「……地を這う小虫風情が、我に気安く話しかけるな」
低く、威圧的な声だった。だがそれを受けてなお、ナナヤは変わらぬ調子で尋ねる。
「目的を訊いているんだけど」
淡々としたナナヤの口調に気分を損ねたのか、男の眼力が鋭さを増した。息を呑むほどの魔力が、半竜形態の男の足もとからぶわりと広がる。
そのあまりの濃度に、エルディノーラが口もとに手をあてて息を呑むのがわかった。青狼は平然としているけれど。
「聞こえなかったのか、人間? 大空を統べる偉大なる王者の一族に対し、撫でれば潰れる人間ごときが――」
だが、言葉が終わるより先に、ナナヤはもう一度口を開いていた。
「キミこそ聞こえなかったのかい? 目的は何だ? ああ、いや、あててみよう。先代魔王ヴァルフィナの件か?」
ぴくり、と男の頬が引き攣った。
「そうか。貴様が我が空の月ヴァルフィナを殺した勇者シンドウとやらか」
どうやら嫉妬ではなく復讐が目的のようだ。声に抑えきれない殺意が顕れている。
もっとも、ヴァルフィナは死んでなどおらず、今まさに半竜人である男の視界の隅で、お座りをしているのだけれど。青狼となって。
見世物じゃないんだ。尻尾振ってんじゃあないよ、もう。
むろん親切に教えてやるつもりはない。何より、ヴァルフィナ本人がそれを望んではいなさそうだから。
だが、相手は明確なる殺意を持った竜族。さすがに少々まずいと感じる。
暗殺者や騎士といった人間相手ならば、デタラメ威力の初級魔法でどうにでもできるが、竜族が相手となると並大抵の脅しでは正直どうにもならない部分がある。
「あぁ~……じゃあ、やっぱり目的はおれへの復讐?」
そう問うた瞬間にはもう、半竜姿の男は宙を舞い、鋭く伸びた爪をナナヤの頭部へと振り下ろしていた。
竜族はストーカー気質。